1000字超短篇「世界の終わりという名の電車」

 私が電車に乗るのはどこかに向かうためではない、それは私が呼吸するのは生きるためではないのと同じで、ほとんど自動的な行為なんだと思う、電車はある地点からある地点までがたんごとんと揺れながら私を運んでくれるが、また元の地点に折り返して私を弾き出す、日々は常に変化しながら私自身は停滞している、というメタファーだ、世界が滅べばいいのになあ、と私は考える、そうなれば私はどこかに向かうために電車に乗るだろう。

 朝の通勤ラッシュに紛れ込んで、これから始まる一日に対するどうしようもない倦怠を身体中に纏った人々を観察するのは面白い、彼らはいつも疲れた顔をして新聞を読んだり、スマートフォンの画面を睨みつけていたりする、週刊誌の中吊り広告をぼんやり眺めているおじさんや、化学の教科書を開いてぶつぶつと何かを呟いている女子学生、各々が好き好きに車内で暇を潰しているが、一つの集団として犇めき合っている、私もその一部になる気がして妙な高揚感を覚える、群衆の中の私には個性もなく、ただの人間の塊だ。
 それとはまた違って、終電に乗ると味わい深い光景に遭遇する、酔っ払ったサラリーマンがシートを占領して鼾をかいていたり、カップルが人目も憚らずにイチャついていたりする、私は傍観者となって彼らが過ごした一日を想像する、そこでは私だけが切り離されていて誰とも何も共有されないまま、孤独の波が押し寄せてくる、だがそれは決して寂しさに彩られているわけではなく、自分が特別な存在になったのだという優越感の方が大きい。
 最も私が愛しいのは平日の昼間の各駅列車だ、乗客も疎らで、もしかすると私と同じようにどこへも向かわない人達ばかりが乗り込んでいるのではないかと思われた、白髪のお婆さんが中空を見上げながら時折納得したかのように頷いている、小さな子供を連れたお母さんは互いに手を握り合いながら童歌を口ずさんでいる、車内には永遠にも似た無為な時間が穏やかに流れていて、停滞する私そのものが電車という形になるような気がして心地良いのだ。

 ところで、隣に座った西洋風の紳士が不意に私の耳元で囁いてくる、ほら、もうすぐ世界は終わりますよ、私は窓の外に巨大なキノコ雲が立ち上がるのを見た、その途端真っ赤に燃え上がる街並、あちこちで黒煙が渦巻いて、あっという間に風景は混沌に満ちていった、電車はスピードを上げて通り過ぎていく、どこかに向かうために。

#一駅ぶんのおどろき

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