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読書メモ『「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して』はじめにと刊行に寄せて

やったぜ!2日連続(昨日書いたことを今日の分とする荒技!笑)
#読書メモ
#「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を目指して

「はじめに」と「刊行に寄せて」のメモ

「特に困っていない」「何とかやれている」とされる子どもにも多様性はある。どの子もその子ならではの独自な要求や都合を抱えて教室にいるのである。

奈須正裕 pⅰ

子どもたち自身による自律的な学びの推進であり、その背後にある、すべての子どもは有能な(competent)学び手であり、適切な環境なり状況と出合いさえすれば、自ら進んで学ぼうとするし、学ぶことができるという事実認識である。

奈須正裕 p.ⅱ

教師は、教えるプロという認識はまだまだ強いが、果たしてそうなのか。
じゃあ何のプロになるのか?
確かに1つは教えるプロなんだと思う。でも、それだけじゃなくて大きく言うと学びのプロ?環境を整えるプロであったり、学ぶ場のコーディネーターであったりする。が、もはや何のプロでもないのかもしれない気も。
この辺り本書を読んで、具体的な教師の役割を知りたいと思う。

さらに、「子どもは有能である」ということを丁寧に説明している。子どもは僕たち大人では気づきにくいことにも気づく。

いや、こう書いていて、そうじゃないな。

本来、大人も子どもも有能なんだよね。でも、子どもは特に、その有能さよりも経験が不足しているので"できない"を評価されがち、できないことがあるのは当然。大人もそうなのに。子どもだからって変に下に見ないで、対等な人として、子どもたちのそういう部分を改めて評価していこうぜ!みたいなことなんだと思う。


「刊行に寄せて」の部分では、学習指導要領の全文が添えられていて、ちゃんと文部科学省の思いを汲み取れてなかったなあと反省する。

一人一人の児童が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる。このために必要な教育の在り方を具体化するのが、各学校において教育の内容等を組織的かつ計画的に組み立てた教育課程である。

荒瀬克己 p.ⅶ

この文を丁寧に読み取れば、学校の中には手放さなければならないことがたくさんある。教師が、子どもたちとの本当の意味での信頼関係を作り出すためには、自分で説明し切ることのできないルールなどはやめるべきだし、子どもたちが納得のいかないルールは、改めて改善・調整していく余白が必要なんだろうな。変えることは、指導力不足ということにはならない。

教師の学びについても面白い記述がある。令和答申の審議まとめでは、

 学びに専念する時間を確保した一人一人の教師が、自らの専門職性を高めていく営みであると自覚しながら、誇りを持って主体的に研修に打ち込むことができるという姿の実現をめざしていく。
 教師の学びの内容の多様性と、自らの日々の経験や他者から学ぶといった現場の経験も含む学びのスタイルの多様性を重視する。
 その際、教師に求められるのは、「変化を前向きに受け止め、探究心を持ちつつ自律的に学ぶ」こともであり…

荒瀬克己 ⅻ

学ぶ時間があれば、先生たちは何を学ぼうと思うのか気になる。そこに、教師の信念が関わってくると考えられるし、経験からくる教師の専門性を導き出すことができそう。教師も学びたいことも、学び方の多岐にわたる。だからこそ、同僚性を高めて学び合い、対話のある教職員集団をつくりたいと思う。

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