空とラッパと小倉トースト 書評

<本作の概要>


九州の過疎地で育った主人公は、家族都合で親族のいる名古屋に引っ越す。その時に、トランペットを吹奏している少年と出会い、高校入学と同時に吹奏楽部へ入部。偶然にも、引っ越した時に出会ったトランペットを吹奏していた少年も同じ学校で吹奏楽部に入部した。全国大会金賞を目指して日々研鑽を積む主人公と仲間たち。そして、仲間たちが背負っている触れられたくない過去と対峙し、青春を極彩色に描いていく・・。

<登場する楽曲>

作中に登場する楽曲を以下に示す。
・ルイ・ブルジョアの讃美歌による変奏曲(C.T.スミス)
・ディープ・パープル・メドレー(R.ブラックモア/佐橋俊彦?)
・アルメニアン・ダンス・パートⅠ(A.リード)
・オーメンズ・オブ・ラブ(和泉宏隆/真島俊夫?)
・HAPPY(P.ウィリアムス/佐藤博昭?)
・サタデーナイト(B.マーティン&P.コウルター/金山徹?)
・宝島(和泉宏隆/真島俊夫?)
・アフリカン・シンフォニー(V.マッコイ/岩井直溥?)
・星条旗よ永遠なれ(J.P.スーザ)
・春の猟犬(A.リード)
・シング・シング・シング(L.プリマ/岩井直溥?)
・どんぐりころころ(梁田貞/???)
・ちょうちょう(???)
・アンパンマンのマーチ(三木たかし/???)
・ブリュッセル・レクイエム(B.アッペルモント)
・「GR」よりシンフォニック・セレクション(天野正道)
・呪詛、祈祷と踊り(A.デザンクロ)
・組曲「惑星」より第4楽章「木星」(G.ホルスト/建部知弘?)
・森の贈り物(酒井格)
・36の超絶技巧練習曲(T.シャルリエ)
・トランペット協奏曲より第2楽章「Nocturne」(A.トマジ)

下記3曲は本著のオリジナル作品であるが、右記の作品だと考えられる。
・メイプル・マーチ≒マーチ「エイプリル・リーフ」(近藤悠介)?
・シアトリカル・パレード≒トイズ・パレード(平山雄一)?
・行進曲「空の彼方に」≒ジェネシス(鈴木英史)?

<書評(小説視点として)>

私自身、吹奏楽を題材にした小説や漫画を読了した数は少ない。
・楽隊のうさぎ(中沢けい)※小説
・放課後ウインド・オーケストラ(宇佐悠一郎)全4巻
・ブラボー!(鶴ゆみか)全3巻
以上になる。有名な響け!ユーフォニアムなどは読んだことはない。久しぶり(7、8年ぶり?)に吹奏楽を題材とした小説を読んだ。

内容としては、帯に短し襷に長しといったところだろうか。
高校入学&吹奏楽入部

オーディションでB組(落ちこぼれ組)

2年生でマーチングコンテストレギュラー

3年生でA組(コンクール組)

全国金賞

卒業(エピローグ)

大まかな流れは、上記だと感じるが単行本246頁に収めるとなると少々物足りない部分が出てくる。しかし、学年ごとに物語を区切り、3部作となると冗長になってしまうのではないかとも感じる。
小説(フィクション)なので、ここに触れるのはタブーであると思うが、ご都合主義的な場面も少々伺える。それに乗じて、伏線の回収が手に取るようにわかってしまったのが惜しい。
著者の小説は本作以外にもあるようで、他作品がどうなのか分かりかねるが、もう少し展開に捻りがあると読み物として楽しめるかと思います。

