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再受験を考えるJKユキコの衝動

私は今都内の私立大学に通う大学3年生です。
私は今他人から見たらとても簡単な、けれども私から見たらとても難解な悩みに頭をもたげています。

というのも、以前私は美大志望のどこにでもいる平々凡々な浪人生でした。
他学部で多浪というと医学部ぐらいで、他の学部の人の目には二浪は珍しく映るかもしれません。
けれども、美大で浪人というのはあまり珍しくない上、二浪なんていうのはザラで、私が通っていた予備校には7浪や8浪なんて猛者もいました。

そういった環境でしたから、勿論私は真面目に勉強していましたが、心のどこかで、まぁ今年ダメでもあと何年かしたらどうにかなるのではないかと人生を楽観的に捉えていた節がありました。
しかし、二浪目のある日、この考えが本当に楽観的すぎであったことを思い知ります。

その日私は予備校が休みだったので、自室にこもって好きな作家の新刊を読み耽っていました。
すると、ノックもせずに部屋の扉を少し開けた母がちょっとと私を呼び出すのです。
何だいいところなのに。お使いかな。と呑気に話を聞いてみれば、今年ダメなら一般の学部に行きなさい。といきなりのハードパンチです。

元々私の親は私が美大に通うことをあまりよく思っておらず、所謂、普通の大学へ行って、普通の会社に入って、普通に結婚して。という普通というにはあまりにも難しすぎる世間一般での普通な人生を私に望んでいました。
当然私は、どうしても美大へ行きたかったのでそれから今までより一層力を入れて一生懸命勉強に励みました。
けれども結果は残念ながら不合格。藝大の壁は私には高すぎました。泣く泣くせめてもと美術史を学べる大学へ入り今に至ります。

皆さんの中には、他の美大は受けなかったのかと疑問に思う方がいらっしゃるかと思いますが、当時の追い詰められた異常な精神状態の私にとってみれば、藝大以外は美大ではなく、藝大じゃないところで学ぶことなど何もなかったのです。
こういった謎の選民思想やプライドの高さ、常軌を逸した拘りというのは数多ある代表的な人間の欠陥のうちのひとつだと私は思います。
でも、こういったものがなければまた向上心が生まれることもなく今のような文明の発展はなしえなかったのではないかとも思います。

このように私は当時ある種病気なようなものに罹患しており、まさに背中の傷は剣士の恥だ。ぐらいの勢いの思い込みで藝大以外で学ぶということは絵描きの恥だ。と他の美大を一つも受けることはありませんでした。

落ちた当初はとても悔しく悲しかったのですが、大学へ入ってみればそれまで縛り付けられていた分、大学生というその自由溢れる身分が嬉しく、しばらくはしゃぎ倒していました。

けれども、寒くなるにつれ、受験を思い出し、やはり絵のことについて学びたい。自分で描きたい。という思いが捨てられず、落ちた次の年からも親に内緒で藝大を受け続けていました。
でもそれからもずっとダメで、ダメなのに諦めることが出来ず、今に至ります。

この時藝大を受けていたのは病に罹っていたからではなく、もし受かったとしても、二つ目の大学の学費を親に払わせるのは申し訳ないので、自分で払えるところにしようという思いがあったからです。しかし、そのことを免罪符に藝大へ挑戦し続ける理由をむりくり合理化していたというのも事実でしょう。

いつもこの時期は情緒が不安定になります。
藝大に落ちたところで物質的に何も失うものは無いはずなのに、つまり、客観的に見さえすれば私が藝大に落ちようが私は私が私であるための要件を満たし続けているはずなのに、落ちたという心的ショックを恐れるあまり情緒不安定になってしまうのです。

自分がいてこそ世界が構成され得るように、他者がいるからこそ自分の存在を立証することが可能になるのだとするならば、他者から見た私が、以前と変わらず私であり続ける限り私はこれからも何ら変わらない私として、所謂ニ浪して大学へ入学した努力家の学生として、周囲の人間が想像するような、どこかに転がっているようなニ浪生を演じながら生き続けることが出来るはずなのに、それなのに、藝大に落ちるということに恐怖するのです。

もうこんな生活を続けたくはありません。
初めはただ絵を描きたかっただけな筈なのに、ただ上手くなりたかっただけな筈なのに、気がついたらそれがいつの間にか、名門の大学へ入ること、その名誉を得ることが第一の目的となってしまっていました。またその名誉を得られない自分には何の価値もないのだと思い込むようにまでなってしまいました。

どうすればこのぐちゃぐちゃに拗れてしまったコンプレックスを私は私から追い出すことが出来るのでしょう。

どうすればこの肥大した自尊心と低下した自己肯定感という矛盾した感情を平坦にならすことが出来るのでしょう。

どうすればまた絵を描いていただけで楽しかったあの日々に戻ることが出来るのでしょう。

目の前で静かに横たわる母の目は、変わり果てた姿となった今でも尚私が美大へ進むことを拒んでいるように見えました。

私は今他人から見たらとても簡単な、けれども私から見たらとても難解な悩みに頭をもたげています。

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