短篇集「バらばラ事件」

 この物語は、私(作者=トノモトショウ)が実際に体験したいくつかの奇妙な事件について書き連ねたものである。読者諸氏にとっては事件ですらない些細なことなのかもしれないが、それらを事件と呼ばずに何と表現すればよいのか私にはわからない。
 なお、執筆にあたって事件の関係者や団体には可能な限り許可を取ったが、物語としての体裁を取る上で少なからず脚色があったり、あくまで主観的な視点であることから事実とは異なる部分が描写される場合もある、ということをあらかじめご了承いただきたい。報道などで広く衆人に認知されていることでも、アプローチを変えると全く違う印象を与えてしまうのが世界の面白さなのである。

1. 油村事件

 東北地方で大きな地震があってから半年ほど経った頃、現地で復興支援のボランティア活動をしている伯父を訪ねた、伯父は生物工学の研究者で、主に農業用地の地質改善や農作物の品種改良を専門としているため地元の農家との繋がりが深く、津波の影響により甚大な被害を負った田畑の修復事業などのサポートをしていた、私はずっと大阪に住んでいるので今回の震災もテレビの中でしか知らなかった、連日報道される被災地の様子はショッキングなものだったが、正直に言って遠く離れた地のことを気に掛けていられるほど私は暇ではなかった、その当時は娘が産まれて間もなかったし、新しい仕事を始めて毎日が懊悩の連続で、縁もゆかりもない場所でいくら誰かが困っていたとしても、私にはまったく関係のないことだった、だから伯父の誘いを受けた時も、私にボランティア精神があったわけではなく、奉仕活動をすることで偽善的な満足感を得ようという気持ちすら持ち合わせず、単に久しぶりに伯父の顔が見たかったとか、ひと時でも仕事や家庭を忘れて羽を伸ばしたいとか、そういう瑣末な動機しかなかったのだ、たまたま出会った野良猫に餌をやる程度の軽い気持ちで私は街に降り立ったわけだが、未だ深い傷跡を残す風景に愕然とし、なんとなく思い立って被災地の様子を見て回ろうという自分自身の下らない態度がいかに不純だったかを思い知らされた、市街地の復興は進んでいるように見えたが、田舎に行けば行くほど手が付けられない状態で、放置されたまま忘れ去られた瓦礫の山、倒壊した家々に絡まる枯れた木、折れた信号機の明滅や、変形した海岸線に打ち寄せる漁船の残骸などを、私は複雑な感情で眺めた、伯父の運転する軽トラックは海沿いの小さな村に向かっていた、舗装されていない山道をかれこれ二時間、上下に揺さぶられ続けて意識が朦朧となる、以前は市内から一本の幹線道路が伸びていて車で四十分もあれば村に行けたんだけどね、地盤が崩れたところに海から色んなものが折り重なるように流れ込んできて、そこが一切通れなくなってしまってさ、市内の被害が甚大過ぎてなかなか撤去作業も進まず、山側から迂回しなくちゃいけなくって、物資も思うように届けられない陸の孤島になっちゃってね、こうして僕らが定期的に必要なものを運んであげなくちゃならないんだよ、激しい振動の中でも伯父は舌を噛むこともなく器用に話していたが、私は何度も嘔吐を繰り返し満身創痍な状態で村に辿り着いた、季節は秋で、浜から吹く冷たい潮風が頬に当たってヒリヒリとした、私たちはプレハブの仮設住宅に向かった、伯父によると、この村は百五十人ほどが住む集落だったそうだが、震災によってほとんどの住人が行方知らずとなった、家屋も田畑も全てが波に飲まれ、何一つ残さぬ荒地へと変貌してしまった、市内の小学校の屋上で難を逃れた二人の子供や、たまたま旅行に出掛けていた老夫婦、県外の農業セミナーに出席していた数人の青年たちなど、生き残った僅かな村人は、それぞれ家族を失いながらも、自分たちの日常を取り戻すことだけを考えて不自由ながらも必死に毎日を生きていた、プレハブに押し込められた人々には悲愴感などまるでなく、小さな村だからこその結束力もあって活気に満ちていたと思う、少ない男手は伯父をはじめとしたボランティアの力を借りて、瓦礫や土砂に覆われた農耕地を整備し、子供や老人は彼らをサポートするために食事の用意や日々の雑務に従事した、夜は必ず全員が集まって夕飯を食べる、その輪の中に私たちも参加させてもらった、伯父が持ってきたビールを振る舞うと彼らは涙を流して喜んだ、酒なんてもはや贅沢品なんだよ、ここではね、毎日のように全国から支援物資が届けられる、あんまり村には回ってこないけど、飲料水やレトルト食品・缶詰なんかは重宝する、衛生用品などの消耗が激しいものはいくらあっても足りない、色んな人が善意で提供してくれる品物は本当に助かるし感謝してるんだよ、だけど酒を送ってくれる人なんていない、不謹慎だとでも言うんだろうな、悲しみや辛さを酔って忘れたくなっても、俺たち被災者にはそんなことは許されない、楽しんでる場合じゃないだろうって勝手に価値観を押し付けられてる感じがするよ、早く日常を取り戻したい、それは家を建て直したり、仕事を再開したり、もちろんそれが最優先ではあるけれど、下らない冗談で笑い合うとか、良い女を口説くとか、酒を持ち寄って朝まで飲み明かすとか、そういうなんでもないことを、誰にも気を遣わず、誰にも気に留められず、ただ普通に過ごしたい、それが皆の願いだよ。
 例年なら夏に植えた稲を収穫し終え、キャベツやレタスに植え替える時期だった、耕地の整備に半年もの時間を要したが、ようやく苗植えの段階にまで持ってこられたのは、ひとえに伯父が尽力したからだった、村人は伯父のことを「先生」と呼び慕っていた、その恩恵を受けて甥である私も厚遇されたように思う、助ける立場であるはずなのに逆にもてなされていては来た意味がない、私は農業のことなど何もわからなかったので、伯父や村の若い人達が畑で作業をしている間、料理や洗濯のサポートをしたり、まともに学校に通えていない子供たちに勉強を教えたりしていた、二人の子供は私によく懐いてくれた、一人は二年生、もう一人は四年生の男の子で、どちらも両親を亡くし頼れる親戚のいない震災孤児だった、本来なら施設に入るか里親を探すべきところだが、彼らは村に留まることを選んだ、村人が家族のようなものだったし、幼い頃から過ごした思い出深い土地を離れるつもりもなく、村人全員が彼らの後見人の立場となった、とはいえまだ幼い子供らの心中には想像もできないほどの苦悩が渦巻いていたことだろう、私は無力だったが彼らにひと時でも負の感情以外のものを与えてやりたかった、勉強の時間以外は一緒にサッカーをしたり、海辺の洞窟を探検したりした、夜は川の字になって一緒に布団に入り色んな話をした、少年たちは私の手を強く握りしめて眠った。
 三日目の夜のことだ、私は翌日の昼の飛行機で大阪に帰る予定だった、村人たちからは感謝されたが、私は子供の相手をしたくらいで何も役に立てず、中途半端な気持ちでこんなところまで来てしまったことを後悔していたし、自分自身の不甲斐なさにほとほと呆れ返ってもいた、私は寂しさと惨めさを混ぜ合わせたまま、人々が寝静まった後でも眠れずに、傍らですやすやと寝息を立てる少年たちを起こさないようにむくりと起きて、一人プレハブ小屋から飛び出して真夜中の村を彷徨った、見上げると満天の星が煌めいているが、冷たく澄み切った空気、波の音しか聞こえない暗闇が村中に広がっていた、私は村を一回りするように歩いた、野菜の苗植えは一通りの目処がつき、畑には小さな葉が整然と並んでいる、村人たちの再生の象徴として、一秒ごとにじわじわと成長する姿、子供たちだってそのうち大人になっていく、震災の傷痕が癒えることはないだろうが、いつもの日常を取り戻し、新たな人生を歩んでいく、私は何も奪われなかったが、そのぶん何も得ていないような気がして、一人で憂鬱になっていった、私はふらりと浜辺までやって来ていた、穏やかな波が停滞している、あの災害は幻だったのではないかと誰もが思うほどに静かな海だった、もうすぐ満ちる月の光が海面でふらふらと揺らぎ、時折遠くで漁船の汽笛が唸る、海風が耳の奥で不協和音を鳴らす、岩場の方に人影が見えた気がして私は近付いていく、腰の曲がった老婆が頭だけをたゆたう海に向けて立っていた、プレハブの住人の中にこんな老婆はいなかったはずだ、わざわざ真夜中に市内からやって来たとも思えない、夜になると冷え込んでコートを羽織らずにはいられない気温だが、老婆は薄汚れた襦袢だけで靴も履いていない、白く長い髪が乱れ、表情までは窺えないものの切迫した何かを抱えているように見えた、私は老婆に気付かれないように(今となってはなぜそうしたのかわからないが)息を殺し、岩陰に身を潜めて観察することにした、たくさんの人間が死んだなあ、そりゃあ当然かもしれんなあ、わしは知っていた、わしだけが理解していた、この世界は必ず一つのところに集約する、そういう風に決められている、当然じゃ、当然なんじゃ、その声は不気味な響きを湛えており、私は妙な寒気を覚えて足早に立ち去ることにした、そのうち老婆の姿は夜の闇に紛れて見えなくなったが、なぜかいつまでも頭の中で声が繰り返し聴こえてくる、波が少し荒れ始めた。
 翌日、見送りに出てきてくれた村人たちに謝辞を述べ、別れを惜しんで涙ぐむ子供たちと固く握手を交わした、私は昨夜海岸にいた老婆のことを知らないか聞いてみたが、彼らには心当たりがないようだった、死者の霊でも見たんじゃないかと言う者もあったが、これまでそういったオカルトにはまったく縁のない私は信じられず、何か腑に落ちないまま村を後にした、帰りの車中で伯父が、そういえば僕も見たことがあるかもしれない、その老婆だよ、もう何年も前だが、とある村落で火事があってね、山に囲まれた一帯が全焼して、何人もの村人が亡くなってしまったんだよ、知り合いの農家の方々もいたからショックでね、報せを受けて数日後に弔問に行ったんだ、焼け落ちた家屋、真っ黒に焦げた田畑の跡、炭と化した木々、人間の生活と自然が調和した美しい村落の風景は見るも無惨に一切が灰燼に帰してしまっていた、僕は村の中心で災禍を免れた一本の欅に花を添え、手を合わせて、命というものがいかに脆いものかを痛感した、車で山を降りていくと白い襦袢を着たお婆さんとすれ違った、なんとなく不気味な雰囲気があって、未だにその姿を覚えているよ、現世の者ではないような、と言ってしまうのはあまりに馬鹿げているけれど、古い土地には今でも幽霊や妖怪の類の逸話が伝承されているし、一概に否定もできないんじゃないかな、まあ、僕は科学者の端くれだから、そんなものは認めようとは思わないけどね、僕が見たお婆さんと君が出会ったその人が同じである可能性もないし、別に不思議なことでも何でもない気もする、そのうち忘れていくような些細なことなんじゃないかな、伯父は笑いながら話していたが、その表情には緊張感があって、山道を横切るイタチの影に慌ててブレーキを踏み、一筋の汗が伯父の頬を流れていくのを私は助手席から見ていた。
 大阪に帰った私は、面倒な仕事を再開したり、妻に任せっきりだった娘の世話に時間を取られたり、日常に戻るにつれて村での出来事は記憶から遠去かっていった、テレビで東北の様子が報道されることも少なくなり、彼らに想いを馳せることもなくなっていく、ひと月ほど経った頃、村の子供たちから届いた手紙を読みながら、そういえば、という感じで妻に老婆の話をしてみた、しばらく妻は何か考え込むように眉間に皺を寄せ、ほら、何年か前に近所の商店街で車の暴走事故があったの覚えてない? 人通りの多い時間帯を狙って車が突っ込んでいって、何人かが巻き込まれて亡くなったって、その事故があった後たまたまそこを通り掛かってね、自転車を押しながら歩いていたんだけど、前から薄手の着物のお婆さんがぶつぶつ言いながら向かってくるのが見えたの、靴も履かず、虚ろな顔をして、ゆっくりと徘徊しているみたいで、すれ違う瞬間、人はいつか死ぬものだ、それが今日なのか、明日なのか、誰も知る由はないが、わしだけはわかっている、みたいなことを言っているのが聞こえてさ、怖くなっちゃって、急いで自転車に乗って帰って来たんだけどね、この話してなかったっけ? どこにでもそういう人がいるんだろうね、妻はキッチンで米を研いでいる、流れる水があの浜辺で聞いた波の音に重なっていく、だがそれもそのうち忘れていく、たくさんの人の命が失われていくことも、老婆のことも、忘れていく。


