私が小田原市民になりきれなかった3つの特殊な事情|小田原移住5年目の告白
私が小田原に移住してから4年と半年が経つ。しかし、自分が、小田原の民の一員になったな、と思えるようになったのは、実はとても最近のことだったりする。
少なくとも、最初の2年間は、小田原ライフを満喫するようなことが何も出来ていなかった。
それには、特殊な事情があった。
2019年10月に、長年住み慣れた東京から単身小田原に居を移し、当然、住民票も移したので、名目上はその時から、私は小田原市民にはなっている。
私が引っ越した先は、小田原市の東部にある下曽我地区というところで、乗り継ぎがよければ、JR小田原駅まで電車でおよそ20分。車だと30分程度の場所にある、小田原市東部の、のどかな里山だ。
そこに私は、2年間の農業研修生というかたちで、地元農家に弟子入りすることになったのだが、幸いなことに、その農家の別宅が空き家になっていたので、そこを住みかとすることになった。
畑にも作業場にも近いその住環境は、車の運転に慣れていない私にとってはかなり好都合だった。
そう。
20数年間、ペーパードライバーで通してきた私にとって、車の運転ほど恐ろしいものはなかった。車がなければ、どこにも行けないような、そんな里山において、私はその段階ですでに行動範囲をかなり限定することになってしまっていたのだ。
「車の運転がしたくない」
これが一つ目の事情。
二つ目は、未経験での農業、農業という職業の特殊性からくるもの。
農業という仕事は、もちろん、栽培している作物にもよるのだろうが、肉体的にかなりキツイということは折に触れてお話ししている通りだ。しかも、私の場合は、44歳という体力の衰えが見えてきたところでの転身だったので、最初の半年間は体が慣れてくるまで本当に大変だった。
17時に仕事を終えて、すぐに帰宅。晩酌をして夕食をとったら、19時には就寝。翌朝6時まで熟睡するなんてことはザラにあったし、最初のひと月で体重が6kgも落ちたくらいだった。
そんな状況だから、当然、休みの日ともなれば、一日中、ぐったりとして家に籠って寝ていたような始末。
それに加えて、
「農家の休みは雨の日が多い」
という事実が私の引き籠りにさらに拍車をかける。
農家には原則、土日の休みはない。
農業研修生は、普通の会社員のように、年間の休日日数は確保されているものの、天候に左右される農業という仕事には、決まった休みなどあるわけないのは当然である。基本的には、農家の休みは雨の日。まあ、もちろん、雨の降らない例外的なシーズンもあるのだが、総じて、休日は雨天の日が多い。
体が疲れている上に、外は雨。
そりゃもう、ますます、
「寝てるしかない」
のである。
そして、3つ目の事情。
それがコロナの流行だ。
私が小田原に移住した2カ月後の2019年の12月に中国の武漢で最初の騒ぎがあった。そのころはまだ、日本では対岸の火事だったのだが、翌年の2020年4月あたりを境に、あっという間に、外出ができなくなってしまったのはご承知の通り。
しかも、研修先の農家や、一緒に働いていた人たちは高齢の人たちばかりで、自分が真っ先にコロナに感染するわけにはいかず、感染対策はかなり慎重にならざるを得なかった。
私にとっては、ようやく農作業にも慣れてきて、精神的にも肉体的にも余裕が出来始めた頃、加えて、車の運転にも慣れてきた頃である。
遊びに行きたくても、今度は、
「気軽に外出ができなくなった」
のである。
そんな生活がすっかり板についてしまい、気がつけば、2年間の研修中は、仕事の日は小田原のはずれの里山で農業にいそしみ、休日は家に引きこもっているか、コロナが落ち着いていれば、東京の自宅に戻っているか、のような日々で、小田原市民とは名ばかりの腰掛け生活を送ることになってしまっていた。
私が小田原生活を満喫できるようになったのは、研修が終わった2021年の秋頃からのことで、ちょうどそのタイミングで、コロナの騒ぎも落ち着いていった頃だった。
これは、私にとっての特殊な例だと自認しているが、どんな事情があれ、本当の意味で移住先の住人になるということは、まずは、その土地を楽しむ、という姿勢や行動がとても重要だということだ。
ただ、住んでいるだけでは、新参者はその土地の人間には決してなれない。
移住をしたいと考えている人の中にはきっと、環境を変えたいから、自分を変えたいから、なんて考えている人も少なくはないと思う。
それも真面目で素晴らしい動機だと思う。
だが、そのもっと前に、
「移住先で思いっきり楽しむぞ!」
という遊び心を持つことこそが、移住暮らしをより豊かにするのだと、今さらながらに思い至る次第である。
なんてね。
だから、みんな。
移住したら、たくさん遊ぼうぜ!
著者プロフィール
細谷豊明(リブラ農園・代表)/1975年北海道生まれ。イギリス留学後、出版社・編集会社での勤務を経て、食品宅配事業のWebサイト、カタログ制作のチーフエディターに就任。2019年、44歳のときに小田原市に移住し、未経験ながらも農業の道へ。元エディターの経験を生かして、新規就農者の視点から農業の現実をブログにて発信中。小田原市・認定新規就農者。
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