にじさんじの界隈化と箱としての衰退

noteでVtuberのあれこれを書いた記事が散見されたので、便乗して筆者がVtuberについて思っていることを投稿する。


Vtuberの需要のうち箱推し需要というのは非常に大きなものであることは、現在のホロライブを見るに明らかであろう。ホロライブ5期生が初配信や登録者数で凄まじいスタートを切ったことは記憶に新しい。このことから、例えひととなりが不明であっても、ホロライブであるだけでチャンネル登録をして配信を見に来る人、つまりはホロライブの箱推し勢が非常に多いことが伺える。

一方にじさんじはどうなっているだろうか。こう単純に比較するのは失礼かもしれないが、ホロライブ5期生と同時期にデビューした世怜音女学院の5人のチャンネル登録者数は9/4現在はまだ10万人未満である。

この差は果たしてどこから来ているのであろうか。箱としての規模感の違いと済ませるにはいささか大きすぎるこの差は、箱推し勢の数の差から来るものではないか。

即ち、ホロライブであるというだけで無条件にチャンネル登録をして配信を見る人数と、にじさんじであるというだけで無条件にチャンネル登録をして配信を見る人数は、少なく見積もっても倍以上は違うのである。ここに、ホロライブと比較しての、にじさんじの箱としての弱さが明らかになった。

次に、このにじさんじの箱としての弱さがどこから生じているのかを考える。といってもこれはもう明々白々なことで、にじさんじ所属のライバーの人数が箱として多すぎるからである。私のように2年以上にじさんじを追っているようなファンは、にじさんじに所属するライバーであれば、例え普段の配信は見ていなくともコラボやTwitterの雰囲気で大体のひととなりは分かるはずである。そしてそういうファンがにじさんじという箱を箱として最大限楽しめるわけだ。なにせ、企画という企画、コラボというコラボ皆すべて知ってる人ばかり。これこそが内輪ノリの極みである。そしてこういうにじさんじファンがnoteでこういう記事を声たかだかに書きがちである。

しかし、新しくにじさんじを見る人の立場としてはどうか。

例えばFPS好きがAPEXの配信をやっている葛葉(以下敬称略)からにじさんじを見始めたとする。そこからコラボの多い叶の配信も見始めるのは自然な流れであろう。そこから叶とマイクラでコラボしている星川サラを見て、その同期のフミと山神カルタを見てそれからフミとコラボする文野環を見てそれから…

こんなことになるのは恐らくごく一部の視聴者だけである。FPSの上手な配信を見に来たのに、何が悲しくてよく知らない音質の悪いVtuberがマクドナルドの闇を語っている配信を見なきゃならんのだ。

にじさんじはライバーの人数が多く、またそれぞれの得意とする分野も様々である。これは、にじさんじという界隈の多様化には非常に大きく貢献している。

歌を聞きたければにじさんじを見ればいいし、FPSを見たければにじさんじを見ればいいし、ホラゲーを見たければにじさんじを見ればいいし、面白い雑談が聞きたければにじさんじを見ればいい。

この界隈としての完結度はにじさんじに叶うものはいないだろう。ライバーが増え、にじさんじの多様化が進むほどに、にじさんじは界隈として完成していく。しかしそれは同時に、横の繋がりの希薄化、即ち箱としての弱体化が進むことを意味するのだ。


以上でこの記事の本論は終わりである。最後に、この記事では界隈や箱といった言葉を私が個人的な解釈をしており、一般に使われる意味とは異なる部分があること、そして、私は一介のVtuberファンに過ぎず、この記事もおそらく個人的な偏見に満ち溢れているであろうことを、誤解を防ぐために明記しておく。

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