タイトルサイズscan-17

栗子隧道(番外編)

出典:栗子トンネル工事誌1968年東北地方整備局福島工事事務所

初代は、明治9年着工、四年後の明治13年に貫通し、翌年明治天皇が巡幸の折に「万世大路」と名付けられるほど、重要な道路が完成した。

写真右側に初代隧道が見える。

当時はまだ自動車がなく、通行するのは人と馬と大八車で、勾配も幅員も適当であったそうだ。

この万世大路の開通によって日々の旅客物資の交流は盛んで、街道は宿屋や遊女屋までできたほど繁栄していた。

また、冬期は降雪が多く、雪踏みとして米沢刑務所から服役囚が配置され、さらに物資の背負い夫が常駐していたと言われている。

初代隧道はすでに崩落しており、昔の面影が残っていない。

初代隧道の中から

初代隧道の側壁にのこるノミの跡。

しかし、明治32年に南奥羽線(福島~米沢)の鉄道が開通したことによって、人と貨物の通行が全く途絶えてしまい、街道や隧道は第一次荒廃期を迎える。

時が動いたのは、自動車交通の発達により道路整備が望まれた時であった。

初代隧道では自動車の通行が困難であったため、昭和9年に国の直轄工事として着工し、昭和10年に二代目の栗子隧道が竣工した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?