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答えが無い、という答え。


デヴィッド・リンチ監督の「マルホランドドライブ」を観た。

何回観ても理解できない、難解映画として知られている映画だ。


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引用


これを観て思ったこと。


「マルホランドドライブ」はしっかりと理解しようとすると意味が分からない。(他のリンチの作品も同じだが。)

例えば
・伏線が一本の線だとするとその線の途中は切れている。そういう線がいっぱいある。
・時系列もぐちゃぐちゃ。というかどの時系列なのか正解はない。
・経緯で語られていたことがまるで映画の終着点に関係がない。
・結局何が言いたいの?と言われても分からない。いや多分無いかも。


だから、理解ができない。 

「?」が浮かぶだろう。


でもこれこそデヴィッド・リンチが望んでいたことであろう。

まず、「そもそも理解しよう!」という考えの幅が狭いのかも知れない。


理解しようとして時系列を確認したり、起承転結を意識したり、部分部分の箇所を伏線として考える。
逆にいうとこういう目線を持つのは今までの映画がそうであったから、それが最早当たり前として行なっている。そしてその定義に当てはめて全く通じないこの作品。

だからこそ「?」が浮かぶのかもしれない。


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ずっと漂う不気味で気味が悪く、でも艶かしいほわほわとした雰囲気が終始体感できるだけでもその映画を立派に理解していると言えるかも知れない。



なんならこの映画を観て「今までの考えでは理解できない、という理解」が得られたかも知れない。



さらにいうのであれば
「理解しよう!」という試み自体が間違っているのかも知れない。

その考え自体が「頭で考える」という凝り固まった思考だ。
映画を頭で考えようとせず、五感で全体で受け止める行為が大事、ということなのかも知れない。


つまり
「答えありきの映画」でなく、「答えのない映画」として観て観るとまた面白いだろう。


何事も答え、正解というのはあるものではない。

「答えはない、なぜなら問題自体が存在しないから」というマルセル・デュシャンの言葉のように。



ここで筆を置く。


Keitaro.




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