<書評(音楽として)>

あくまでフィクションである・・が、私が吹奏楽”部”(15年前)に所属していた時と変わらない風習があるのは本書から読み取れる。

・楽譜に「絶対全国!」、「負けない」と書く
・楽譜が抽象的な芸術作品になっているものもいた。

吹奏楽”部”の風習1

あぁ、まだやっているんだなぁと。音符が読めなくなるくらいカラーペンも使って所狭しと色々と書く、全国出場や後輩の気持ちを楽譜に乗せるため何か一言書いてもらう・・楽譜に願掛けしたところで、上手くなりませんし全国大会に出場できるわけではありません。
とはいえ、私が中学生の時もそうでした。とにかく楽譜に書く。間違えた音は〇をつける、重要なフレーズは強調する・・などなど色々と書き込みました。(流石に、後輩に一言書いてもらったりとかしていないです)
話は変わりますが、中学2年生の時にピアノを習い始めました。少しでも音楽に触れたい・・というより、ピアノを習う半年前に、母が癌で他界し現実逃避をしたかったという気持ちも多少なりともあるかもしれません。
高校入学前からツェルニー30番と、ソナチネ第1巻を練習するようになり、楽譜にごちゃごちゃと書き込みを入れるようになりました。
その楽譜を見て、先生が「なんで分かっていることまで書いてるの!?こんなの書いていたらダメだよ!」とお叱りを受けて、書き込みをすべて消されました。
当時の私は怒られた理由が分かりませんでした。えっ、楽譜に色々と書くことは良い事じゃないの?と思っていました。
その後、家庭の事情&自身に音楽の才能なしと見切り、ピアノはやめてしまいましたが、ネットワークを通して様々な方と出会い見聞を広げていくうちに、私がやっていたことは異常だったのだなと気づきました。
なかでも、作曲家である酒井格さんが自身の作品について表現が当時(20歳)の私には衝撃的でした。

カットについてはしばしば尋ねられるのですが、私の作品は自分の子供のようなもの。出版されて、もはや私の手を放れたと言えども、カットされて演奏されると言うのは、我が子の手や足をもぎ取られる思いです。

酒井格さんのHPより”良くある質問

自分の作品=子供という思いは衝撃的でした。それ以降、楽譜を眺めて何か書き留めたい時は、五線紙を用意し、該当箇所を写してそこに書き留めるようにしています。もしくは、近くに付箋を貼るようにしています。効率が悪いと思いますが、他人の子供を預かっている以上、ぞんざいに扱うことはできません。ただし、作曲者や演奏者、指揮者のサインは書いて頂いています。
日本の吹奏楽は、コピー譜が大量に出回っているので、読めなくなっても新しく原譜からコピーすれば良いと考えている方も少なからずいらっしゃると思います。楽譜を大切にすることは、作編曲者、出版社に敬意を表することだと思います。そのためにも、必要以上に楽譜に書き込まないことは伝えていけると良いのではないかと思います。

髪が肩につく長さ以上の人は一つか二つに結ぶ
大きい声で全員返事をする

吹奏楽”部”の風習2

私が高校生の時も同じ部則がありました。女の子は大体同じヘアスタイルでした。返事は、理解の有無関係なしに大きな声で返事をするように言われました。返事が小さければ怒られました。
・・さて、この風習はいつまで続くのでしょうか。150人の法則(ダンバー数)に基づいて、部員数が150人以上を超えるなら何かしら組織が統率が取れるような仕組みを考えなければならないと思いますが、上記2つの行為は流石に行き過ぎではないかなと。
逆に、社会人になる時に髪の形や大きい声で返事をするが社内規則という会社に入社したいか?と訊かれ、入社したいと答える方は何人いるでしょうか?私は絶対に入社したくないです。
10代は人格形成がされる大事な時期ではありますので、モラルやエチケットが守れるような人物を目指せば良いのではないでしょうか。がんじがらめの部則にすると逆にねじ曲がっていまうのではないかと感じた次第。
蛇足ながら、(私が)高校生の時にあった部則は以下の通り。
・制服のワイシャツは第一釦まで閉める
・譜面台の高さは全員同じ(身長差関係なし)
・週末は校内の掃除。トイレ掃除、外周の落ち葉集めも含む
・メトロノームを神と崇める
+髪型、返事