2. 夜蝶失踪事件

 中学まではそれなりに成績も良く高校は地元では名の知れた進学校に入ったものの、思春期特有のよくわからない虚無感に襲われていた私は、一学期の終盤あたりで勉強に愛想を尽かし見事に堕落していった、教科書が机の中から取り出されることはなく、クラスメイトが授業を受けている最中、私は一人で中庭の錆びたベンチで昼寝をしたり、読書をしたりしていた、それでも留年せずに無事に卒業できたのは未だに謎だが、問題を起こしたくない教師連中は、意識の高い生徒たちばかりの学校において制御の効かない私のことを腫れ物扱いして、三年の間だけ見過ごしておけば有名校の名前に傷がつかないと考えたのかもしれない、ともかく私は学校内で特異な存在だったようで、誰も近寄ってこないし、私の方からも取り立てて友人を作ろうともせず、ただ無気力で、何もない毎日を送っていたのだった、だが世の中には物好きな奴がいるもので、Sという男だけはそんな私になぜか興味を持ち、ベンチに座っていると必ず声を掛けられた、Sは誰に対しても分け隔てなく接した、男子でも女子でも、先輩でも後輩でも、常に同じトーンで、同じ表情で、当たり障りのない会話をした、相手が天皇陛下でも、産まれたての赤ん坊でも、彼はまったく態度を変えずにコミュニケーションを取ろうとするのだろう、それは誰にも本心を晒さないということでもあったが、そのことを指摘すると、お前が初めてだよ、そこまで見透かされたのは、うまく立ち回ってるつもりなんだけどな、やっぱり波長の合う奴にはバレるんだろうな、とバツの悪そうな顔で私に本心を吐露し始めた、失顔症って聞いたことあるか? 脳の障害らしいんだけど、俺さ、他人の顔が認識できないんだ、よく似た双子の区別がつかないって話を聞くけど、俺からすると周りの人間すべてが同じDNAを持つクローンに見えるんだ、そうだな、例えばそこの花壇に植えられた花々に蝶が何匹か止まっているのが見えるか? あの中の一匹が後日また現れたとして、お前はそれを、ああ、あの時の蝶だ、って認識できるか? 小さな虫にも個体差があるはずだ、まったく同じ蝶などこの世に存在しない、だけど見分けることなど困難だろ? それと同じように俺は他人を見分けることができないんだ、声の感じとか、においとか、そういった視覚以外の情報でなんとなく判断することもあるけど、基本的には誰が誰だかわからないし、誰が誰でも構わない、正直に言うならお前の顔も俺には蝶と同じに見える、でもこのベンチにいつも座ってるのはお前だということは知っている、だから俺はお前をお前だと思っている、Sが認識できる顔は、自分自身と近しい家族、それに母親がファンで玄関にポスターを貼ってあるオードリー・ヘップバーンくらいだったが、彼女の出演する映画は一つも知らなかった、グレゴリー・ペックとハンフリー・ボガートの区別がつかないせいだった、Sはハンサムで表向きは人当たりの良い好青年なのでクラスの大半の女子が彼を慕っていたが、昨日告白してきた女子のことが今日どの子なのか認識できないという理由でSは恋人を作らなかった、私からすると失顔症を差し引いても羨ましい悩みだった、そのうちSはゲイなのではないかと噂が立ち、若さゆえに残酷な学生諸氏はその噂を信じ切ってしまった、まあ、俺からすると男も女も顔がわからないからな、そういう意味ではバイセクシャルって言う方が正しいんじゃないか、どのみちあんまり興味がないし、あっても上手く恋愛できるとも思えないし、と冷ややかな笑顔でSは呟いていた。
 高校三年の秋、同級生たちが受験に向けて必死になっている頃、私はいち早く芸大に推薦入学することが決まった、特に目的があったわけではなく軽い気持ちで願書を出し、簡単な論文と面接だけの試験を華麗にクリアしてしまったのだ、教師たちは胸を撫で下ろした様子だった、それまで一瞥もくれようとしなかった連中は、わざわざ中庭のベンチにまでやってきて私と握手を交わした、だがクラスメイトたちの態度は相も変わらずで、むしろあからさまに敵意を向けてくる者もいた、真面目に勉学に取り組んだ者だけが大学へと進めるというのがセオリーであるにも関わらず、私ごときが誰よりも早く進学を決めたという事実を許せなかったのだと思う、廊下ですれ違いざまに舌打ちをされたり、陰でこそこそと批判的な噂話をしているのを聞いた、自分達の受験の方にウェイトを置いているので極端なことまではされなかったが、ただ距離を置かれていただけのこれまでより、そこに悪意を上乗せされたことで私を蝕むストレスは増していった、それでもSは私の隣に座って他愛もない話をしてくれ、少なからず私の救いとなった、Sは東京の大学を志望していた、将来は弁護士になりたいという夢を語ってくれたこともある、お前が罪を犯したら全力で弁護してやるから安心しとけ、でも罪は罪だから相応の罰は受けないとダメだけどな、まるで私がいつか犯罪者になるのが確約しているかのような口振りだったが、そう言ってくれるのは嬉しくもあった、私にとって味方になり得るのはこの世界でSくらいしかいなかった、逆に言えば、もしSが窮地に立たされることがあれば、私は微力であっても彼を助けるべきであると心に誓っていた。

