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負けることについてのお話

現在は主にグランツーリスモになりますが、レースゲームをプレイしていて、以前と何が違うかといえばオンライン環境の充実。

昔はゲームセンターでなければできなかった人間相手のレースが、ソフトさえ買えば後は何十回、何百回でもやり放題というのは、若かりし頃アーケードでしこたま百円玉を突っ込んだ人間からするともう最高としかいいようがありません。

ところが長く楽しんでいるうちに、オンラインで手軽にレースができることの弊害(は言い過ぎかもだけど)も色々と感じてくるようになって。

具体的には、マッチングも含めたシステムがしっかりできているので、自分の実力がどの程度なのか言い訳の余地なくわかってしまう。そのランキングも(ほぼ)全参加者を俯瞰できるものなので、大抵の人は「上には上がいる」現実を思い知らされるものになります。

で、私くらいの年齢になると負けることにはある程度慣れているわけです。入試、就職、異性の取り合い、出世。人によるでしょうがいろいろな競争があって、勝ち負けを経験し、負けることを知り、対処する。その方法の良しあしはありますが、負けたときの自分なりの対処の仕方というものを身に付けているわけです。

けれど、若い人はそうはいかない。ゲームのコミュニティを見ていると、負けることに上手く対処できない若い子が多い。

これはさっき触れたランキングが確立されていることも大きいと思っていて、私たちのときは、学校なり市町村なり地域なりそれなりに狭い範囲で上位に入って勝利の味を知ってから、上のレベルにいって、そこでガツンと敗北を知る、というパターンでした。

ところが、いまは毎日が全国大会みたいなものです。勝利を知る前に敗北を味わい続けることの方が多い。だから難しい。

このゲーム、若くて速い、才能あるなという子がたくさんいます。その中でも私がこれはちょっと別物じゃないかと思っていた若い子がいて。いろんな才能・センスがある中で、この子だけは他の子と全く違った特性を持っていた。具体的には言えませんが、ある特定のシチュエーションでの速さが図抜けていた。

私が見ていたとき、その子は上位ではあったけどトップではなかった。でも、将来はわからないなと私は思っていて。他の子がもう身に付けた技術を彼はいつかマスターできるけど、彼の持っている特性は他の子は真似できないのではと。そうしたら彼がトップに立っておかしくないと思っていました。

でも、その子は多分いまゲームをやっていないんですね。近しい間柄でなかったのでわかりませんが、ちょっと負けることに悩んでいた様子も伺えて。もしかしたら負けることに嫌になっちゃったのかと。

それが勿体ないことなのかも私にはわかりません。彼にとって、負けて悔しい思いもすることなく、居心地がいい場所や、もっと彼に適性のある場所を見つけたのかもしれない。そもそもへっぽこドライバーの私が人の才能をそんなに見極められるのかと問われればそれまでの話ですし。

長々書いてきておいてなんですが、答えのある文章ではありません。
稼げるプロがあるスポーツや競技のように、脱落者をどんどん振り捨てていくシステムもあるでしょう。嫌な話になりますが、私ぐらいの年になると、ある競技で全国レベルあたりまでいったけど途中でドロップアウトしてしまい、一般的な社会の価値観からは、なかなか難しい状況におかれてしまった若者たちの例を身近に多く知っているわけです。
敗者はただ去るのみというルールでヒエラルキーや階層が構築されている競技は少なくない、というか実際は大半がそういった構造で成立しています。

それでも、若い子については、部活動なり地域クラブなりを見ても一定数の大人が指導役として介在しています。十分ではないとしても。
e-sportsだといって若い子のカテゴリ作って大会やるなら、そういった若い子をどう扱うかについては、本当はもう少し考えるべきじゃないかなと思っています。