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DARCとは

DARCとは
私はダルクとのつながりで、薬物を24年程度やめ続けています。アルコールも一滴も飲まずに暮らしています。たばこも2000年から吸っていません。パチンコ、スロットなどのギャンブルなども同じく2000年からせずに暮らしています。このような話を、薬物事犯の受刑者や薬物使用で精神科病院に入院している方に話しをすると、「そんな人生楽しいですか?」と聞かれます。「お酒も飲まない、薬物やらない、ギャンブルもやらない、風俗も行かない。なにが楽しみなのですか?」と言われるのですが、私は「嗜癖行動から解放され、充実した楽しい生活を送っていますよ。」と答えます。逆に薬物を使っている時は、手の上に薬物が乗っていたから、他の楽しみを手にできなかったのです。だから、薬物を手放せば違うものが手に乗ってくるという事を私自身ダルクで学びました。薬物を使わずに充実した人生を味わう生き方を伝えています。

ダルクの特長は専門家がいない、当事者が当事者を支援する。今では少しずつ専門家もダルクの職員になるようになって、精神保健福祉士や看護師など資格を持つ職員も増えてきました。一番新しいところでは刑事さんが、定年前に早期退職してダルクの職員になりました。その刑事さんは20年程前にある薬物事犯者を逮捕していました。現在は、Yダルクの施設長をしており、実際に逮捕、取り調べをした者(当時は、ひどい奴だなんて思っていたのでしょうね)がダルクで回復していく姿を見て、彼らと新しいやり方で一緒に回復支援や予防教育をしていきたいという事で刑事をやめて、ダルクの職員になったというわけです。ずいぶんと時代は変わったと思いますが、ダルクは基本的に当事者が当事者の経験や希望、しらふで生きる工夫などを伝えながら、今日一日薬物を使わずに生きることを支援するところです。

何をやっているかというと、「Narcotics Anonymous(NA)の12ステップ」があり、断酒会のモデルにもなった、Alcoholics Anonymous(AA)から派生して始まった12ステップグループで、薬物をやめたい人に向けた12の指針があるのです。お酒や薬物をやめていく「12の指針」を実践するために共同生活をしているところがダルクだと思っています。この12ステップグループというのは、12ステップを使いながら自分たちが抱えている問題を解決していこうというグループです。世界中にたくさん12ステップグループが存在しています。これをモデルにダルクが存在しています。

1985年に日暮里の一軒家に開設した東京ダルクが始まりです。その後、草の根のように増えていきました。最初の10年で10か所のできなかったのですが、20年目の時は35か所程度に広がりました。当時の2000年から2006年ごろというのは薬物依存関連の法律が大きく変わりだした頃でした。1999年に精神保健及び精神障害者福祉に関する法律が変わり、覚せい剤の慢性中毒者に係る準用規定を廃止し、精神作用物質による急性中毒又はその依存症を本法の対象となる精神障害者の例示として明記し、覚せい剤の慢性中毒者を精神障害者の保健・医療・福祉の施策の対象として取り扱うこととなりました。それまでも全く保健・医療・福祉の対象でなかったわけではないですが法律が変わり、薬物依存症とアルコール依存症が精神障害のひとつとして定義づけられたことで、ダルクが障害福祉サービス事業として運営していけるようになりました。2006年には100年間変わらなかった監獄法という明治にできた法律が変わりまして刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律となり刑務所の処遇を作業中心から教育を取り入れていくということで薬物離脱指導というのが行われるようになり、ダルクが全面的にその教育、指導にかかわるようになっていきました。今では全国、交通刑務所以外のすべての刑務所でダルクが薬物離脱指導に協力しています。

もうひとつは、現在は障害者総合支援法となりましたが、2006年に障害者自立支援法というものができまして、それまで任意団体等でダルクも運営できていたのですが、障害福祉サービス事業行うにあたってはその組織を法人化しなければ報酬を貰えないのではないかという事になり、この頃から多くのダルクがNPO法人化していきました。実際、京都ダルクもこの法律が変わる事に合わせてNPO法人化を図りました。それはどちらかというと、仕方なくせざるを得ないというところでNPO法人化をしました。今では全国で60ほどの運営母体が90近くの施設を運営していますが、その多くがNPO法人、もしくは一般社団法人として活動をしています。

当時大阪ダルクに入所していた頃には、ダルクに集まった人たちが自分たちの持つスキルを使い手助けしあって薬物を使わない生活をするという雰囲気もあり、私は比較的ワープロ等ができたので、ダルクのニュースレターや資料つくりのお手伝いもしていました。実は私は左利きで字がきたないのに加えて勉強もしてないから漢字も書けない私にとっては、ワープロを使うときれいな字に変換してくれることが、漢字も書けない事を隠すためにワープロを使えるようになり、そのうちウィンドウズ95が出たころから、海外のポルノサイトをなんとか無料で見ようとすることでパソコンが使えるようになり、そうしているとエロサイトでウイルスに感染してはコード抜いたり再インストールしたりしているうちにパソコンが組み立てられるまでになったわけです。私はなにも仕事や就労、就職をうまくするためにワープロやパソコンを使えるように頑張ったわけではなく、不純な動機に基づいていろんなことができるようになりました。しかし今ではそれを全うに使えるようになっています。

ダルクにやってくる人たちの多くも動機が不純です。心底、薬物をやめたくてやって来たというよりも「刑務所に行くよりもまし」とか、「生活保護を受けられる」とか、「かわいい女の子も通っている」とか、「親に行けと言われたから来た」とか、多くが不純な動機ももちあわせていますが、その不純な動機があってでも、新しい仲間やプログラムとの出会うことで少しずつその動機も移り変わっていきます。「本当にこの人たちは薬物をやめているようだ、自分も薬物やめられるかな」とか、「薬物やめているのに、この人楽しそうにしているな」とか、勘違いをしていた薬物依存や我慢や意志の強さでやめるのではなく、依存症その回復についての捉え方も変わっていくわけです。私自身もそんな感じで変わっていきました。『ダルクでは薬物をやめることをやめて、新しい生き方をする。』ということなのです。

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