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【発達障害の長男#4】保育園の3年間、一人も友達ができない。(そして私にもできない。)

息子が3歳で保育園を転園し、年長さん頃までの事を思い出して投稿します。診断は小学校に入ってからなので、この時点でまだ発達障害とはわかっていませんでした。今回書きましたが、その間にとても辛い事があり、私の記憶は1年ほど曖昧な状態です。なので、覚えている事が少ないです。

長男が3歳になった頃、私は第2子を妊娠していて、長男の時とは違い経過も順調だったので、予定通り横浜へと引越しをすることにした。5月に引越しをしたため、新しい土地での息子の幼稚園探しは大変だった。なので2年保育にして1年は家で過ごそうかと思っていた。

引越しをして新しい産婦人科も決まり、いろいろと落ち着いた、と思った矢先、お腹の子の胎動が1日感じられない日があった。7ヶ月目に入った頃で、毎日胎動は感じられていたのに、その日はなかった。その翌日もなかった。不安になり、検診の日ではないけれど、一応病院へ行って診てもらうことにした。

旦那と長男はあまりの待ち時間の長さに、外で遊んでくると言って、私一人で呼ばれるのを待っていた。

呼ばれてすぐに事情を説明し、エコーを見たら、私でも分かった。
「なんか、生きてない・・・」
医者の説明もあまり覚えていないが、
「心臓が動いていません。おそらく、既に亡くなっています。」
と言われたような気がするが、エコーを見て十分にわかった。

その後から本当に記憶がないが、診察室を出てすぐに外に出ている旦那のところへ行って泣いたのを覚えている。そのあとは、多分、手術の説明とか火葬の手続きの話とかされたと思うが、全く覚えておらず、次の記憶は亡くなった子を外に出すための陣痛と、死産した静かなその瞬間。火葬の前に見たティッシュの箱くらいの大きさの棺。それから、真夏の納骨の日。

長男は当時3歳3ヶ月。どんな反応したかとか、どんな風に説明したのか、とか、、そのあといつ保育園に行くことになったのか、、覚えていない。

あまりに落ち込む私を見て旦那が、外に仕事にでも行ったら?と言ってくれてあまり何も考えてなくてもいいようなデータ入力のパートに出たから、きっと保育園に入ることになったのだと思う。手続きも誰がやったのか、私がやったのか、、。

それまで息子の成長のことで悩んでいたのは確かだが、「子供の死」を経験し、自責に苛まれ、自分が毎日生きるのが精一杯になってしまっていた。

しばらくは子供はもう息子だけでいい、と思っていた。1年くらい経って旦那と相談して犬を飼い始めた。

息子が年中さんになった頃、「おじゃる丸」にハマり始めた。ハマり方は独特で、ひたすらマネをする、という。。おじゃる丸のどこかのワンシーンを永遠に繰り返すというものだった。ま、楽しそうにはしていたが、ずーっと同じシーンなので、聞いてるこっちまで覚えてきた。

新婚旅行の代わりにこの頃、3人でハワイに行ったが、ハワイの海でもおじゃる丸をやっていた。

それから運動会では、音の過敏さが際立った。運動会といえば、ずっと何かの音楽がなり続け、アナウンスの人が「ほら、赤組さん、がんばれ!」とかずっとしゃべっている。かと思えば、ピストルの音もパンパン鳴り響き、歓声も大きい。

息子はずっと耳を塞いでいた。何でそんなに耳を塞ぐんだろうと当時思っていたが、多分、そういうことなんだろうと思う。それから、スターターの先生のピストルの真似をしていた。

かけっこでは、ゴールのところに向かって走れず、私のところへ一目散に走ってきた。確か、先生がゴールまで一緒に走ってくれたと思う。
年長さんの時には、一人でスタートからゴールまで走れて、号泣した。ビリなのに、号泣したのを覚えている。

