赤信号は、自分で考えて渡れ。
「赤信号は、自分で考えて渡れ。」
恩師の現代文の先生から言われた言葉だ。
信号というものは、車と歩行者が共生するために、言いかえると、車と歩行者がともに平和に暮らすために、作られたものである。
赤=止まれ
黄=注意
青=進め
これが信号の「ルール」である。
でも、果たして車が1台もないところで、このルールは果たして必要なのだろうか。小学校で習ったように、自分で右みて左みてもう一度右みて、車が来てなかったら渡ってよいではないか。
私は赤信号、車が来てなかったら渡る。高校生の頃、この言葉を聞いてから。
轢かれたら自分の責任だけど、6年間轢かれてないので、まぁ大丈夫でしょう。
先生が伝えたかったのは、「ルールに従うんじゃなくて、それを疑え。」ということだった。ルールに思考停止するのではなく、自ら考えよ、ということだった。
(この理論の根本には、哲学的なふかーいことも言ってたと思うんだけど、忘れた。先生ごめん。笑)
「当たり前を疑え」というのが先生の口癖でもあり、私も大切にしている言葉だ。
赤信号を待つ人を見るたび、「当たり前を疑え」と思う。(だいたい私が渡ると、他の人も渡りだす。笑)
この言葉のいいところは、ほぼ毎日、信号を見るたびに思い出すことです。
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