 大学に入った私は心機一転、しっかりと講義にも出て、友人作りにも励み、サークル活動を始めて、充実したキャンパスライフを送る予定だったが、高校時代の怠惰な習慣が一朝一夕で改善されるわけもなく、結局ほとんど通学もせずアルバイトばかりの生活をしていた、とはいえ自由に使える金を手に入れたことで没頭できる趣味ができたり、恋人ができたりと、以前に比べるとそれなりに毎日が意味のあるものにはなっていた、Sは危なげもなく志望校に合格し東京に旅立っていった、連絡先は渡したが電話やメールが届くことはなかった、便りがないのは元気な証拠だというが、結局二年ほど音信不通が続いた、新しい環境で築く人間関係を優先するのは当然で、遠く離れた昔の友人を思い返す余裕などないのだろうと、私は若干の寂しさを覚えながらも無理やりそう納得していた、だからSから突然連絡が来た時は妙な違和感というか、不穏なものを感じた、ふと懐かしくなって電話してみたという雰囲気でもなく、モゴモゴと的を得ない話し方で、ちょっと東京まで来てくれないか、酒でも飲もう、な、いいだろ? なんとなくSが危機的な事件に巻き込まれているような気がして、そしてそれを解決できるのが私しかいないような使命が芽生えてしまって、二つ返事で東京行きを決めた、私は翌日以降のアルバイトのシフト変更を申し出て、週末に行く予定だった恋人とのデートもキャンセルした、何泊かする羽目になるのではないかと鞄に着替えを詰め、急いで駅に向かった。
 初めての東京は右も左もわからず、上なのか下なのかも理解できない迷宮で、待ち合わせ場所の新宿まで辿り着くのに相当な時間を要した、この群衆の中からSを探すのも一苦労だなと嘆息していると背後から、遅いぞ、と声を掛けられた、久しぶりだなとか、ちょっと痩せ過ぎじゃないかとか、高校の頃と何も変わらないSの態度に私は拍子抜けしてしまった、Sは少し伸ばした髪を明るい金色に染め、右耳に三つのピアス、首筋に蝶のタトゥーを施し、およそ法学生とは思えない佇まいをしていた、私は再会を喜ぶと同時に、ある一つの疑問が頭の中によぎった、新宿駅は一秒ごとに風景が変わるほど人通りが多い、失顔症であるはずのSは、曖昧なフォルムしか記憶にないであろう私を、ベンチに座っているわけでもなく、たった二年とはいえ多少は風貌が変わり、当時は披露したことのない制服以外のカジュアルな服装をした私を、なぜ見つけることができたのだろう、ああ、それはな、俺がお前の顔をとうに認識してるからだよ、言ってなかったか? ほぼ毎日お前と会って、お前をお前と捉えた上で色んな話をしたよな、そうやってしっかり向き合った相手の顔は不思議なことに段々わかってくるみたいなんだ、人混みの中でもお前を探すのは容易かったよ、だってお前以外の顔は全部一緒なんだから、星空でシリウスを見つけるのは難しいが、月なら簡単にわかるだろ? 嬉しそうに笑うSからは想像していたような危機感はなく、本当にただの気まぐれで私を東京に呼んだのかもしれなかった、変な邪推はやめておこう、無駄に膨れた鞄をロッカーに預け、Sの提案で近くにある居酒屋に入った、時刻はまだ五時を少し回ったくらいだったが、私は昼食も摂らずにいたので腹が鳴り、片っ端から注文した揚げ物を独り占めするように食べた、その間Sは焼酎と日本酒を交互に啜りながら私をじっと見ていた、私はアルコールに対する耐性が弱く甘いカクテルをちびちび舐めるだけで酩酊していったが、Sは顔色ひとつ変わらないまま強い酒を何杯も呷った、懐かしい話をしようにも、あの時ああだったな、あいつはこうだったな、といった共通の思い出はあまりなかった、彼との邂逅はいつも何気ないものだったからだ、Sは私の空白の二年間のことを聞きたがった、私は私でSの現状の方が気になったが、口ごもっては話を逸らし、それより彼女はどんな子なんだ、お前と付き合うくらいだからよっぽど変わった子なんだろうな、いや、写真なんか見せられても俺にはわかんねえよ、美人なんだったら良かったじゃないか、私は三杯目のカクテルを飲み終える頃には視界がぐるぐると回りだし、Sの声も遠くで聞こえてくるようになった、頭痛と吐き気と悪寒に悩まされ、このまま眠ってしまいたかった、Sはここぞとばかりに自分の話をし始めた、言いにくいことを聞いてもらうには絶妙なタイミングだとでも思ったのだろうが、私はどれだけ酔っ払っても意識だけは明瞭で、これまでも記憶をなくすことなどなかった、Sは上京して三カ月も経たないうちに大学を辞めていた、夢を捨てたというより、別のことに執着するようになった結果だというが、それが何かは明言しなかった、金を稼ぐために怪しい仕事を始めた、女性専用のデリバリーヘルスや、ドラッグの売人の手伝いなど、そこまでして必要な金の使い道までは教えてくれなかった、お前ならわかってくれるよな? 自分では抑えきれないほど、そのことしか考えられなくなるものがこの世界には転がってるんだ、残酷だけどな。
 頭の中だけはクリアなのに足元がおぼつかない私はSに寄り掛かりながら居酒屋を後にした、導かれるまま歌舞伎町のアーケードを潜り、喧騒に満ちた通りを歩いていく、けばけばしいネオンや、色んな言語の卑猥な台詞、酒と吐瀉物のにおい、乱雑で不埒な空気が街に蔓延していて、私は居心地の悪さとともにその背徳的な魅力に心を奪われてもいた、妖しげなマッサージ店や油臭い中華料理屋を抜け、路地の奥にある雑居ビルまで来たところでSがもじもじと身体をくねらせ始めた、一階は場違いなまでに洒落たパン屋、二階に雀荘、三階と四階に学習塾という、アンバランスな佇まいをしたビルの地下に降りる薄暗い階段を進んでいく、突き当たりには古びた鉄製のドアがあり、その脇に黒いスーツを着た若い男が立っていた、男はSの顔を見るなり、いつもお世話になっていますと頭を下げ、仰々しくドアを開けた、その瞬間フロアから大音量のユーロビートが溢れ出し、煌びやかな光の渦が目に飛び込んできた、中央に設けられたステージでは乳房を露わにした女性がピンクの羽の扇子をはためかせて奇妙なダンスを踊っている、Sは入口の男に何か耳打ちをした後、ステージ付近のテーブル席に座ってハイネケンを注文し、私にはオレンジジュースを薦めた、ここのオレンジジュースが意外にイケるんだ、なんでも産地の違う三種類のオレンジをブレンドしてるらしい、場末のストリップ劇場でそんなこだわり必要あんのかって思うけど、強い酒を呷りたい時にチェイサー代わりに飲むと良いんだよ、私は酸味と甘味のバランスが絶妙なオレンジジュースをすすりながら、ステージで艶めかしく腰を振るストリッパーの黒い乳首を見ていた、自分の母親くらいの年齢だと思うが、厚く塗りたくった化粧のせいで実際のところはわからない、弛んだ腹の肉の表面に浮いた汗が眩しく光っている、ゆっくりと焦らすようにパンティーを脱ぐと、客席の端っこで誰かが拍手をし、それに合わせてストリッパーは扇子で局部を隠したり見せつけたりを繰り返す、オレンジの味は女の汗と同じように舌先を刺激する、赤青黄の照明がヴァギナにグラデーションをつけ幾何学的な模様を象る、ストリッパーの巨大なクリトリスは芋虫に似ている、白髪の浮いた陰毛は繭を作るための糸だ、Sは瞳孔を開いて芋虫の蠕動を凝視している、そのうち蛹になり、蝶へと孵化する過程を観察するため、あらゆるものを犠牲にしてきた、といった表情だった、Sの荒い息遣いがストリッパーを愛撫すると、彼女は身体を仰け反らせていく、ヌルヌルとした分泌液が深い穴の奥から垂れ落ちる、Sは勃起したペニスを隠そうともせず立ち上がり、空中に手を伸ばして何かを掴もうと必死になっている、私はグロテスクなその光景にすっかり酔いも覚め、熱気で溶けた氷のせいで薄くなったオレンジジュースを憮然とした気持ちで飲み干した。
