見出し画像

「Actually…」中西アルノ版MV(乃木坂46 黒沢清監督作品)

「Actually…」のType-AからDまで(+通常版CD)をヤフオクで手に入れました。で、早速黒沢清監督の中西アルノ版のMVを見たわけです。

ドラマ

メンバーのダンスレッスン風景を見ながら怯えてた様子の山下美月。彼女が怯えてるのは、中西アルノの存在。彼女によって乃木坂が新しくなってしまうことであり自分が愛する乃木坂が変わってしまうことを不安に思い恐れている。みんな仲の良い今の乃木坂であり続けてほしい。アルノにもその一員であって欲しい。それが叶わないのならば排除すべきという自分の考えにも怯えてしまっている。(もちろんドラマの脚本です。その証拠に劇中では山下美月は齋藤飛鳥のことを「飛鳥」と呼んでますね。現実世界でそれはない)

実際中西アルノは今のようなメンバーの仲の良さは見せかけだけだと考えていて、これまでのただ仲の良い乃木坂ではない、新しいものにすべきという考えを持っている様子。(あくまでもドラマの設定です)

齋藤飛鳥も乃木坂をもっと良くしたいという思いから、中西アルノの考えに共感もするが一緒に行動出来ない。
中西アルノから「アナタは私に似ている」と言われ、少し動揺をみせる斎藤飛鳥は、変わることに不安を抱いているのだろう。
だから結局彼女は中西、山下の両者に嘘をついて、現状を穏便に収めようとする。それは次世代の乃木坂をどうするべきかについて苦悩する運営の姿の暗喩なのかな。

齋藤飛鳥は自ら乃木坂を変えることは拒否したものの、山下美月に対して「これから辛いこともあるだろうけれど、変化は受け入れなければならない」と諭す。

わたしたちには仲間がいるじゃない。何十年もたってみんなすっかりおばあさんになったとき、たくさん思い出話をしましょう。あんなこともあったね、こんなこともあったね、でも楽しかったねって。まだまだ先のことだけど、想像するとちょっとウキウキするでしょう。だからこれでいいの。いいことにするの。

「Actually…」黒沢清監督MV 齋藤飛鳥のセリフ

このセリフには、新旧の間で困惑しつつも、齋藤飛鳥も山下美月や他のメンバーと一緒にこれまでの乃木坂文化を守りつつもこの変化に対応してゆこうという決心と不安を示したのでしょう。

新しい乃木坂を作ろうとする五期生の中西アルノと飛鳥と山下は、廊下ですれ違うときにそれぞれ他者には目もくれない。それぞれ自分の信じる道を進むという決心なのか。不安を感じさせる表情をする飛鳥・山下と、それに比べると明るい表情の中西アルノのどちらがこれからの乃木坂なのか。

乃木坂は変わらなければならず、またすでに変わりつつあるという雰囲気が示されてドラマ部分は終わる。
(何度も書きますがあくまでもドラマです)

BGMはなく環境音とセリフだけで淡々と物語が進んでゆく会話劇。ドラマ部分は画面の作りやカメラワークが映画っぽいのは黒沢清監督が本気で作っている証拠かな。黒沢清監督作品のファンのひとがこれを見て、どう感じたか聞いてみたい。

映像はJ-ホラーやサスペンス調。彩度が低く青みがかった全体に暗い印象の画面。
ホラーやサスペンステイストの内容だからか、セリフはあえて単調に抑揚をつけない(おそらくそういった)演出。
単純に聞けばセリフ棒読みと思われてしまう齋藤飛鳥も山下美月がもっと感情を込めた演技ができるのは、ふたり登場人物を演じた映画やドラマの「映像研には手を出すな!」を見ればわかる。だから淡々とセリフを口にする二人はそういう演出にそった演技をしている。

ダンスシーンのあと、ラストで中西アルノは立入禁止っぽい非常階段を鎖や一斗缶などの(払い除けるとすぐ突破できる感じのちょっとしょぼい)障害物を払い除けつつビルの上へ上へと登ってゆく。

これは今まで誰も足を踏み入れたことがなかった場所へ、そして乃木坂をもっと良くしてゆきたい(より高い場所へ登ってゆきたい)という思いがあるってことか。たとえそれが自分ひとりだけだとしても。

見終わったあとに三人の衣装からそれぞれの役割について考えてみました。

齋藤飛鳥が羽織るテーラージャケットから、運営や大人の象徴ではないかと。
山下美月と中西アルノは同じテイストのデザイン違いの衣装を着ている。
それは従来の乃木坂(美月)と新しい乃木坂(アルノ)とは根本的には変わらないという暗喩かななどと思いました。

