(障害があって)「申し訳ございません。」
私には発達障害のある子供が3人います。一番上の長男はASD・発達性協調運動障害・ADHD・知的境界域、長女はADHD・ASDで不登校は既に1年がすぎ、次女はASD・知的境界域、おそらく算数に関してはLDがあると思われます。
子供の障害が分かってからというもの、配慮をお願いする場面がたくさんありました。だから、
「申し訳ありません。」
「ご迷惑をおかけいたします。」
「お手数をおかけしております。」
この言葉をこれまで何度、使ったかわかりません。
でも、これを何度も言っていると、
(障害があって)「申し訳ありません。」
(障害があって)「ご迷惑をかけいたします。」
(障害があって)「お手数をおかけしております。」
というふうに自分の心の中で前置きがついてしまったりします。
もちろん、担任の先生や校長先生、専任の先生、習い事の先生方には、こちらのお願い事を聞いて頂かないといけないので必要な事だとは認識しています。
でも、比べても仕方ないですが、ふと、障害のない子だったら、こんなに毎回毎回、謝ることもないだろうな、と思う時があります。障害があるからこうやって謝る回数が増えるんだろうな、、と。
実際、長女の障害は中学校でわかったので、小学校の時は唯一、何のお願いもしませんでした。あ〜、普通の子はこうやって何もなく進級していくのね、楽だわと思いました。(今となっては、それも微妙だったのですが😓)
先日、次女の進学先の中学校に説明をしに行った時、校長先生、専任の先生、生徒指導の先生の3人にお集まり頂いたのですが、専任の先生、生徒指導の先生の興味のなさそうな態度に、だんだん怒りが込み上げてきました。
もちろん、大人なので、ここで波風立てては子供に跳ね返るだけだ、と分かっているので、低姿勢を貫きました。そして、やっぱり、
「お手数おかけして大変申し訳ございませんが、よろしくお願いします。」
とそんな人たちに言わなきゃいけない屈辱。
怒りを通り越して、悲しくなりました。喉まで出かかりました。
「うちの子に、障害があってすみませんね。こうやって頭を下げて、たくさんのお願い事をしなくては、学校生活も普通に送れない娘ですみませんね。そりゃ、めんどくさいですよね。」
でもね、言えない。
救いだったのは、校長先生が熱心にメモをとり聞いてくださったこと、最後に具体的な対応方法について質問してくださったこと、現状でできる事、できない事があることを正直に仰って頂いた事。そして、それが校長先生である事。
説明・お願いをした時に、こうやって興味を持って聞いて頂けた時や、理解してくれようとした時には、
「ご理解いただき、感謝申し上げます。」
と自然と口から出る事が多いのですが、この言葉は、本当に感謝していないと出ません。今回は、校長先生の目だけをみて、これを言いました。
私の密かな抵抗でした💧
理想はですよ。説明だけでいい事。お願いじゃなくて。
一緒に育てる。
こういう子なんですよって説明して、その先はどうしたら良いか先生と一緒に考えるような。親だからって、全ての正解を知っている訳ではありません。ただ、我が子だから、誰よりもその子に興味を持って接しているだけなんですよ。興味があるからたくさん調べるし、少しでも生きやすいようにどうしたら良いか考えている訳です。
親にどうしたらいい?と聞かれても、困る時だってたくさんあるんです。
正解を持ち合わせないまま、育てているんですから。
同じ熱量で、とまでは言いませんが、せめて興味を持って「一緒に考えて」くれたら、「お願い」なんかしなくても、成長する事ができると思うのです。
「申し訳ありません」、じゃなくて、「ありがとうございます」の回数が増えると
いいな、と思います。
うまく伝えられないですが、少しでも伝わるといいな💕と思います。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
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