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あの日の朝の ササユリ

 習い事も用事もない珍しい土曜日、夫は不在だが、子どもを連れてちょっと出かけたい。だが日中は暑い。出歩きたくない。そんなわけで、朝のうちから、森林浴ウォーキングに行くことにした。正確には、私の希望が森林ウォーキング、子どもの希望が森の中のアスレチックで、両方行くことになったのだが。朝食を外でとることについては、意見は一致。
 2人とも無事起きることができたので、大急ぎで食パンを軽くトーストして、マスタードを塗り、貰い物のレタスをちぎって洗い、それをふきんでパンっと挟んで水気をきり、ハムと一緒にパンに挟んで、包丁で手頃なサイズに切り、タッパーに詰め込んだ。隙間にカブのぬか漬けやら、残り物のおかずを詰める。
 すぐに食べたい気持ちを抑えて出発。朝ごはんは少しウォーキングしてからね、と、ウォーキングコースを歩き始める。
 森林の中、何種類かの鳥の囀りが聞こえ、風に葉が揺れ、擦れる音がする。足元では、ウッドチップがパキパキと音を鳴らし、少し離れた茂みで何かがガサガサっと動く。朝の涼しい風を感じて歩くそんな森林浴は、大人の私にとっては大好物なのだが、子どもは早く朝食を食べてアスレチックに行きたがる。
 そんな子どもを宥めつつ、コースを短縮することを決めて、心の中でため息をつきつつ歩いていると、向こうの遊歩道から、3人連れの紳士がやってきて、私たちの少し先を行くかっこうになった。
 少し距離があったので、会釈や挨拶もなく、しばらく歩いていたのだが、そのうちのお一人が急にくるりと振り返り、
「お花は好きですか」
と、声をかけてきた。このウォーキングコースは度々来るが、挨拶以外で話しかけられるというのは滅多にない。
 突然のことに驚き、子どもは無言でかたまり、私はハッと顔を上げて、
「はいっ!好きです!」
と、まるで何かの新人のように、ハキハキと大きな返事をしてしまった。いい歳なのだし、もう少し何か気の利いた、こなれた返事をしたいところだったが、時すでに遅し。何やら変な汗をかきそうになる。
 そんな私の様子には構わず、その紳士は、
「今、ササユリが見られますよ」
と、脇道(獣道のような)を指差す。
 また、もうお一人が、重ねて、
「今、ちょうど満開ですよ」
と仰るので、
「ありがとうございます!」とまたしても、何かの新人のようなやたらハキハキとしたお礼を言って、子どもと脇道へと逸れた。
 脇道には、ササユリ保護区域の看板があり、人ひとり分の幅の歩くスペースが続いている。子どもに、ありがとうございますとか、大きな声でちゃんと言いなさい、などど小言を言いながら進んで行く。
 少し行くと、ぐるりと細いロープで囲われた区域が現れた。
 実は、幾度か見に来てみたことがあるが、ちょうどいいタイミングで見れたことがなかった。いつも、何にもないなあと思っていたのである。

「あ」
 ロープに沿って歩いていくと、一つ二つと、ササユリの姿が見えてきた。
 なるほど、笹百合。葉が笹に似ている。そして、なんとまあ、自己主張のない、楚々とした佇まいであることか。百合というと、花屋でよく見るカサブランカが思い浮かぶが、あのように、気高く、香り高く、ひとの目を惹きつける、といった感じではない。あれはあれでとても美しくて魅力的なのだが、なんというかこちらは、別にひとに見られようとは思わない、ひと知れずすっと咲いていて、すっと散る、楚々と在る、そんな風情なのだ。
 なんだか私の内の入れ物に静かに水が継ぎ足されたような心持になった。

「ササユリ見れたね」と子どもと話して、もとの道に戻ったが、ふと、このことは、この子の記憶に残るだろうか。と思い、いや、と思い直した。別に残らなくてもいいのだ、覚えていることはそれぞれ違っていいのだから。願わくば、私のお小言だけが残らないといいのだが、そうなっても仕方がない。
 ただ、私にとっては、ギフトだった。いつもは来ない早い時間だったから、親切な紳士にたまたま会えたのかもしれないし、子ども連れだったから、声をかけてくださったのかもしれない。何が幸いしたか分からないが、私にとって何かご褒美のような、僥倖のササユリだった。

 一週間ほどして、1人でササユリを見に行ったが、大雨もあったからか、そこには花の姿は見えず、倒れかけて斜めになった葉が見えるだけだった。

 

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