母の日には、「お母さんの似顔絵」を描くのに苦労した。先生が下書きとして私らしき顔を描いてくれて、息子はそれをなぞって、色を塗った。
七夕の短冊も願い事が書けなかったらしい。多分、願い事の意味がわからなかったのかもしれない。当時、息子はなぜか、キャスターの安藤優子さんにハマっていた。先生が多分冗談で、「安藤優子さんに会いたい?」って聞いたら、「うん」と答えたらしい。 なので、それを願い事にしました、、と先生に言われた。息子は夕方の安藤さんのニュースに間に合うように帰りたがった。

飼っていた犬との生活にも慣れてきて、犬となら遊べるようになっていた。ものを投げて取りにいかせたり、なでなでしたり、お散歩についてきたり。犬を飼う前は怖がりだったので、犬が平気になったのはこの犬のおかげだと思う。

保育園では相変わらず、友達はいなかった。お迎えの時に、一緒に待ってたお友達が出てきた時に、そのママが一緒に遊んでいく?と言ってくれたのだが、そのお友達に、「この子はつまんないからいい、帰る」と言われた事があった。落ち込んだ。そんな言い方しなくてもさー、とも思ったが、ママはその子を叱り、私にも息子にも謝ってくれたが、子供は正直にそう思ったんだろう。

親子遠足はほんとに、寂しい親子だった。子供には友達がいないので、引越してきた私にも友達ができず、親子二人で過ごした。時々話しかけてくれる親子もいたけど、息子がマイペースすぎて、遠慮した。息子はママと二人で嬉しそうにしていたが、特に弾む会話もなく、「おじゃる丸」独演会状態。

私もこういう時におしゃべりできるくらいのママ友が欲しかったが、最終的には諦めた。図書館でたまたま目に入った「孤独力」という背表紙を見て諦めがついた。

おかしいな、3歳児検診クリアしたのって、何だったんだろうか。明らかに変。今思うと、呑気すぎ。せめてこの辺で療育センターに連れて行けば良かったと思うが、本音は多分、息子の成長がおかしいということには気づいていたけど、知るのが怖かった。本当に情けないけど、現実からまだ逃げていた。

年長さんになって、保育参観があった。私は当時長女を妊娠していた。参観の日、お腹が少し張っていたので、旦那に代わりに行ってもらい、ビデオを撮ってもらった。帰ってから楽しみに見ると、愕然とした。

折り紙の時間だった。やっこさんを作っていたが、これが全くできない。
「青色の折り紙、みんなあるかな〜?」
「ある〜〜〜!」と言って青い折り紙を手にする子供たち。さて息子はといえば、そもそも先生の話を聞いていない。座ってはいるが、頭は全く別のところにいるというのは、見ればわかった。

先生が事あるごとに、息子のところへ行っては声をかけたり、青い色紙を手に持たせたり、普段から細かくフォローしてくれている様子は伝わってきた。っていうか、、普段からこんな感じなのかなぁ、、と思った。

折り紙も折れず、隣の女の子が、チャキチャキと息子の分まで折ってくれていた。ありがとうも言わず、折ってくれたやっこさんには興味なし。

保育参観のわりとすぐ後に、「面談希望者は面談します」という期間があったので、面談をした。
「先生、うちの子、なんかおかしくないですか?この前の保育参観みましたが、何もできてなくて、、、」
「うーん、一斉指示がなかなか通りにくいお子さんっていうのはありますねぇ」
「それって、何かあるんでしょうか。。」
「ご心配であれば、児童相談所に問い合わせてみてください」
「児童相談所?」

面談で30分近く話して、息子が描いた作品や工作などを見せてもらった。ほとんど、先生が(ほぼ)手伝ってくれたものだった。それから、普段の園での様子も聞いた。給食を食べるのが遅くて、時間が終わってもお口の中にいっぱい入ってるとか、お友達と関わらない、とか、、、ハサミがうまく使えない、とか。。

家でも食べるのは遅くて、リスのようにいつも口がいっぱいだった。

翌日に早速、児童相談所に電話し、そのまま療育センターを紹介された。ただ予約がいっぱいで、初診は4月だと言われた。4月といえば、、、もう小学生になっているではないか。あんなに逃げていたのに、そうとわかると焦った。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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