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エッセイ集

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現在や過去にある想いを言葉にしました。
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#エッセイ

悪い病気じゃなくて、ほっとした話

ここ数週間、喉の調子が悪い。喉に何かが詰まっているような違和感があり、それを放っておいたら腫れてしまった。 母親の入退院以外で病院へ行くのは久しぶりだった。数年前に歯の痛みに耐えられなくなり歯科医に駆け込んだことがある。病院へ行くのはそれ以来だ。まぁ、その時もすぐに歯科医に行くことはせず、放っておいて虫歯が酷くなり、結果的に治療が長引くことになって後悔をしたのだが……。 転んでどこかを擦りむいたりと外から見てわかる症状なら自己判断でなんとかするのだが、人体の内側の不具合だ

格子に吸い込まれていく心

ここ数年、車で出かけているときなどにカバンや鍵などを必要以上に気にかけてしまう。 出かける時はカバンに財布などを入れて、それを車の助手席に置いておくのだが、走行中にふいにカバンの存在を思い出し 「あれ、カバン持ってきたっけ?」 とドキッとしてしまうのだ。すぐ左を向けばカバンが助手席に置いてあるし、それを見ると安心するのだが、カバンを確認するまで、ほんの一瞬だが焦ってしまう。そのくらいのことならまだ良いが、困ったことに一度カバンを確認してからも数十分すると、また 「あれ

引っ込み思案と誕生日

世界の総人口を調べてみたら80億人もいるそうだ。自分の中の認識では48億という数字が頭の中にあったのだが、おそらくこれは学校の授業で習った時の数字なのだろう。ずいぶんと増えたものだし、ずいぶんと古い記憶でもあった。 わがままに生きてきたし、出不精と引っ込み思案な性格だから、世界には80億の人間がいるというのに、僕の知り合いは年々と少なくなっていく。それでも先日の誕生日には「おめでとう」とメッセージをくれる方がいた。とても有り難く思い、その一言でとても良い気持ちになれた。

見えるものと認識するもの

ずいぶんと前から新聞を読まなくなった。まず目を覚ますとスマートフォンで様々ジャンルのニュースや話題の中から面白そうなものを選び目を通す。 今週末に近所のショッピングモールで開かれる面白そうなイベントや新発売された何枚もチーズが入ったハンバーガー。 昔からテレビや映画で見ていた方の訃報の知らせや悪いニュースに目が留まる。 今日は久しぶりに母親とスーパーへ出かけた。兄が買い物に行きたいと言うので『お母さんも連れて行く?』と母に声をかけてもらった。めずらしく同意する母。病院へ

肩の痛みと胸の痛み

いつからだろう。朝起きると体のどこかしらが痛い。ソファで寝ているせいもあるのだろうが、不摂生に歳を重ねた結果だろう。今更ながらに胃薬とサプリを食後に飲み込む。 ここ最近は週に何度か実家に顔を出し、ゴミ屋敷を片付けてはいるのだが、 先日のこと、兄が三回目のワクチンを受けるというので、実家へ留守番をしに行った。 実家に着くと兄から、 「お母さんは今週、また様子がおかしくて、玄関から出ていこうとしたりするから気をつけて」と注意が入る。 兄はワクチンを打った帰りに、スーパーで買

一枚の免許証

先日、子供が車の免許を取得したというので近所に練習をしに行ったのだが、やはり子供の運転はとても緊張する。 はっきり言って『怖いし、乗りたくない』というよりも『乗らせたくない』が本音だ。どうしても『事故でも起こして他人に怪我でもさせたら?』と思ってしまう。 それでも、いつまでも自立しないのは困る。助手席に乗り、おぼつかない運転にあれこれ苦言を呈したい気持ちを抑え、集中力を研ぎ澄ませるが、信用されていないと思われても困る。子供にはわからないように周りに気を配る。 道路は慎重

武器と傲慢と

未知の病気が世界を覆い、多数の命が失われたが、それが落ち着けば今度は人が人の命を奪っていく。 もう何十年も前の話になるが、友人と旅行をしているときに「湾岸戦争」が始まった。イラクがクウェートに侵攻し、世界がそれを許さず、アメリカを含む多国籍軍がイラクを攻撃し、クウェートを開放した。 それは物凄く衝撃的だった。見知らぬ土地の旅館のテレビに、リアルタイムで戦争が映し出されていた。砲撃が至るところで起こっている異常な光景。 子供の頃、学校で戦争のことや原爆のことを学び、戦争の