 店を出てからのSはなぜか憔悴しきっていて、今度は私が彼の肩を抱いて階段を上らなければならなかった、自動販売機の側に倒れ込んで一歩も動こうとせず、二十分ほどそのままの状態で何本かの煙草を吸い、ようやくSがあのストリッパーに対する只ならぬ想いを告白するまで私は辛抱強く沈黙していた、俺はさ、今まで恋愛なんて興味がなかったんだ、誰かを愛する方法も知らなかったし、そんな資格があるとも思えなかった、女を抱いてもその女と次に会う時には俺はそいつが誰なのか見当もつかないんだからな、ある時どういう経緯だったか覚えていないんだが、誰かに連れられてここに来たんだ、次々と色んな女がステージの上で裸になっていく様を俺は何の感動もないまま眺めていた、不思議なことに、本当に不思議なことなんだけど、ある一人のストリッパーが登場した瞬間、俺はその女性の姿をしっかりと認識していたんだ、家族や、お前のように長い時間を共有した奴ならともかく、初めて出会う人のことをちゃんと捉えられたことは今まで一度もなかったのに、その女性だけは顔も身体も、巨大なクリトリスの形も、全部が明瞭に、俺の網膜の上に確かなヴィジョンを投影したんだ、背筋にビリビリと電流が走るのを感じた、涙が溢れて止まらなかった、これだ、これこそが愛なんだって思ったんだ、わかるか? なあ、わかるだろ? 私には何一つとしてわからなかったが、私をわざわざ呼びつけた理由だけはなんとなく想像がついた、私たちはストリッパーが仕事を終えて出てくるのを待った、長い時間が経って厚化粧を落とした女が現れたが、Sが気付かなければおそらく私はスルーしていただろう、顔に深く刻まれた皺や、着古したスウェット、ステージの上で見せていた華やかな笑顔は影を潜めているせいか、私が予想していたよりも年老いているように見えた、Sは懐から可愛らしい封筒を取り出し、ラブレターなんて初めて書いたよ、こんなの突然渡したら困らせてしまうかな、どうかな、いや、今日はそのために来たんだ、お前は見ていてくれ、ちゃんと俺を見ていてくれよな、Sは震える手で封筒を差し出し、女は困惑した表情でSと私を交互に見た、訳も分からず手紙を受け取ったものの、Sはア、ア、と言葉にならない呻きを上げているだけで、それにつられて女もエ、エ、と甲高い声を漏らしている状況に私は耐えられず、Sに代わって事情を説明しなければならなかった、女は皺の刻まれた顔をさらに皺だらけにした微笑と、必ずお返事しますという言葉を残し、足早に去っていった、Sは俯いたまま私と女のやり取りを聞いていたが、女が角を曲がり街に紛れていくのを確認すると子供のような無邪気さで私を強く抱き締めた。
 次の日の昼には私は大阪に戻ってきていた、あまり健全とは言えない恋路を応援する気にもなれず、かといってSの純粋な想いに水を差すのも野暮な気がした、Sがどういう結末を想像しているのか知らないが、私が彼の役に立つ場面がこの先訪れるとも思えず、ほとんど逃げ帰るように夜行バスに乗り込んだ、私は硬いシートに身体を預け、眠れないまま窓の外を高速で流れる闇の景色を眺めながら、彼らのことをずっと考えていた、失顔症の青年と年老いたストリッパーの間で愛が育まれることはあるのだろうか、ないとも言い切れないし、あったとしてそれは幸せなことなのだろうか、無知な私は愛について何一つとして正しい答えなど出せず、ひたすら連なる闇の中に紛れていった、だから一ヶ月後に再びSから電話を受け、彼女からの返事を催促しに行くから一緒に来てくれないかという申し出があった時、そこには幾分かの好奇心も存在したが、どちらかと言うと愛の結末を知るべきだという強い信念に似たものに突き動かされた、またデートの予定をキャンセルして東京に向かった、新幹線の車内から恋人に謝罪のメールを送ったが、彼女から返信がくることはなかった。
 再会したSは、やや頬が痩け瞳が黄色く濁っていた、彼を蝕む懊悩の跡だ、あれから俺は劇場の前の自動販売機の側で毎日あの人が通り掛かるのを待った、見逃すはずもないが、万が一のことも考えて瞬きすらほとんどせずに往来を注視して、ひたすら姿を探した、必ず返事をするって言ってくれたよな? だから俺は待ち続けた、だけどあの人は一向に現れない、なあ、俺は大変な失敗をしたのかな、そりゃあんな手紙を突然渡したんだ、気持ち悪がられているのかもしれない、怖がられているのかもしれない、女心なんて俺にはわからないが、きっとそういうことだよな? あからさまに正気を失いつつあるSの背中をさすりながら、私たちは劇場へ下りる階段を一歩ずつ進んでいく、私が来たからには今日ですべてに決着をつけてやらねばならなかった、なんだったら私はあの女に苦言を呈してやるつもりでさえいた、若く純朴で美しい青年の心を弄んで、これほどまでに傷を負わせてしまったのだから、だが私の目論見は意外な形で崩れ去り、それは結果的に愛というものが我々の手には負えないものであることを思い知らされたのであった、入口の扉のそばには例のスーツの男が立っていて、Sの姿を見るなり、やあ、久しぶりですね、もういらっしゃらないのかと思ってましたよ、大仰なまでにSと握手を交わし、私にまで気さくな笑顔を向けた、私はあのストリッパーが今日は出勤しているのかどうかを尋ねた、Sは力なく男の手を掴んだまま縋るような眼差しをしているが、男はそれに気づかずに、ああ、困ったもんですよ、確か一ヶ月くらい前かな、突然来なくなっちゃったんですよ、体調が優れないとか、気持ちが乗らないとか、そういったこともあるだろうし、落ち着いたらまた来るんじゃないか、ってオーナーが言うもんだから、僕も、まあそういうもんかって、こんな商売ですからね、野郎にはわからない女の事情があるのかもしれないと思ってたんですけど、一週間経っても二週間経っても連絡が取れない状態が続いて、これはもしかしたらヤバイんじゃないかって話で、あの人もああ見えて結構な歳ですからね、家族もいないらしいし、一人暮らしの部屋で死んでたりしたらどうしよう、ってオーナーが焦り出して、あの人の住むアパートまで行ったんですよ、わざわざ管理人を呼び出して鍵を開けてもらって、腐乱死体があっても驚かないように覚悟を決めて中に入ったみたいなんですけど、あの人の姿もなく、ただテーブルの上に手紙が置いてあるだけで、一向に行方がわからなくなったって嘆いてましたよ、いや、僕も手紙の内容までは知らないですね、なんでも達筆過ぎて読めないらしくて、遺書なのか、ただの置き手紙なのか、それともまったく関係のない覚え書きなのか、はっきりしないですけど、どんな理由があるにせよ、迷惑な話ですよ、まったくね、男は吐き捨てるような口調だったが、どこか寂しげな表情をしていた。

