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三日坊主の私がnote執筆三日目を迎えた

note執筆を初めて三日が経過した。
Facebook、Instagram、X、YouTubeを始め、SNSプラットフォームでの一攫千金を狙い、毎日投稿や決まった時間に投稿することを始めてみては、三日続かず今日を迎えている。

老若男女国籍問わず、こんな私のような人は数えきれないほどいるだろう。もちろんフォロワーが伸びることもなく、広告収入なんて貰えるわけなんてない。爆買いするインフルエンサーや、おしゃれな国でおしゃれな旅行をするおしゃれなモデルのVlogを目にしては、羨むことに、体力と時間と判断力を奪われ(自分で選択しているのだが)自責の念を感じていた。

いつから私は他人を羨むようになったのだろう
他人と比較して、自分の現状を憂うようになったのだろう

何が言いたいのかというと、私がnoteを三日続けられている理由と、
他人との比較に気を揉むようになった原因がわかったのだ。

一見この二つのことは全くリンクしなさそうだが、私の中ではめちゃくちゃ繋がっている。

さぁこの繋がりを紐解くべく、時間を15年ほど前に戻そう。

私がまだ10代後半から20代前半の頃、mixiというSNSが大バズりしていた。
毎日面白いかどうかもわからん日記のような記事を書いて、写真をたくさんアップして、身近な友達と盛り上がっていた。
mixiはSNSの先駆けだった。
ただ、繋がっていたのはリアルで絡んだことのある友人知人が基本で、身内ネタばかりで盛り上がっていた。私にとってのSNSはリアルが前提のネット上のコミュニケーションでリアルの延長だった。

mixiのネタでリアルが盛り上がる。

これが常だった。

自分の手の届く範囲で起こっていることに楽しみを見つけ、仲間とシェアする。知らないどこかのお金持ちや、すごい人なんて私の世界には存在しなかったのだ。
だから私は、自分のことに集中できたし、周りの世界を気にする必要がなっかった。

この時の私は決して三日坊主ではなかった。
なぜならダンスにはこの時代に出会っているからだ。
ダンスは今まで16年間続けている。
SNSの情報に私がただ翻弄されていて耳障りのいい情報ばかりに耳を傾けているからこうなったのだ。

mixiは毎日更新していた。
ダンスは16年続いている。

私は三日坊主ではない。

私の中でnoteはmixiに似ている。
自分の考えを誰に評価されるわけでもなく、ただ書くことができる。私がnoteを三日続けられている理由はmixiに似ているからだ。

私はSNSで変わったが、SNSで本来の自分を取り戻そうとしている。
ありがとうnote。

文章を書くことの喜びと、自分で考え、文字に起こすこの気持ちの昂りを思い出させてくれて。

読んでいただいた方はわかると思うが、私は論理的思考や、順序立てて物事を話したり書いたりできない。
だがこうやって書く場所があることは何よりの救いだ。

上手い文章なんて書く気はない。
今日も世界一になると信じて1日を過ごす。

それでは取引先の銀行に決算の報告をしてきます。
行ってきます。




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