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迷い、悩んで、また一歩。

2020年も9月にはいりました。

そして、個人的には、
会社をやめて休みつつゆったーりし始めてから、
1年がたちました。

あっという間です。

1年でなにかが劇的に変わったわけではありませんが、
一応そういうタイミングになるので、記録として、
ちょっと自分の現状を振り返っておこうと思います。
(長めの駄文になりますので、ご容赦を・・)



もともとは、
2年前ほど前に一度休職した経験から、その後転職も一度したけれど、
やっぱりなかなか元どおりの感じには戻れなくて、
というか無理に戻らなくてもいいんじゃないか、とも思って、
ちゃんと休んだ方がよいんじゃないかなって自己判断して、
改めて少しゆっくりする時間をもとうと思ったのが、
ことの始まりです。

そして、この機会に、自分がなるべくいい状態を保ちつつ、損得なしでも、本当にやりたいなって思ったことをやってみよう、そんな塩梅を模索していた1年間でした。(現在も進行中かな・・・)

「休みつつゆったーり」とはいっても、全く仕事をしていなかったわけではなくて、やっぱり常に探してました。
(金銭面でやはり心細かったので・・・)

そして、幸いにも、心から自分がいいな、関わりたいな、役に立てたらいいなと思えた場所とご縁があったので、細々とお手伝いをしたりとかしてました。フルタイムではなく、二つの場所でそれぞれ時間をとって部分的に働いていました。

その一方で、ミュージカルや社会人学校などの方に夢中になって楽しんでました。

好き勝手やってるけど、詰め込みすぎず、
わりとストレスフリーな生活を送れていたと思います。

以前に比べて、旅とかはなかなか行くことはできなかったけど、このコロナ禍においても比較的、落ち着いて過ごしていました。

食事もちゃんととれて、健康に過ごすことができている。
この事実は、一番ベースの部分ですしね。

好きなことに関われているのも、これだけで嬉しいこと。




こうみると、「よさげ」に見えるんですが、
でも、時折、以前抱えていたような不安がでてきたりもしてます。

親しい人には、いつも、
「焦りがち」「急ぎがち」と言われているのですが、
今の働き方にしてからそのような感じからやっと開放されてきたのかなーと思った矢先、また不安になっちゃいました。

ずーっと、走り続けてきたから、いまはお休み期間・回復期として、時間をとってもいいのではないか、そういう時間をとろう、と思いつつも、
やっぱどこかで焦ってしまう。

そんな自分が、まだ、いる。

いきたいな、じぶんがこっちだな、
って思ってるものがあるはずなのに、
そこへの行き方がわからないのか・・・。

でも、それって正解があるものじゃないから、
手探りで自分なりに進んでいくしか、道はない。

そのときに、どうしても、やっぱり経済的自由が満たせていないことが、不安要素になってしまうのかな・・・。



話はちょっと飛びますが、
冒頭、「好き勝手やっていた」とはいったけれど、
仕事辞める直前は、なんかこのまま生きていたくないな、って思ってしまった時もありました。なんでそこまでして生きているんだろうって。

命があるのはすごい有難いことだけれども、でもそう思ってしまって。

せっかく生きるなら、心の底から心が動いたことに、自分の時間を投資していけたらいいなって。動的なことも、静的なことにも。

そういう流れのなかでの、「好き勝手やっていた」でもありました。

そのなかで実際に動いてみて、
「あ、やっぱ、これ楽しいな」
とか、
「わくわくするな」
とか、
「これ、私すきだな」
とか。

そういう感情がまた戻ってきて、
嬉しかった。

まだ心動くんだ、わたし、って。笑

ちょっと、大袈裟かもしれないけど、
生きる希望、みたいのもでてきて。

でも、ふとした時にまたフラッシュバックというか、
”どこにも居場所がない感”におそわれる。

そんなわけはないんだけれど、
ふと、思ってしまう。



私の中の根本に、
「いままで出会ってきた人々に育てられた、そのおかげでなんとかここまでこれた」
って感覚がすごくあるから、
「その人たちに、恩返しがしたい」
って気持ちがあるんです。

でも、これはお金とか名声とかではなくて、要はなんでもよくって、
自分がこれだって思ったことを自信を持って
「こんなこといまやってるんです、すごくいま幸せです!」
ってそんな報告ができたら、
とかって。