・シード演奏(県大会招待演奏)で真剣勝負ではないと辟易する
・全国銅賞を取って涙を流す

吹奏楽”部”の風習3

読み物として作らなければならないので、こういう表現があるのは想像していましたが、シード演奏を真剣勝負ではないと表現するのは流石に行き過ぎではないかと・・。
誰だって、試験を受けるなら合格が欲しいですし、1位、2位、3位などの順位があるなら1位が欲しいですよね。では、賞と順位が付かないステージは真剣勝負ではないということでしょうか。いやいや、音楽を奏でたい、楽しみたいから吹奏楽部に入部されたのでは・・?
「賞の結果云々抜きに、一人でも多くのお客さんに感動してもらいたい」的なフレーズがあると嬉しかったのですが、日本の吹奏楽がコンクールを主軸に動いているという証拠ですかね。
あと、全国銅賞で涙を流す・・これについては賛否があると思いますが、名電高校をモデルとしている以上、この表現は頂けない。
初代顧問である松井郁雄さんは「全国大会はお祭りだから」と仰っていたそうです。mixiに名電高校吹奏楽部のコミュニティが過去にありましたが、そちらの記事を拝読する限り、賞にこだわっていなかったようです。また、私がお世話になった先生が松井郁雄さんと親交があり、そのようなお話を伺いました。
現在の名電高校の集合写真を拝見すると、最前列の部員が松井郁雄さんの写真を持って写っているのを度々拝見します。今でも松井郁雄さんの意思が受け継がれているのではないかと私は思っています。賞にこだわることはよくないというフレーズはありましたが、全体の1%未満だったのが残念でならない。

<音楽が付属品になっている吹奏楽>

ネット通販サイトなどを拝見すると、レビューを書かれている方が数名いらっしゃいました。中には、小学生のお子様が吹奏楽部に興味があり、本作を手に取られた家族の方もいました。
また、著名人や全国的に有名な吹奏楽部顧問の方など、本著を絶賛されておりました。
これが日本の吹奏楽だと認識されるのは、正直悲しいです。
本作を拝読して、登場した楽曲を拝聴したいという方はいらっしゃるのでしょうか?音楽を文章で表現するのは至極困難であることは重々承知していますが、青春(努力、涙、汗、友情)・・などの要素が前面に出ており、そこに音楽(楽曲)が付属していると感じます。
日本の吹奏楽が鑑賞する音楽にならない最たる理由は、音楽が付属品になっていることではないでしょうか。Twitterを徘徊していますと、たしかに吹奏楽を鑑賞されている方は沢山いらっしゃいます。CD、生演奏問わず楽しんでいる方が多いですが、その根幹にあるのは全日本吹奏楽コンクールで演奏された自由曲や課題曲が大きな軸となっています。純粋に、吹奏楽の響きや吹奏楽でしか楽しめない作品を鑑賞したいという方は僅かではないでしょうか。
ドラマ、アニメを希望される方もちらほらとネットで拝見しますが、そこに音楽はあるのでしょうか?お菓子のおまけ的な扱いになっていないか・・と感じます。

<エンターテイメントな吹奏楽>

昨年初春にTwitterのフォロワーさんとZoomで対談させて頂きました。そこで、フォロワーさんが日本の吹奏楽について以下のように言及されていたのが印象に残っています。
「日本の吹奏楽って、エンタメでしょ。軽々に使う言葉ではないけど、芸術ではないですよね」
合唱、マンドリン、アマチュアオーケストラなど大人数で行う音楽がメディアに取り上げられず、吹奏楽ばかりがメディアに取り上げられるのはこれに尽きると感じます。
本書を通して、日本の吹奏楽が目指したい未来は、過去も現在も変わらない、今と同じ道を進みたいと感じました。ただ、コロナ&少子化の影響で今まで大編成でコンクールに出場していた学校が、半分以下の人数で出場している学校を見かけるようになり、今後、小編成部門を拡充or新しい形のコンクールが生まれると考えられますが、結局のところ、コンクールという足枷からは一生抜け出せないでしょう。その先にあるものは、吹奏楽という音楽でしょうか?

いつまでもスポーツ根性論で通すのではなく、音楽を演奏する楽しさ、鑑賞する楽しさを伝えられると良いかなと願っております。雑駁で書き散らした文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方に妄言多謝。

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