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振り返れば奴がいる。

駅に着いたくらいで教えてくれれば準備をしてお出迎えできるのに、いきなりチャイム鳴らして「家の前に着いたからドア開けて」というような、生活のリズム感がクラムボンとミドリ(関西ゼロ世代のパンクバンド)くらい違う友人のように、私の便意はやってくる。

阿佐ヶ谷駅周辺を散歩している頃合で、ついさっきまで全然連絡を寄越さなかったのに、急にやってきた彼のために、近くで使えるトイレはないかなとベビーカーを押しながら右往左往した平日の昼間。

駅高架下のショッピングやらレストランやらが並ぶちょっとしたモールになっているところに設置されているトイレに駆け込み、無事に我儘な来訪者のお出迎えを済ませたとことろで、ふと社会人1年目の夏、関西のとある街で外回りの最中に、同じ様に突然やってきた彼のお出迎え先を探して行き着いた多目的トイレを思い出した。

その時、お出迎えに手間取ったためか、なかなか彼は門を通過してくれず、10分間ほどトイレを占拠してしまった。普段なら普通の男性用トイレの個室を使うが、その時はあいにくどの個室も使用中であり、やむなく多目的の大きな個室を使用した。

そして事なきを得て、彼に琵琶湖の水(厳密にいうと淀川の水)に乗ってお帰り頂いた後で個室を出ると、小さな赤ちゃんを抱えた女性がとても不機嫌そうな顔で待っていた。

赤ちゃんがぐずっていてオムツを変えられる場所を探してうろうろしたのだろう。そうしてたどり着いた場所には鍵がかかっていて、待たされていらいらしたのだろう。ようやく自分と愛する我が子の順番が来たと思ったら、個室から真っ黒スーツでオールバックで真っ赤なネクタイした、明らかに平日昼間の子供連れの母親ひしめくショッピングモールとは遠いところに位置する証券会社勤務の男が現れたら嫌な顔もしたくなるだろう。

成人男性としての尊厳を守るためとはいえ、その母親をひどく不快にさせてしまった私は、とっても気まずい思いで駆け足でそのショッピングモールを後にした。愛車(チャリ)に乗って猛スピードで職場である当時働いていた証券会社の支店への帰路を急ぐ道中、申し訳なかったなと思う気持ちの一方で「そんなに怖い顔しなくてもええやん。こっちにもこっちの都合があったんやん。」とも考えていた。

そして現在、2022年、二つの意味でスッキリした心と身体で当時を振り返ってみた。今の自分がその時の母親の立場だったら、ベビーカーを押しながら泣き喚く我が子を落ち着かせるため、オムツを変えるために右往左往してたどり着いたトイレが、なんだか胡散臭そうな営業マンに占拠されていたら、相手にも相手の(つまり差し迫った便意と他の個室が満席であるという)事情があるのだろうと推し量ることができるだろうか。
できないかもしれない。いや、きっとできない。

人の気持ちになって考えてみようとは生まれてから今日に至るまでありとあらゆる場、家庭内で両親から、学校で先生から、職場で上司から、そして内省時における自分自身への問いかけとしても何度も教え込まれ反芻してきた気がするが、愚かな自分は試みることすら忘れてしまう。また仮に試みることができたとしても、想像以上に理解し難いが故に結局わからないからと諦めてしまったりもする。

だから何だと言われたら、特に何にもないのだけれど、せめて試みることはこれから忘れないようにしたいなと思った33歳の春。



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