床からの距離ではなく天井からの距離
その物事を深く理解していくプロセスでそれまで思っていたのと逆のことって結構あるよね、という話。
これはネガティブではなくむしろポジティブなこと。というのも理解の深化の通過儀礼であり、それを感じたということはフェーズが1つ進んだということだからだ。
箱根の天山湯治郷に訪問。
ここはずっとコロナ期間サウナが停止されており、再開したと噂を聞きつけ訪問。蒸風呂という名のスチームサウナ。二重扉となって保温性が高い。天井が低く、屈まないと天井に頭がぶつかってしまう。
これが非日常感で楽しい。熱源はストーブではなくスチームで独特の香りがする。
1セット目に入った際には利用者がおらず貸切状態であった。マットがギザギザの台(言語化不可)に置かれており、そこに座った。
「なんでギザギザになっているんだろう。お尻が少しチクチクするけど、もしかして骨盤を立たせて座れるデザインになってるのか、ほぉ〜」と坐禅を組むように台の上に座った。
3分もたたないくらいか。次の利用者が入ってきた。2人組であった。その方たちはギザギザの台からマットを手に取り床に敷いた。そして座った。
やってしまった。
ギザギザの台は使い終わったマットを床から離して乾かすための台であり、座る場所ではなかった。ギザギザに抱いていた多少の違和感の正体が明確になった。
このサウナは床にマットを敷いて座る建て付けとなっていたのだ。ただ僕が座っているのはギザギザの台の上。彼らとの目線の高さに違いが出ている。
ただ男としてここから後に引けない。
激しい心の葛藤と戦った結果わこのまま信念を貫くこととした。他の利用者の方も入ってきて6人で満席になった。
ただ僕が座る場所がズレているので、片側だけ歪な形になってしまった。ギザギザの台を挟んで座るはずなのに僕がギザギザの台の上に座ってるので隣の人との距離が近い。
ここから1分間の体感は長かった。
戦っているのは熱さではなく、コイツ間違ってるな、の視線。これ以上は熱さではなく視線の痛さに耐えられず脱出。
とにもかくにもこの1セット目の経験を活かして2,3セット目は威風堂々とマットを敷いて堪能した。
今回学んだことはギザギザの台は座る場所ではなくマットを乾かす台だよ、ということではない。
天井が低く床に座る建て付けだったので、出る際は天井付近に頭がくる。床で座っていたときよりも顔を包むスチームが熱い。
これだ。
サウナの熱さの設計って実は「床からの距離ではなく天井からの距離」なんだなと感じた。サウナの床からどれくらいの高さの段を作ろうかではなく、天井からどれだけ距離を空けて段を作ろうかが正しいのだ。
当然だが熱い空気は上の方に集まる性質がある。つまりどれだけ床から離した上段を作ってもそこから天井までの距離があるならばあまり熱くない。
テントサウナでも椅子に座って楽しむようになるべく天井付近に近づけるようにする。大事なのは床からではなく、天井を起点として温度の設計をすべきなんだなと気づいた。
こういうことってよくある。その物事を深く理解していくプロセスで、思っていたのと逆だった!って結構ある。これが回のテーマだ。
例えば、水泳のクロールで速く泳ぐには頑張ってクロールする回転数を速めるよりも、1クロールでしっかり水をかいだ方が速く泳げるような感じ。
こういう気づきは学びの通過儀礼であり、それを気づいたということは理解が深化した証と捉えて良い。そんなことを気づかせてくれた蒸風呂サウナとギザギザの台であった。
水風呂は窯風呂サウナの目の前。おそらく沢の水で塩素の匂いは全くしない。17-18℃ほどで水質的に肌触りも良い。深さはないがわ広いので浮遊することもできる。不思議だがなんだか他のところよりも浮遊しやすい。水の性質の違いを楽しめる。
外気浴は畳の休憩場所で横になってできる。僕は外気浴は横になりたい派なのでありがたい。天井を眺める形になるので天井にも遊び心を取り入れられると更に良くなりそう。現在は排気口が見えるのでもったいない。
天山は休憩スペースも豊富で建物の設計も非日常感を得られるのでほの世界観が好きだ。奥行きのある建物って凄く好きで俗世から離れていくようでワクワクする。僕もサウナを作るならこういう建物を作りたい。
箱根は箱根湯寮や天山などサウナも楽しめる場所があるので、ファミリーで行く際にはサウナ好きにとっても良い選択肢だ。
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