 私は今になって、あの女が残した手紙のことを考える、あくまで想像でしかないが、おそらくSへの返事だったのだろう、Sの愛に対する真摯な言葉が並べられていたはずで、たまたまそれが彼に届けられなかっただけだ、その後Sは大学に戻り、司法試験にも一回で合格したが、弁護士にはならずに探偵事務所に就職した、漫画みたいに殺人事件に巻き込まれることなんて一度もないよ、やってることは素行調査とか浮気の証拠集めとか人探しとか、つまんない仕事ばっかりでさ、本当に嫌になるよ、などと愚痴をこぼしているが、私はSが未だにあの女のことを引きずっていることを知っている、探偵の仕事を始めたのもあの女を探すためではないかと踏んでいる、ただSはもう失顔症を克服していて、グレゴリー・ペックとハンフリー・ボガートの区別もつくようになったらしい。


3. 酒坂医院事件

 大学を出たものの私は就職もせず日々を気ままに過ごすばかりだった、依然モラトリアムの海でオールも持たずに停滞していたが、それでもどこかの島に辿り着けると信じていた、何か意味のあることをしなければならないという焦りはあったが、じゃあ何をすればいいのかわからないまま、ひたすら映画を観るとか、ノートに詩を書いてみるとか、色んな女とセックスをしてみるとか、およそ退屈の延長にしかない行為だけで毎日が成り立っていた、時々私はふと一人で出掛け、知らない土地の、忘れ去られた廃墟を探索するという、アクティブなのか根暗なのかよくわからない行動に出ることもあった、普段乗ることのない路線の電車に乗り馴染みのない駅で降りる、新興住宅地の裏通りに誰も住んでいない長屋があり、私は割れた窓ガラスの隙間から部屋を覗く、蜘蛛の巣と腐った柱、古い新聞の上に天井から水が垂れ、湿った空気が風穴を抜けていく音がする、人が手入れしないとすぐに朽ち果てていく建物の侘しさを感じ、かつてそこに住んでいた誰かのことを考えたりする、ある日は国道の高架下でぽつりと佇む廃業したラブホテルを見つけ、入口を塞ぐベニヤを剥がして中に入ってみたことがある、調度品のほとんどは撤去されていて見所もないのだが、奇抜な壁紙の色や下品な配置の鏡、床に貼り付いたコンドームの残骸、この場所で色んな男女が混じり合っていたことを示す淫靡な痕跡に一人で興奮したりした、あまり健全な趣味ではなかったが、当時の私にとっては意義のあることだった。
 ここでYという男のことを紹介しておきたい、彼との出会いは、今になって思えばそれは運命的なものだったと言えなくもないが、近所のレンタルビデオ屋でたまたま同じビデオを手に取ろうとした、という恋愛ドラマのような偶然がもたらしたものだった、それが美しい女性ならともかく、明らかに自分より年上の危うげな表情の男で、平日の真っ昼間で、よりにもよってホドロフスキーの映画を互いに引っ張り合うという最悪な展開だったが、それ観たことある? 良いよ、かなり、俺は「エル・トポ」より好きかな、むちゃくちゃな話なんだけど高尚な感じもするし、あんまり言うとネタバレになるけどラストは絶望するよ、自分のくだらない人生にさ、男は私に話し掛けるというより、心の中の呟きが勝手に漏れ出たような調子で自らの右手に向かって喋っていた、男は私にビデオを譲ってくれてアダルトコーナーに続く暖簾をくぐっていった、それから週に一度は男の姿を見かけるようになった、呼び止められて映画の蘊蓄を語る時もあれば、視界に入らないように避けられることもあった、女性を連れている時もあった、そのたび違う女を同伴していた、確かに彼は顔立ちも良かったし、なにより佇まいが洒落ていて人を惹きつけるオーラがあった、そうやって邂逅を続け半年ほど経った頃にようやく自己紹介し合った、Yは(もしかすると偽名なのかもしれないが)アマチュアのミュージシャンで、これまで様々なバンドを組んだが人間関係が上手くいかず、結局いつも一人でライヴハウスのステージに立っている、仕事はしておらず、週末のライヴで稼ぐ僅かな出演料と、何故か色んな女が頼んでもいないのに援助してくれる金で悠々自適に過ごしている、離婚歴が二度あって、子供もいるみたいだが会ったことはないらしい、年齢は私より一回り上だと言うが本当のところは未だにわからない、毎日映画を観るか、身を削って曲を作るか、写真家だった祖父が遺したカメラを持って街の中を散策するくらいしかやることがない、退屈なんだよ、生きることって、ほら、この前俺が勧めた「太陽を盗んだ男」って映画は観た? プルトニウムを強奪して、アパートの狭い部屋で原爆を作ってさ、ああいうの憧れるんだよなあ、俺は無知だからそんなことしないけどさ、でも曲は作れるからな、テロリズムみたいな音楽だよ、と言って突然Yが渡してきた手製のCDは、自殺を唆す歌ばかりで私はあまり好きになれなかった、何度かライヴにも誘われて観に行ったことはあるが、客がほとんどいないのにも関わらず命を賭すほどの彼のパフォーマンスは惨めでもあったし、この世にはこれ以上格好良くてリアルなものなどありはしないと思わせるほど、Yは音楽という表現に対して極端なまでに真っ当だった、だから私はYという男を、その生き様を含めて哀れな気持ちで見ると同時に、少なからず憧れや共感を抱いていたのだろう、彼と世界の間にはっきりと現れるズレ、それをわざわざ拒絶もしないが決して迎合しないという姿勢、自由であると同時に窮屈な毎日だろう、こんな大人になりたいとは絶対に思わないが、思わないからこそ魅力的でもあった、そりゃ俺にだって夢はあったし、理想もあったんだよ、それを諦めたというよりかは自分に合う選択をしたっていう結果論かな、色々と考えるのが面倒臭いって話でもあるけど、道端で猫を拾ってきちゃってさ、何日か世話してやってさ、そしたらもうどうでもよくなってさ、いつのまにか勝手に出ていっちゃうことがよくあるんだよね、それと似てるかな、いや、似てないか、ああ、もう、うるさいな、雑音が多いよな、ここは、と言ってYは頭を掻き毟るが、私には何も聞こえなかった。

