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役所広司主演「Perfect Days」観ました

noteに登録したのは3年前なんですけど、今年から書いていこうと思っています。読む方は少ないと思いますが、よろしくお願いします。

賽の河原で小石を積むように、小さな幸せを積む日々

 さて、話題の映画「パーフェクトデイズ」の感想を書きます。この映画を見ようと思ったきっかけは、ダンナが見て「良いのはわかるけど、結局、女性のモテて、優しくされて、『役所広司だしねw』と思ってしまった」と聞いたからでした。

 まず最初に、「感想」というのは個人のバックグランドが関わるから、実に個人的なものだと思っていますのでご了承下さい。
 
 映画が始まって20分くらいで感じたのは、「子供がいない家の専業主婦みたいだ」でした。
 誰かに誉められたり感謝されたりする事を前提とせず、自分が「満足する」ことを目標に作業を行なっている。同居家族も、主婦のルーチンワークが完璧であることが当たり前で、その存在も特に意識することもない。それでも、庭の花が咲いたり、夕陽が美しかったり、誰かと分け合うことをしない、小さいけれど確実な幸せを噛み締めるように日々の満足を積み重ねている。ハプニングが起きること無く明日も同じ日が続くことも、満足感のひとつ。…なのかな? と。

 そんな感想が揺らぐのが、毎晩繰り返される「悪夢」(悪夢…ですよね?)。そして、運転手付きの黒塗りの車で現れた妹の言葉でした。
 ああそうか。この人は過去に、自分の行動をジャッジされ続け、否定され、大声で名前を呼ばれながら罵倒されてきたのだと思った。そういう経験があったから、小石を積み重ねるように幸せを数えて、それを蹴飛ばす鬼が来ないことを祈っているのではないだろうか、と。

 「平山さん」と名前を呼ぶのは、同僚と小料理屋の女将だけ。銭湯の常連や古書店の主人など、彼を「知っている」人はいるのだけど、名前も家族構成も知らずでも毎日会っている感じが、旧Twitterのフォロワーみたいだと思うのは極端かな。でも、そんなフォロワーに囲まれて息をしている人、いるよね?

「何者かになる」ことから降りて、自分が美しいと思うこと、木漏れ日や若木や、古い小説…を抱きしめて生きる。それは本当に幸せだと、平山は感じているのだろうか? 最後の表情をどう見るか、人によって違うのだと思う。

 女性たちから優しくされる件については、
「それはやっぱり、役所広司だからしょうがないよね!」
ということでOKだと思いましたww

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