登場から衣装がずっと変わらない斎藤飛鳥、山下美月と違い、古いスタジオから出るときから中西アルノが身に纏う分厚いコートとぐるぐるに巻かれたマフラーは、彼女が他者の過剰な干渉から自身を守るために身につけた鎧なのかもしれないと思いながら見てました。

ダンス

パフォーマンスのカメラワークをみるとやはり中西アルノ中心で、他の選抜メンバーは背景程度にしか映らない。
預言者(アルノ)とそれを取り巻く巫女(メンバー)という印象を受ける。アルノに率いられている(操られている)メンバーは、自分の意志ではなく、憑かれたように踊っているといた雰囲気を感じます。

いっぽうWセンターの場合はそういった印象が薄れ、全員が巫女として踊っている感じ。飛鳥美月はその巫女たちのリーダーで、メンバーは二人によって覚醒されているという印象ですね。

両方ともラストは全員が後ろを向くというシーンで終わるけど、中西アルノ版は「これでみんなが私(センター)の下僕になった」という印象なのに、Wセンター版は「全員が覚醒し新しい世界へ向かう」という印象を受けました。
根拠はないけど、そう感じたわけですね。

そんな中西アルノ版MVから欅坂っぽさを感じるのはダンスのフォーメーションは特にカメラワークが「センター feat. 選抜メンバー」が全面的に押し出されているあたりからかもしれん。
あまり関係ないだろうけど、中西アルノはその容貌からも平手友梨奈を思い出させるってのもある。

MVのドラマ部分が現実の中西アルノ活動自粛問題を想起させるのは偶然で、これは1,2期生の卒業ラッシュを一旦終え、運営側が今後の乃木坂を変えてゆこうという宣言だったと思いました。変わってゆくための触媒が中西アルノであり、これからメインメンバーになってゆくことが期待される5期生たちですね。

古い乃木坂と新しい乃木坂の拮抗が29thシングルのテーマ。それは収められた楽曲からもわかる気がする。

これまでの乃木坂では「価値あるもの」であり「好きになってみた」
新しい乃木坂では「Actually…」そして「絶望の一秒前」

運営はこれを前触れとして30thシングルから路線変更(というかいわゆる乃木坂らしいテイストから逸脱したものも積極的に取り入れる方針)を打ち出そうとしたのが、29thシングルにまつわる曲だったりMVだったりするんじゃないんすかね。それがたまたま現実の状況に合致する部分があったってことで。ただそれだけ。齋藤飛鳥が乃木坂46分TVで話してたように「ただの偶然」。

もしこれが中西アルノが演じるんじゃなくて、たとえば遠藤さくらが演じたとしたら、「これからの乃木坂は、なにか新しいことをやるんじゃないか」っていう期待が高まってたりしてね。感想なんてそんなもん(ワシも含めてだけど)

そんなわけで29thシングルは、それぞれの楽曲、パフォーマンスは良いのに中西アルノの自粛問題のため全体的に悪い影響を与えてしまった、ちょっと残念な一枚になってしまったと思います。

まとめ

中西アルノ版MVは現在の混乱ぶりを予言したものではなく、五期生という新しい人が外部からやってきて、その人(たち)がこれまでの乃木坂を変えてゆくという「前向きな」内容を想定して作られたのではないかと思いました。偶然が重なって曲解されてしまった不幸な作品になってしまったけれど、パフォーマンスは乃木坂らしい華麗なダンスと緻密なフォーメーションが見られ、素晴らしいと思いました。楽曲はこれまでにない雰囲気ですが、これが今後の乃木坂のレパートリーを増やすことになれば、それは良いことだと思います。これまでもアイドル的なものから、ユーロビート、Hip-Hop、フォーク、ロックや演歌っぽいものまでざまざまなジャンルを取り込んできた乃木坂の新しい顔になれば良いなと。

おまけ

平手友梨奈タイプは秋元康の好みという根強いウワサがあるけれど、奥さんの高井麻巳子は中西アルノや平手友梨奈とはちょっとタイプが違うと思うんだけど。どちらかといえば、小坂菜緒か賀喜遥香っぽいと思うよ。

TYPE-Dに収められてる「絶望の一秒前」のMVは五期生の魅力が詰まってて、とても良かったです。
そこでの同期と話したりふざけ合ったり、ダンスを踊っている中西アルノはとても楽しそうですし、Makingでの様子も他のメンバーと変わらない初々しい印象を受けました。
ただしもう一人の自粛メンバーはまだよくわからない。五期生ちゃんのPVはまだ全部見てないけど、その一部の見ると他のメンバーと仲良くなってるっぽいね。みんな揃って活躍してほしいですね。

五期生ちゃんでワシが気になってるのは五百城ちゃんと富里ちゃんの長身コンビ。彼女らが梅を筆頭に、乃木坂長身メンバーに混じってダンスしたら、さぞかし見栄えがするだろうなと思ったりしてます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?