 ある夏の午後、梅雨も明けて太陽がこれでもかと熱気を照射し、ちょうど室外機を燃やすように猛威を奮って、私の部屋はだんだんエアコンが効かなくなっていった、レンタルビデオ屋で涼もうと出掛けたのはいいが、ここでビデオを借りてもそれを観るにはまた部屋に戻らなければならないことに気付いて、半ば呆然としながら棚に並ぶ映画のタイトルを一つ一つ眺めていた、「アイ・アム・サム」から始めて「バグダッド・カフェ」まで読み進めた頃、Yが「バスキア」を手に取ってパッケージに映されたデヴィッド・ボウイを指でなぞりながら、ウォーホルの「エンパイア」って映像作品があってさ、延々とエンパイア・ステート・ビルディングを映し出すだけで何も変化のない退屈な映画なんだけど、俺さ、泣いちゃったんだよね、八時間もあるんだぜ、そのうち半分はずっと涙が止まらなかった、なんだろうな、きっと怖くなったんだろうな、ほら、子供がさ、ある日突然、自分のお父さんが急に知らない誰かなんじゃないかって勘繰るような感覚ってあるじゃん? 仕事で忙しいからあんまり会えないけど、優しくて大きくて安心できる存在だったのに、それが当たり前だったのに、今までの楽しかった思い出とか、叱られた記憶とか、そういうのが全部リセットされて、世界がぐるっと反転してしまう時の、あの恐怖と同じ、わかる? わかんなくてもいいけど、Yは雨でもないのにビニール傘を携えている、天気予報はどうだったか、いつもならそういったやり取りを終えるとYは大抵アダルトコーナーに向かい、私は私で目当てのビデオを借りて帰るのだが、今日に限っては私には居場所もなく、Yもなにやらそわそわとしていた、祖父から譲り受けたという一眼レフを首からぶら下げているところを見ると、何か目的があってここに来て、何かを伝えようとしているのだろうなと思って、私は仕方なく彼と一緒に店を出た、じりじりと肌を焦がしていく日差しに追われながら駅の方まで歩いていった、各駅の列車に乗り込み随分と長い時間シートに座っていたが、互いに声を発することはなかった、時折Yは窓の外を流れる電線の写真を撮っていた、車内は冷房が効いていたが、駅に着くたび生温い空気が入り込んで身体に纏わりつき妙な嘔吐感に襲われる、終点の一つ手前の何もない駅で降りる、昔は保養地として有名な街だったが、今ではもうその名残もなく、シャッターの閉まった店舗が立ち並ぶ通りを抜け、山に向かう道をYに促されるまま歩いていった、勾配の急な坂を登っていくとあらゆる毛穴から汗が噴き出して、Tシャツが皮膚に貼り付いて気持ちが悪い、ただでさえインドアな生活が続いているせいで体力もなく、喘息の症状もあって呼吸が途切れていく、Yは私のペースも考えずにどんどん先に進んでいく、私はようやく後悔し始めた、人が住んでいる気配のない住宅地を過ぎ、色の剥げたブランコしかない小さな公園や、訪れる者のない陰鬱な共同墓地、看板の外れた居酒屋、もはやゴーストタウンと化した街の様相は、廃墟巡りを唯一の楽しみとしている私の興味を引いたが、それを味わうほどの余裕は皆無だった、そこに突然現れたのが白い壁だった、薄汚れてはいるが太陽の反射でキラキラと光り、 それまでの景色を一新する清浄さを秘めていて、私は此岸から彼岸に渡ってしまったのではないかと錯覚した、高さは三メートルほどあり、その頂点には有刺鉄線がうねうねと絡み合っている、壁は視界の隅まで長く連なり、本当にここが世界の端っこなのかもしれなかった、Yはにやにやと私の顔を覗きこみ、壁伝いにさらに奥の方に向かっていく、巨大な鉄製の門扉を見つける、いくつもの南京錠と錆びて変色した鎖で厳重に閉鎖されていたが、Yは持ってきたビニール傘の先で鍵を壊し、柄の部分を引っ掛けて無理やりこじ開けていく、奥には巨大な建物が見える、窓には鉄格子が嵌められているのがわかる、刑務所か何かの跡地だろうか、「カッコーの巣の上で」は観た? ジャック・ニコルソンがロボトミー手術を受けるだろ、あの話はフィクションだけど、日本でも戦後しばらくは統合失調症患者の治療の主流だったそうだ、強い後遺症もあって今では精神外科の分野ではタブーとされてるけど、脳味噌を切り抜いて人格を変えるという荒業が行われていたのは事実なんだ、もう大体わかってきた? ここはそういう施設の一つで、つい最近まで非公式な手術をしていたって噂だ、俺は週刊誌の記事を鵜呑みにするタイプだから真相まではわからないが、新聞やワイドショーでも話題になってたよ、知らない? 三年前に院長が自宅で首を吊った、遺書はなかったが警察は自殺と断定、疑惑によって心労が重なったことが原因とされ、その後は報道も沈静化した、俺はあんまりそのへんのことは興味ないけどね、君は好きなんじゃないかって思ってさ、Yはカメラを取り出し歪なアングルで写真を撮り始めた、建物の中は廃墟とは思えないほど整然としていて、モルタルの床も今しがたワックスをかけたくらいツルツルと滑った、家具や備品の類も撤去されずに残っている、等間隔に並べられたベッドは純白のシーツに覆われ、薄っすらと埃が積もっていることから人の手が届いていないことはわかるが、ここで一晩過ごせと言われても躊躇せずに眠れるだけの清潔さがあった、ただ壁に爪痕のような傷が無数にあって、断熱材がはみ出た大きな穴まで空いているのは気にならないではない、レクリエーションルームと書かれたプレートが貼り付けられている部屋にはテレビがあり、電気はまだ通っているがアンテナは機能していないようで映らなかった、テーブルの上にはスケッチブックとクレヨンが散乱している、私は誰かが描いたまま放置された絵を一枚ずつ検分していく、毛沢東に似た男の顔はブルーに塗りたくられている、これが自殺したという院長だろうか、ビビッドな色の花や牛、拳銃を携えた外国人など、どこか既視感のある絵、私は妙な息苦しさを覚えて窓を開けようとしたが、嵌め殺しのガラスが曇っているだけで、そのどこにも逃げられないような圧迫感に私はうまく呼吸ができなくなっていった、先ほどからYの姿はなく、遠くの方で断続的にシャッター音が聞こえる、私は一刻も早くこの場所から立ち去りたかった、なにか負のオーラというか、足を踏み入れ首を突っ込むにはあまりに健全ではない、不穏な空気が身体中に纏わりついていた、私は廊下に出たが、どちらから来たのかわからなくなっていた、当てずっぽうで右に進むと医務室、宿直室、図書室などがあり、一番奥に院長室を見つけた、私は(今思えばなぜそんな行動に出たのか)ドアを開けた、部屋の中には何もなかった、不自然なほどに何もなかったのだ、床は柔らかい毛の絨毯素材で、おそらくそこにあったであろう机やキャビネットの跡だけが残っている、この部屋だけすべてが撤去されていることに特別な意味を見出すべきだろう、院長の自殺には語られることのない重大な秘密があり、それを誰かが隠蔽しようとしたのかもしれない、と名探偵になった気分で妄想を膨らませていると、背後でYが煙草を燻らせながら、手術室は鍵が掛かっててさ、入れないんだよね、壊せそうもないし、残念だけど今日は帰ろうよ、疲れたよ。