そんなの誰も待っていないと思うけど、
勝手にそう思ったりする。

要は、認められたいと思ってるのかなぁ。

でも、そんなの勝手にしてろって話だし、
結局自分にはなんもないな、とかって思っちゃって、
ずーんって勝手に落ち込んだり。

どんどん、ネガティブになって泣けてくるんだけど、
そこからどう抜けたらいいかわからなくなっちゃうこともあるんだよね。

いつだって、悩んでる。

悩む内容はちがったとしても。

それはやっぱり、どこかで、
よりよく生きたいっていう本能なのかな。

生きたくないって思ったときがあっても、
やっぱり生きたいんだよね、きっと。
そして、誰かに認められたいんだよね、きっと。

こう、一度くだっていくと、なかなかあがってこれない。

しばらくしたら、忘れるんだけど、トゲのように刺さっている。

コンプレックスみたいなもの。



心が病まないように、
だからこそ、
ぼーっとあらゆることから解放される時間、
自然の中でのんびりする時間、
って大事だと思う。



1年休んで改めて見えてきたことは、
結局、稼ぐ力をもっとないと、不安はつきまとうのだということ。
(最初からわかるでしょ、って思うけど、改めて、ね・・)

いくらお金という資本以外が満たされたとしても、
多かれ少なかれ、この先も、それはあるのだろう。

なんか、ジメジメしちゃったけど、
でも、少なくとも、攻めの姿勢ではないかもしれないけど、
維持するために進む、身近に実直にちいさくはじめる、
っていうことは自分にもできるのかな。

大きな一歩じゃなくて、小さな一歩を踏み締めていく。

安定しない気持ちは続くかもしれないけど、
いきなり手に入れようとするのはちょっと無理だから。

あとは、今ご縁があることに、
しっかり誠意をもって取り組んでいくこと、かな。



自分の心の琴線にふれることって、なんだろうな。
ただなにかつくりだすことに没頭したいっていう欲求は
ひとつあるのはみえている。

でも、それはすぐにお金になって社会的価値の出るものではなくて、
それだけだと生活ができないから、
収入を得る何かを"しないといけない"。
(このマインドもちょっと引っかかっているんだけど・・・)

っていう思考の順番になっているのかな、いまは。

ちょっと羅列すると、
「生活文化に携わる」
「知恵や歴史を学ぶ、伝える」
「五感を育てる」
「自然、美の意識を大事にする」
「一見意味のないものを愛でる」
この辺りのことに興味はある。

なんだろうね、これは。笑



今日はかなり、ぐるぐるぐるぐるしていて、
文にも迷いがみえるけれど、
自分を勇気付ける言葉として、
最後は前向きにしめていきたいとおもいます。笑

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時間の概念の話で、
結局はぐるぐるしているようにみえて、
ちょっとずつちがう。

ちょうど螺旋階段のような。

同じ景色を見ているようだけど、微妙にすすんでいる。
人それぞれのペース。

だれだって、苦労や努力の結果で
今の姿があるのだから。

ゆるりと自分のペースで。

その時に、案外、何も考えない、とか、何もしない時間って、
大事なのかもしれない。

無駄な時間なんて、何一つとしてない。
効率的じゃなくても、
明確な大義名分がなくても、
理由なき行動があったっていい。
本能や直感にしたがったていい。

直感が鈍い時は、休みたい時なのかもしれない。

有限の時間をどう生きるか、というなかで、
生きる意味なんて、求めない。
無駄上等。
そんなふうに気楽にいけたらいいよね。

そして、やりたいと思った時が旬。
強く思い描けばきっと叶う。
そして実現に向けてコツコツ頑張る。
自分の感覚は信じたっていい。
答えはいつだって自分の中にある。
比べるのは意味がないし、
焦らないで、ゆっくりと、一つずつ。

これは、いつだって、「真」だと思うから。

視点をかえてみよう。

感覚や嗅覚を研ぎ澄ませていこう。
いまやっていることを膨らませていこう。

ないものばかり求めないで、
あるものを工夫していく姿勢で。

結局は、長い目見たら
「急がば回れ」。
「千里の道も一歩から」。

ぼちぼちいこうか。

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今日はここまで〜

夜の駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました☺️

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