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老婆だった頃の思い出

海辺の街をお婆ちゃんが自転車で駆け抜ける。

自転車が加速するにつれて、お婆ちゃんの白い髪の毛は黒々と変化していく。白髪染めで黒に染め上げた後の質感ではなく、髪自体が黒髪として新しく産まれてくる様な形で、髪全体が老齢とは思えない様な潤いを解き放っていく。髪がすっかり潤いを取り戻した時、お婆ちゃんは姿形があどけない少女になっていた。



お婆さんは満11歳。

本来であれば、ランドセルに腕を通し、小学生へ通っている様な年齢である。それなのに、彼女の普段の姿は完全に老婆となっている。これは一体どうした理由だろう。


彼女は産まれた時から老婆姿だったのであろうか。いや、そうではない。きちんと赤ん坊として生を受けている。転機は5歳になる頃、身体つきも少しずつ大きくなり言葉も大分流暢になった時の事だ。その日、彼女は初めてブロッコリーを口にした。未知の物を食べる行為は、とても怖ろしい事だったが、母が『ゾウさんやキリンさんもこれを食べてるんだよ〜』と言ったのを聞いて、私は食べてみたいと思った。


そして、口にした。


すると、私の身体中が異常に熱を発し始めた。内臓が沸騰してすべて溶け出す様な感覚がして、苦しかった。やがて熱が冷め、元の形を取り戻したと思った時には、私は老婆だった。


目の前で起きた出来事を、両親は漫画の様な大口を空けて直視した。娘の異変は、異変という言葉では言い表せないほどの変化を伴っていたので、両親はしばらく放心状態になった。しかし、老婆が拙い口調で『パパァ〜、ママァァ〜、ウェ、ウェェァェアン』と言ったのを聞いて、両親は心を取り戻した。そして、両親らこれが現実である事を改めて噛み締めた。



両親はすぐ様、娘の魂が入った老婆を病院へ連れて行った。病院で事のあらましを話すと、当然の様に医者は呆れ顔になった。実際に体験を伴った両親ですら未だ半信半疑なのだから、それは致し方ない。医者は呆れ顔のまま、取り敢えずといった感じで、アレルギーの検査を両親に勧めた。両親は藁にも縋りたい気持ちで全てを試したいと考えていたので、医師の申し出を快諾した。

アレルギー検査の結果、娘はブロッコリーに異常なアレルギー体質を持つ事が分かった。その数値は例を見ない物で、通常のアレルギー反応数値よりも4桁大きい数値になっていた。医者は機械の故障だと言って再検査をしたが、何度検査をしても数値に変化はなかった。


娘はブロッコリーのアレルギー反応により、老婆へと姿を変えた。何度考えても非現実的な話に頭を悩ませたが、両親は娘の存在を認めて目の前に座る老婆の世話をしていくしかなかった。



そんなある日、老婆が毎日死んだ様な目をしているのを父が見かねて、自転車を買ってあげた。外へ出て気ままに遊ぶ事が出来れば、少しは心持ちも良くなるだろうとの配慮だった。姿は老婆といえど、中身はいたいけな少女なので、当然自転車の乗り方など知る由もない。父は老婆の形をした娘に乗り方を指南する事にした。

しかし、娘はふらふらとして一向に安定しない。

父は心の中で、早くしてくれと思っていた。いくら自分発信の提案とはいえ、老婆に対し自転車の乗り方を教えている姿を、ご近所の人たちに見られるのは恥ずかしかった。そんな事を父が思い始めた頃、父の気持ちを察してか娘の自転車は安定性を持ち始め、その持続距離は10M、30M、50Mと増えていった。


50メートルも先に進んだ時、娘は老婆になって初めて嬉しいという感情を得た。そして次の瞬間、身体が大変な熱を発し始める。例によって、身体がグツグツと煮えたぎる。それでも負けじと自転車を漕ぐ、目の端に映る縮れた白髪がスッと伸び黒さを取り戻していく。私は何が何だか分からなかったが、内から溢れる喜びに身を任せ、自転車を漕ぎ続けた。


自転車で折り返し戻ってきた時、父は私のいたいけで小さな身体を思いっきり抱きしめた。




あの時の感動は今でも忘れられない。

あれから70年が経ち、白い髪を取り戻した今でも、自転車を初めて漕いだ時の喜びは鮮明に網膜に焼き付いている。






※ この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。




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