 後からYに聞いた話によると、院長の死後一年の間に職員および入院していた患者のほぼ全員がなんらかの形で死亡しているということだった、Yの言うことだからすべてが真実とも思えないが、私が独自に調べただけでも何人かの関係者がこの世からいなくなっているのは確かだった、それは新聞の記事だったり、インターネットの書き込みから推測される断片的な情報の寄せ集めだったり、友人から回ってきた噂だったりと、玉石混淆であるにせよ、真実味を帯びてもいた、私とYがあの廃墟から帰ってきて数ヶ月が経った頃、建物の取り壊しが決まったというニュースを観た、過去の事件を振り返る映像が流れ、青ざめた顔の院長の写真が画面にあらわれる、毛沢東に似ているわけでもなかった、有名な評論家が、ミイラ取りがミイラになっちゃったんですかねえ、と的外れなコメントをして、それからは誰もこの話題に注目することはなくなった、行きつけのレンタルビデオ屋がいつのまにか整骨院になってからというものYとも顔を合わさなくなった、そのうち私も別の街に引っ越すことになりいよいよ疎遠になってしまうのだが、正月には必ず年賀状を送ってくれる、歪なアングルの写真を載せて。


4. 犬崎邸事件

 この話に関しては、正直なところ私自身よくわからないまま書かざるを得ない、現なのか夢なのか、そのあたりもはっきりせず、どうせフィクションだろうと言われても否定しきれないジレンマはある、なぜなら私はまだ六歳とか七歳で、日常の中にいつも妄想が蔓延するほど幼く、善悪の区別に頓着もない未熟さと、自分と他人の境界すら曖昧な稚拙さを持つ、アンバランスでアンビバレンスな子供でしかなかったからだ、さらに記憶は長い月日を経て曲解され、誇張され、美化されていく、私が見たものは路傍の石であれ、赤く輝く賢者の石となる、だがそれは瑣末なことで、実際に私が体験した事実の枠組の中ではあまり意味がないようにも思える、少年の私は確かにそこにいたのだから。

 私が生まれ育った田舎町はキャベツ畑とタオル工場しかない侘しい街だった、昼はあちこちでガチャンガチャンと織機の轟音が響き渡り、夜になるとヒキガエルの呻き声が辺り一面を覆い尽くした、私は小学校から帰ると四つ下の妹を連れて散歩をする、父は夜遅くまで仕事に出ており、母は家にいたがあまり育児に興味がなかったようで、いつも私は妹の世話をしなければならなかった、よちよちと歩く妹の小さな手を握り、同級生たちが自転車で通り過ぎていくのを横目で見ていた、私たちは近所の公園や、高く伸びた菜の花の間や、畦道を抜けた先の小さな溜池のほとりまで赴き、凧をあげたり、堆く石を積んだり、シロツメクサを編んだりして遊んだ、夕方のサイレンが鳴ると家に戻り、母が面倒臭そうに作った味のないスパゲティを食べる、妹を風呂に入れ、寝かしつけたところで、ようやく自分の時間が作れる、だが宿題に取り掛かろうとする頃には父が帰宅し、毎晩母とつまらないことで口論になるので、私は耳を塞いでやり過ごさなければならなかった、だからといって私は別に不幸ではなかったと思う、そういう家庭は珍しくもないし、極端に貧乏でもなければ、親から愛情をまったく受けなかったわけでもない、だが私はいつか自分の中の狂気が頭をもたげて両親を殺してしまうんじゃないかという怖ろしい想像に取り憑かれていた、とはいえ私はまだ死というものを完全に理解していたわけではなかった、例えば父の首を絞めるなら、どのくらいの力で何秒絞めればよいのか、母をナイフで刺すなら、どの場所を何回刺せばよいのか、そういったことはわからなかった、所在のない殺意だけが私を支配していた。
 まだ暑さの残る初秋のこと、朝から母と妹は隣市の祖母の家に出掛けており、私は妹の世話から解放され、放課後は何人かの友人と久々に遊ぶことができた、農家が稲刈りを終えてキャベツを植えるまでの間、柔らかい稲藁でふかふかになった田畑は子供達の絶好の遊び場で、我々は服が汚れるのも構わず寝転がって空を飛ぶ鳶を眺め、藁で作った巨大な三角帽子を相手にヒーローごっこをしたりしていた、友人の一人がどこかから錆びた鎌を拾ってきて振り回している、私は危険を感じて遠巻きに見ながら、もう帰ろうか、どうしようかと逡巡していた、突然叫び声が聞こえたかと思うと、左耳のあたりから勢いよく鮮血を吹き出させた友人と目が合った、私も他の少年たちも呆然と、その赤い噴水を眺めることしかできなかった、通りがかったおばさんが異常な事態を察して救急車を呼んでくれて、友人は担架に乗せられて運ばれていった、他の友人たちも騒ぎを聞きつけた親に連れられて帰っていく、私は一人取り残され急に風が冷たくなるのを感じた、血に塗れた鎌の側には友人の千切れた左耳が落ちていた、さっきまで友人の身体の一部だったものが今ではただのつまらない肉塊に成り下がったことが不思議でならなかった、私はそれを拾うべきなのか迷った、触るのが怖かったし、拾ったところで私に何か意味のあることができるとも思えなかった、そこへ私より大きな黒い野犬がやってきて、友人の耳を咥えてのそのそと歩いていこうとするので、私は愈々どうすればいいのかわからなくなった、このまま耳が見つからなくなったとしたら私は責められるのだろうか、私は野犬の後ろをこっそりと尾けていき、どうにかして耳を取り返そうと考えた、野犬は振り返ることなく真っ直ぐ坂の上の屋敷に向かっていく、この街で一番大きな豪邸で、広い庭にたくさんの野犬が住み着いていることで有名だった、屋敷には老人が一人住んでいるらしいが姿を見たことはない、親からはあの家には近付かないように言われていた、クラスメイトの間では幽霊がいるという噂も立っていた、私は足が震えるのを堪えながら、妙な使命感でこんなところにまで来てしまったが、いつしか野犬の姿も見失い、薄暗くなっていく夕空が落とす不気味な影、五時を告げるサイレンは木々のざわめきにかき消される、背中を誰かに押されたような感覚がして私は屋敷の門をくぐった、庭には十数匹の様々な種類の犬がいるがさっきの黒い犬の姿はない、石畳に散乱する糞、名前もわからないグロテスクな植物、陶器の鉢に濁った水が溜まり、メダカの死骸がゆらゆらと蠢いている、まったく手入れされずに野犬たちの寝床となった庭は、異物の侵入を拒否するように酸っぱい臭いを放っている、やあ、お客さんなんて珍しいね、振り返ると私の後ろに老人が立っていた、まったく気配を感じさせないせいで私はこれが幽霊なのかと身構えたが、好々爺らしい柔和な表情と確かに地面に接着している二本の足が、くだらない噂話を否定していた、老人の頭は禿げ上がっていて、長く伸びた立派な白い髭はともかく、よれたシャツとくすんだズボンという組み合わせは見すぼらしさを演出していた、私は咄嗟に逃げようとも思ったが、力なくその場に座り込んでしまった、老人は私を家の中に引き入れ、自家製のレモネードを振る舞ってくれた、老人の貧相な格好とは対照的に、応接室の家具は子供の私ですらそれらが高価なものであることがわかるくらいだった、滑らかな革張りのソファ、美しい装飾が施されたテーブルの脚、マリーゴールドは枯れて生気を失っているが、宝石を散りばめた花瓶は触るとすぐに崩れるのではないかと思われるほど繊細だ、荒廃した庭と違ってどこかから甘い香りがする、壁には何枚もの絵画、棚に並べられた金色の彫刻品、ああ、若い頃にね、よく外国を旅行して、その土地で気に入ったものを買い集めたものでね、一つ一つはそれほど高い買い物ではないけれど、中にはその後有名になったものもあるんだよ、例えばそこに貼ってあるポストカードはニューヨークのストリートで黒人の少年から買ったもので、まさかその彼が二十世紀を代表する画家の一人になるとは思わなかったが、今では貴重な作品なんだよ、奥の部屋にもまだ色々ある、興味があるなら見せてあげたいんだけどね、今日はもう遅いから帰りなさい、親御さんを心配させちゃいけないよ、またおいで、きっとね、老人は皺だらけの顔をさらに歪ませた優しい笑顔で私の頭を撫で、でもここに来たことは秘密にしておいた方がいいかもね、と抑揚のない声で一言付け加えた、私は老人に黒い犬のことを聞くべきだった、友人の左耳はどこへいったのか。

