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黒子になりたい

はじめに

私は広告イベント制作の会社に勤めています。
入社時は現場でバリバリと働いていましたが、昨年鬱での休職期間を経て、来月から人事部で働くことになりました。
なぜこの会社に入ったのか、なぜ病んでも復帰するという道を選んだのか、入社時と今では見えている景色が全然違います。
そのあたりを深掘りしていきたいと思っています。


新たな経験ができる場を作りたい

経験のなさがコンプレックスに

私自身は九州の小さな田舎町の出身です。
電車は通っておらず、1時間に一本のバスのみが公共の交通機関でした。
どこかへ出かけるには、親に隣町のショッピングセンターまで車で送ってもらう必要がありました。
学校は町に一つで、学年も1クラス、全校生徒の顔と名前が一致するような環境でした。
そんな田舎で育った私が、ひょんなことから東京の大学へ進み、生活を始めることになりました。

毎日が驚きの連続でした。
「行きたい!」と思えば大体のところにいつでも行けて、「やりたい!」と思ったらすぐ行動できる。
自分の視野がすごく狭かったことに気付きました。
そしてだんだん、自分の経験のなさがコンプレックスに感じるようになってきました。
私はキャンプやスキー場、ライブ会場、映画館すら家族と足を運んだことはありませんでした。
「世の中、面白いものでこんなに溢れているのに、私は知らなかった」という事実にショックを受けました。
そして、まだいろんな世界を知らないであろう、私の育った町の人たちがかわいそうに思えてきました。

お茶会の企画と運営をしてみて

大学2年生の時に、所属していた茶道サークルでお茶会をすることになり、私が幹事に選ばれました。
お茶会のコンセプトを決め、道具を決定し、会がスムーズに運ぶように部員の配置を決め、なおかつ当日は自分もお茶を点てるため、練習を怠ることはできない。
なかなかハードな毎日が続きました。
でもその経験を通して、「空間作り」というものに興味関心を持ちました。
大変さよりも楽しさの方が優ったのです。
将来仕事でもこのような空間づくりに関わってみたい、そう思わせてくれた経験でもありました。
普通、お茶会ではお茶を点てている人に注目が行きがちですが、その会をスムーズに進行しているのは、陰ながら動いている沢山の黒子がいるからです。
茶道は、表舞台で活躍するよりも、黒子として活躍できる職に就きたいとも思わせてくれたものでもありました。

就活の軸はドキドキワクワク

いよいよ就活の時期がやってきました。
私はもうその頃には、イベントや非日常の空間づくりに携われるところに絞っていました。
その中でも広告を利用したイベント制作は、たくさんの人に認知してもらえる可能性があり、一番働いてみたい業界でした。
紆余曲折はありましたが、見事に第一志望だった会社から内定をいただき、私の就活は終了しました。

入社1年目

コロナ禍での幕開け

私たちが入社したのは、ちょうどコロナの第1波がピークで、初めての緊急事態宣言が出た頃でした。
私たちは「リアルで体験してもらう」ことで人の心を動かす事業を生業としているにもかかわらず、リモートでの研修の日々が始まりました。
研修が終わり、配属が決まって業務が始まっても、引き続きリモートワークの中で上司とコミュニケーションを取りながら仕事をすることが求められました。
「リアルイベントの企画や制作、運営がしたい!」と夢見て入社した私たちは、だんだんとその夢が実現されるのはもっと先になると悟っていくこととなりました。

オンラインイベントの制作

それでも仕事をどうにかして作っていかなければなりません。
私たちの会社は「オンラインイベント」に大きく舵を切り、動画配信イベントなどを多く手掛けるようになりました。
仕事がある分マシだと思う一方、「私はこんなにYouTubeの設定に詳しくなるために会社に入ったんじゃないんだけどな…。」と思う自分もいました。

上司との不和

私の上司は女性だったのですが、いつ何時でも生理なのか⁈と思うほど機嫌が悪く、誰かに当たっていないと自分が保てない人でした。
なので、直属の部下である私にイライラの矢が向くのはすごく当たり前の流れでした。
何をやっても怒られて、次第に仕事が手につかなくなり、何にもないのに涙が止まらなくて、精神が崩壊しました。
今思えば、上司も上司でこのコロナ禍で仕事で生き延びなければならないストレスもあったことだと思います。
けれども、それを部下に八つ当たりされても困るのです。
心療内科に行った私はすぐに仕事を休むように言われ、闘病生活が始まりました。
2021年の2月のことでした。

休職期間を経て

やっぱりイベントが好き

休職期間に入り、自分自身と向き合いました。
私は本当にこの仕事がやりたかったのか、好奇心だけで選んでなかったか、向いてないと感じることはなかったか、、、
それはそれはいろいろ考えました。
でもやっぱり最後に思うのは、「イベントが好きだ」ということでした。
リアルであろうが、オンラインであろうが、「非日常」を体験できることには変わりなくて、それを提供できる会社に私は属している。
現に、休職中も好きなアーティストのコンサートにはなるべく足を運んでいました。
そのたびにやはり、こういうものを作り上げられるような仕事がしたいと思うのでした。

イベント制作は黒子

イベントの制作と聞くと、華やかなイメージを持たれる方が多いと思いますが、実際は違います。
黒子として立ち回り、あちらこちらのパイプ役を担うことが求められます。
そのため、勤務環境は決していいとは言えません。
深夜施工は当たり前だし、夜中にMTGすることも沢山ありました。
規則正しい生活を行いたい人には、決して向いていません。

今の私のキャパシティ

イベントの制作はこれからもしたい、でもその体力がもうない…。
それが目下の私の悩みでした。
薬を大量に飲んでいたため、ある程度規則正しい生活が求められました。
そうなると、ガッツリ現場に入るのは無理に近い。
でもイベント制作を支えたい。
そして私が考えたのは、「黒子の黒子になる」ことでした。

今のお仕事

復職にあたって

辛い闘病生活を経て、なんとか主治医から復職診断をもらい、会社へ復帰する日が近づいてきました。
そこで、会社役員と面談する機会を設けてもらいました。
私はその場で現状と、これからどういうふうに働きたいかというのを、言葉が拙いながら訴えました。
出た結論は、「コーポレート部門から再出発してみよう」でした。

人事部として支える

その2~3日後には、人事部に異動になることが決定しました。
実は人事部の仕事には興味があったのです。
お茶会をした際、人員配置を考えるのがすごく楽しかったのが頭に残っていたから。
その人の得意なことが活かせる配置にできる自信があるから。
2月付で異動なので、まだ本格的に業務を始めてはいませんが、これからが楽しみです。

おわりに

休職期間中は業界も業界だったため、会社を辞めることももちろん考えました。
でも、東京に出てきて受けたショックを誤魔化して、違う仕事をすることはできないと、最終的には思いました。
私は、「黒子」のさらに「黒子」として働くことを選びました。
入社時に描いていた自分の像も今は全然違います。
でも、軸にあるものは同じだと思っています。
これからの仕事が楽しみです。

#この仕事を選んだわけ

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