現実逃避とカタツムリ

出不精に拍車がかかり、特に用事がないと外出をしなくなった。ここ最近は実家のゴミ屋敷に顔を出すことも少なくなってしまった。外出は月に数回、たまに映画を観に車を数分走らせるくらいだ。 ときどきそれを心配した仲間が誘ってくれるのだが、約束をしても当日になると行きたくなくなってしまい、自分の中で駄々をこねる。心の中では「出かけたい」思うのだけれど、いざそこを突かれると引っ込んでしまう。 食事を作るのも、食べるのもめんどくさがり、缶ジュースでお菓子を流し込み空腹をごまかす。筋トレも

ブラックフライデーのお買い物

ここ最近日本でもブラックフライデーという言葉が認知され、11月に入るとメディアの広告からショッピングモールのディスプレイ、近所のスーパーのチラシにまで黒い色の広告が埋め尽くす。 もちろん僕もそれを楽しみにしているひとりだ。ここ数年毎年Amazonでブラックフライデーになると青汁とプロテインを買っている。というのも通常よりかなり安く買えるからだ。 というわけで、買ってしまった。とりあえず他の商品は見ずにクリック、クリックで脇目も振らずに棚から商品をかごに入れる。今回は120

テレビは何で映るの?~世界は解らないことだらけ

人の脳は常に入ってくる膨大な情報を整理して、必要な情報と不必要な情報を振り分けているそうだが、その視点で周りを見ると圧倒的に知らないこと(自分にとっての不必要な情報、興味がない情報)が多いことに気が付いた。 コードもないのに電話で他人と話せるのは何故なのか? 電波がその辺を行きかっているから? その電波とは何だろう? そもそもコードがあっても何故、目の前に居ない人の声がコードから伝わってくるのだろうか? これは電話とかスマホ、アンテナや電波関連のお仕事をされている方には『

思えば遠くへ来たもんだ

たまに帰って、実家を掃除していると思わぬ物を見つけて感傷に浸ったり、記憶がかなり鮮明に蘇ることがある。写真なんかは言わずもがなですが、それが一枚のビニールシートだったり、押入れの茶箱から出てきた父親のジャンバーや、天袋を開けた時に出てきた麦わら帽子なんかに隠れている。 「あっ、これ子供の頃に海で使っていたシートだ!」 「これって確か、親父がよく被っていた麦わら帽子だよな」 という具合に。まぁ実家はゴミ屋敷と化しているから、何十年も前の物がゴミと一緒にゴロゴロしているので

想像できる事は実現されるのです。

「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」 何処かで聞いたことがある言葉だと思い調べたら、どうやらこれは『海底二万里』『八十日世界一周』『十五少年漂流記』などで知られるSF作家のジュール・ヴェルヌの言葉のようだ。  ジュール・ヴェルヌと聞いて「なるほど、実現できるのか……」と思ってしまった。彼の作品は子供の頃、何冊か読んだことがあるし、映画化された作品も見ている。百年以上前に書かれたにもかかわらず、予想外の展開で、まさに心を躍らせるストーリーだった。その方の言葉だと

なぜ大人になると虫が触れなくなるのだろうか?

 右手に虫取りアミを持ち 、首から斜めに緑色の虫かごをかける。白い色のランニングに青色の半ズボン、そのポケットには石ころがいくつも入っている。そして頭に麦わら帽子をかぶる。これで完璧。  あの頃の街には、原っぱや池がたくさんあった。バッタやイナゴ、アゲハ蝶にシオカラトンボ。季節によって虫の種類も変わる。池にはドジョウやザリガニ。メダカやタナゴなどを見ることが出来た。虫を取ったり魚を取ったり。今では考えられないが、あの頃の僕は素手で虫に触ることが出来たのだ。蜘蛛やダンゴムシだ

とりあえずオロナイン塗っとけば治るでしょ!の巻

 長く生きていると薬の銘柄が決まってくる。お腹が痛い時はこの薬、風邪の時はこれ。頭が痛い時はこの薬。といった具合だ。  基本的に体のどこかが調子悪くても、病院に行くという選択肢はない。予約をしたり、待合室で待ったりするのがめんどくさい。というよりも病院は『怖い』なんか行きたくない。  でも痛いのと辛いのはもっと嫌なので、市販薬を常備している。鎮痛剤、整腸剤、風邪薬に胃薬。湿布薬と目薬などなど。  その中でも日頃から胃が弱いので胃薬と整腸剤は常用している。筋トレもしている