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『カテゴライズの呪い』の話♪

 分析・考察したり、そういう作文をする人向けの記事なので需要は薄いかも……。それでもTRPGのGMやシナリオを作る人などは、ゲームそのものに向き合ったり考察する人もいる筈という事で、その需要を信じて記事化した。

 そして、これは半分は愚痴みたいなモノだ……。

欲望

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■『カテゴライズの呪い』とは
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 考察・作文している著者も、調べてる読者も『カテゴライズの呪い』に気がつかない為、より深刻だと自分は思う。

呪い00

『カテゴライズの呪い』とは
 人は、物事を強引にでも整序したがる。カタログ化したがる強い傾向がある。
 人は理路整然とした分類表に憧れるし、そうしたい衝動が強い。人間の考え方のクセと言ってもいい。

カテゴリー

 その為、分析・考察する人は、目的があって分類化し始めた筈なのに、いつのまにか目的と手段は逆転し分類化が目的(ゴール・満足)になってしまう。特に必要が高くもないのに妙に包括したがり出し、分類化・整序・カタログ化し初めてしまう。

欲求

 そして分類の図式化の欲求が強くなってしまうが故に、実態以上に図式・構図を優先してしまう。

呪い01

 整序されているという状態、カテゴライズされた分類表を見ると、不完全であっても検証が不足していても不思議と、何故か説得力を感じてしまい、正しいかどうかは別として安堵し、その図式の様式を見るダケでキレいに型にハマった安心感という快楽が発生する。

快楽01

 この時、考察している人は、その『カテゴライズの呪い』の衝動に沿って行動している事に自覚はない。更に『カテゴライズの呪い』で現実の実態と異なっても、それに発生する安心感や型にハマった安心感による快楽に抗えない。正しいかの検証も出来ずにまるで『カタログ』を作る事が目的だったかのように目的が挿げ変わった事も気がつかない。そして、それにも関わらず考察を完遂した気になってしまう。

分類

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 更に考察する側だけでなく、読者側も惹き込まれてしまう。
 内容の精査をしなくても、全体をまんべんなく整序されたカテゴライズ、カタログ化は美しく、その存在だけで、全てを包括したような安心感や説得力が増して、その資料を眺めるダケで満足してしまう。それが正しいか検証する意欲も働かなくなる。

整列01

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■呪いの例
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 あまり実例としてあげたくはないがホイジンガの「ホモ・ルーデンス」は分類化はあまりされていない。一方、「ホモ・ルーデンス」の影響を受けたととされるカイヨワの「遊びと人間」は遊びを四分類化した。

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 しかし、遊びが本当に四分類化されるに相応しい検証だったかは怪しい。別に学者だけでなく、雑誌など他の本でもそのようにカテゴライズしただけで編集者が満足したかのような資料も多くあるだろう。

カタログ

 医学の分野でも舌の味についての分類化も正しいとはされていないが、分類化された存在は研究し尽されたような印象を与えてしまう。

カテゴリー

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■呪いの対処方法
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 考察をする著者側には当然ながら考察する際「企画目的・企画動機」がある筈で、その解決すべき目的だけに目を向ける努力が必要だ。

 それを整理する際に「構造主義」「機能論」「加算欲求」「行動経済学」「大脳生理学」「応用心理学」「比較文化学」など様々な考え方を利用する事自身が悪いワケではない。一時的に「カテゴライズ」も悪いワケではない。

物欲

 しかし、人間の脳(考え方のクセ)、自然界が「人間の欲求に適する形のカテゴライズ」に当てはまるとは限らない。つまり気持ち悪いだろうが「科学的な検証」をして答えを出せたところだけが、実用に耐えうるモノ。それ以外は憶測(怪しい推察)に過ぎないという判断をしなければならない。

呪い00

 推敲に推敲を重ねる際には『カテゴライズの呪い』を意識して排除して「企画目的・企画動機」に従った内容だけで考察し直し、作文する。その上でカテゴライズ部分が残るなら残してもいい。そこは人間の欲求・快楽に関わる部分なので意識して排除するしかない。

整列01

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■呪いの悪用
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騙す00

 一方で、この呪いは「子供騙し」としてはとても有効な手段とも言える。
 「子供騙し」とは書いたがビジネスマン含めて大人も騙しやすい。格子状に分類化して並べられればそれだけで説得力が上がってしまう。何かを定義する際に「これらを構成する要素は3種あり~」と3個に規定するダケで人は何故か説得力を感じてしまったりする。グラフや表もそうだ。数値で物事を表すのもそう。だから他人を説得したい時は有効ではある。

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 但し、それが誠実な行為なのか、正しい考察なのかは別の問題だと思う。

欲望

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■まとめ・所感
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 考察をする際に、偉い人がこう言った。論文を書くような人がこう言った…等含め、『カテゴライズの呪い』『横文字マウンティング(専門用語)』『ハロー効果(権威主義)』『虎の威を借りる狐(権威主義)』的な事を利用して、自分の考えが正しいかどうかの検証をするのではなく、自分の考えの強化を目的に利用する傾向がある。

 本来は、自分の考えが正しいかどうかを検討する為に調査する筈のモノが、現状の実態の多くは『インテリジェンストラップ』に引っかかってしまっている。それについての半クレームみたいな感じで記事を書いた。

 しかも『インテリジェンストラップ』に引っかかっている人は無自覚なダケでなく、引っかかっている事に否定的で認めようともしない。学歴や自信が邪魔をしているのかもしれないが詳細は不明。

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 ちなみに『カテゴライズの呪い』の名称こそは自分の命名だけど元になって調査した人は当然いる。名前を明かしていないのはそれらの権威主義に頼らない為だ。一応言うと構造主義の人達だ。調べてると出てくると思う。ただ調べても「衝動」「快楽(報酬系)」の話になると、構造主義だけではおさまらない。

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おわり


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