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Mr.Childrenのライブ選考落選しました

倉敷市民会館ライブということで岡山県民アドバンテージがあると思い込んでいました。まさか落選するとは。
思えばエントリーして選考を受けるという行為を繰り返してきたように思う。
限られた椅子をヨーイドンで取り合うかのようだ。
つまり人生は壮大な椅子取りゲーム大会とも言える。

ただ、ヨーイドンで席数が限られている椅子に座るにはテクニックがある。
・あらかじめ自分の名前を書いておく
・見つからないように隠しておく
・高いところにぶら下げておく
完全ランダムに自分の椅子が用意されるのであれば自分のコントロール感はないが、事前準備でアドバンテージを作り出すことは可能だ。
また、時にはランダムではなく意図的に座ろうとしていた椅子を取り上げられることもある。
座っていた椅子さえ意図的に取り上げられてしまう、次の瞬間には違う誰かが座っていることさえあるのだ。

エントリーする側と、椅子を用意している側はどちらが強い弱いではなくこのような事実が存在している。

・ペーパーテストで○点以上。
・50mを○秒以下で走る。
・○時間以内にゴールする。
・10人中3位まで。
明確な数字での選考であれば選ぶ側はルールというボーダーライン。

・ダンスコンテストで1位になる
ではどうだろう。
選ぶ側は、選ぶ人の好みだ。選ぶ人が変われば、同じクオリティでも順位が変わる。

で、あるならば、
●いかにエントリー側が用意された椅子を自分専用の椅子に変化させるか
●どこからともなく椅子を持ってきて座るか

この2点が重要であると仮定できる。僕がミスチルのライブに落選したのはランダムかもしれない。しかし、本気で椅子にしがみつくならもっとやれたことがあるはずだ。
・ミスチルの誰かの親族だったら
・ミスチルの大株主だったら
・ミスチルのライブメンバーだったら
・選考システムをいじくれる存在だったら
・ソロっと入って予備の椅子に座ったら

もしも本気だったなら、人生を賭けて楽器を極めライブメンバーになれたかもしれない
もしも本気だったなら、なんとかシステムを作って売りこめたかもしれない

でも本気だとしても親族になることはできない。
もちろん法律違反は御法度。

生まれた環境や育った環境、他人、自分以外の責任にすると他責。
自分の行動の責任にすると、僕が大切にしている原因自分論につながる。

選ばれる人、チーム、コンテンツには必ず選ぶ側、基準が存在していて
選ばれるルール、基準も存在している。

独裁者が独断で選ぶ選考システムだとすると、『独裁者が独断で選ぶ』というルールが存在しているだけなのだ。
エントリー側が用意された椅子にデカデカと自分の名前を書き、座り続けるには『独裁者の独断で選ばれるための行動』が必要になる。
独裁者が山が好きなのにエントリー側が海を好きであっては選ばれる存在にはなれない。

ちなみに選ばれた理由は聞くことができるが、選ばれなかった理由はたいてい聞くことができない。そのため、歳を重ねるごとに、エントリーするごとに人生レベルで大きな差ができる。手数は重要だが、マインドセットはもっと重要。

僕らもお客さんから選んでいただくサービスを提供し続けるためにはどうしたらいいか。
考えつくままに壁を白く塗ったり、常に行動するよう心がけている。なにが正解かはわからないけどこれが正解だと突き進んで、選んだことを正解にしていくしかないなと思う。


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