 翌日、学校で教師から友人がしばらく入院することが伝えられた、なぜ入院せざるを得ないかという点については伏せられたが、現場にいたクラスメイト達によって事実は尾鰭をつけて流布されていった、だから友人が退院して最初に登校した日、クラスメイト達はこぞって彼の耳の跡を見たがり、別のクラスからも騒ぎを聞きつけた同級生が押し寄せ、まだ痛々しく包帯が巻かれた友人は俯いたまま屈辱感に耐えているようだった、私は関わらないように傍観していた、すると次の日から友人は学校に来なくなった、私は自分の不甲斐なさを責めた、あの時ちゃんと耳を拾っていれば彼は傷つかずに済んだかもしれない、すぐに引っ付けれていれば彼の耳は元通りになって、いつものように笑顔で遊べるようになっていたのかもしれない、私は早急に彼の耳を探さなければならないと心に決めた、手掛かりはあの黒い犬、再びあの老人に会ってみようと思った。
 といってもそれから数日はいつものように妹の世話をしなければならなかった、妹をあんな不気味なところに連れて行くわけにもいかず、かといって時間が経てば経つほど耳の行方は茫洋とするのはわかりきっていたので、私はもやもやとした気持ちで日々を過ごさなければならなかった、珍しく父が早く帰宅した日、私は屋敷の老人のことを聞いてみた、ああ、お父さんも詳しくは知らないんだけどな、元々この辺りの土地は全部あそこのご主人のものだったっていう話だ、お前が生まれる何年か前に奥さんを亡くされて、それを機に土地を手放してからは住宅地になって、うちもここに家を建てたわけだけどな、奥さんの死はご主人にとって大きな喪失だったみたいで、すっかり精神を病んでしまったってわけだ、庭に野犬を集めて人が近付かないようにして、たまに見かけて挨拶をしても返事もせず、この世のすべてを拒否したような生活をしているって、みんな言ってるんだよ、まあ、わざわざ関わることもないだろうし、不憫だとは思うけれど誰かが何かできるわけでもないしな、土曜日になって、私は昼まで学校があり、家に帰ると母と妹の姿はなかった、父は休みだったが早朝から釣りに出掛けていた、私は戸棚から取り出したインスタントラーメンを食べてから、これぞ契機だと自転車に飛び乗り、例の屋敷を目指して坂を上っていった、昼間だというのにぼんやりと薄暗く、木々を渡る風も冷たい、私は門扉に設置されたインターホンを押すが、指の力を吸い込むだけで鳴る気配がない、野犬の鋭い視線を避けながら庭を横切り、鍵の掛かっていない玄関のドアを開けると、私が来ることを予見していたようにそこに老人が立っていて家の中に招き入れてくれた、前回と同様に自家製のレモネードを一緒に飲みながら、友人の耳のこと、それを咥えていった黒い犬のこと、そして私がすべての出来事において何も行動せず傍観していた所為で友人が学校に来られなくなったことを話した、老人は難しい顔をしながら拙い私の言葉を黙って聞いた後、深く長い息を漏らし、君が責任を感じることはないんだよ、世の中にはね、どうしようもないことなんて無数にあるんだよ、遠い国の戦争や飢餓を君は止められないだろう? もしかすると巡り巡れば君の行動の一つが取り返しのつかない事態を引き起こす要因になることはあるかもしれないけど、それがすべてであるとは限らないんだ、わかるかい? そんなことよりせっかく来てもらったんだ、この前見せられなかったものをご覧いただこう、さあ、老人はゆっくり立ち上がり、私の手を引いて螺旋状の階段の先のドアを開ける、そこは倉庫のようになっていて等間隔にスチールの棚が並んでいた、まず目に入ったのは大量に陳列された本、それから様々な動物の銅像、皿、壺、壁に立てかけられた何枚もの油絵、新聞の束、木を掘って作られた仮面やオブジェ、カラフルな色遣いの刺繍、蛾の標本、老人は一つ一つを手に取りながら、つまらないコレクションだよ、芸術的な価値のあるものはほとんどない、でもわたしにとってはどれも大切な品なんだ、例えばこれはね、インドで出会った僧が作った万華鏡だ、覗いてみるといい、二匹の牛が歩いているように見えるってだけの単純なおもちゃだが、わたしのお気に入りだ、これは一年前に庭に出入りしている野犬が拾ってきたガラス玉なんだけど、大きさといい汚れ具合といい、人間の眼球のように見えないかい? そういうちょっとした面白味を発見すると捨てられないんだな、困ったことに、あとはこれなんか素晴らしいよ、次々と老人が紹介する珍品は興味の惹かれるものもあれば、まったくありがたみのないゴミ同然のものもあった、私は棚の奥にこっそりと保管されている瓶の中身がずっと気になっていた、琥珀色の液体に満たされた瓶には丸みを帯びた物体が入っている、耳のような形の、何か、それはもしかすると私が探しているものなのではないだろうか、だが私は老人に、あの瓶を見せてくれとは頼めなかった、本能的にそれが怖ろしいものであると思ったからだ、老人はあれやこれやと引っ張り出しては、それにまつわる思い出や蘊蓄を嬉々とした表情で話している。
 それからどのような経緯で老人の屋敷を出て自宅に戻ったのか覚えていない、妹を連れてどこかに出掛けていた母は既に家にいた、夕方には父も釣りから帰ってきた、食卓には父が捌いたボラの刺身が並び、家族四人で他愛もない話をしながら食べた、父も母もいつになく機嫌が良く、楽しい晩餐が執り行われた、ふと私は考えた、私の中の狂気が暴走し、今まさに父と母を殺してしまったとして、その時私は、世界にはどうしようもないことがあって、取り返しのつかないことをしても私の行動はそのすべての要因ではないと思えるのだろうか、父と母は笑っている、つられて妹もニコニコとしている。

 私は高校を卒業して以降は街を出て、その後何年もの間実家に帰ることはなかった、結婚を機に十年振りに地元に戻った際、老人の屋敷がなくなっていることに気付いた、父に聞いてみると、いつだったかな、深夜に消防車のサイレンが鳴り響いて、目が醒めると窓の向こう側が真っ赤に色付いているのが見えた、慌てて外に出ると坂の上が一面炎に包まれていて、真夜中だというのに黒煙が濛々と立ち込めるのが見えるほどだった、消火には朝まで掛かって、あの老人の家は跡形もなく焼け落ちた、庭に放っていた犬の骨がいくつも見つかったって話だが、老人の遺体はなかったみたいだから上手く逃げたんだろうな、だけど老人の行方はわからないそうだ。

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