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やっぱり遠野物語は面白い㊱

遠野文化研究センター研究員 木瀬公二

 81話、82話と進み、83話にきたところで、番号の右上に〇印がついていることに気が付いた。小田富英が言う。「私はその〇は、遠野郷の話ではない、よその土地の話、それも海岸の話につけたのではないかと思っています」と自分の考えを伝えた。さらに、「これからこの丸印を研究対象にするのも面白いと思うんですけど」と付け加えた。
 84話以降は難しい問題はなく、とんとん拍子に進んでいく。小田は「何だかいい調子で来ましたよ」と笑顔で話すと、大橋進が「しかし『ついには』という言葉が多いな」と、ここまで読み進んできた文章の感想を述べた。

㊱83話の〇1

右上の○は、遠野郷の話ではないことを区別するためか

 道の脇に山の神や田の神などの石碑が多いことが書かれている94話では、「又早地峯山~」と記した点について話題になった。2話目などにも出てくる「早地峯山」について三浦佑之が「柳田は最後まで『早峯山』で、『地』を『池』に変えた『早峯』には直さないですね」と語り、それが意図的なものか、癖なのか、思い違いなのかなど、読者が様々に推理して楽しめる「タネ」になることを示唆した。

㊱早池峰1

『早峰山』と書いていることにはどういう意味があるのか

 小田が「95話も〇印ですね」と言った。刊行本では99話になっている、山田町田之浜の津波の話だ。明治の大震災で妻を亡くした「福二」は、1年後に、夏の夜の霧の砂浜で妻の亡霊を見る。結婚前に妻が心を通わせていた男と一緒だった、という話だ。突然、理不尽にも妻を失った男の、整理しきれない心の動きを描いたこの文章を大橋は「しかしすごい話だな」としみじみと言った。

 木瀬公二は東日本大震災後に、福二の4代後の子孫の長根勝に会っている。福二と同じ山田町に住んでいたが、震災で家とともに母(当時78歳)を流された。必死に母を捜し回り、遺体安置所で、横たわる何十体もの遺体と、それに巻かれた毛布からはみ出した足や、濡れた髪の毛などを見続けた。自分の精神状態がおかしくなったことに気づいた長根は「大丈夫だろうか」と不安に襲われ出したころに、遠野物語が頭をよぎったという。福二は、妻の遺体を見つけたのだろうか。見つからないうちに葬式をしたのだろうか。そんなことを考え続けた1年後、母が夢にでてきた。台所で料理を作っていた母と自分が日常会話をしていた。たったそれだけだったが、母の死を受け入れることができるようになった。福二も、妻が幽霊という形で出てきたことで自分を納得させることができたのではないか。長根がしてくれたそんな話を思い出していた。

 三浦佑之は「この話はさ、柳田は喜善から聞いたの?」と小田に聞いた。「そうです」と小田は答える。喜善が子供時代、おじさんから聞いた話で、喜善自身もこの話を書いているし、喜善を柳田國男の元に連れて行った作家の水野葉舟も書いている。
 ただしその内容が、少しずつに違っている。違うのは妻の笑い方だ。遠野物語には、福二が妻の名を呼ぶと「振返りてにこと笑ひたり」と書かれているが、「水野の本は『にこにこ』と笑って、と書かれていますね」と小田が言った。喜善は、笑う描写は書いていない。大橋が「幽霊は『にこにこ』じゃねえべな、『にこ』だろう」というと、三浦が「『にた』と笑うと書かれている文章もどこかにあったな」と言い出す。大橋は「そんな笑われ方をしたら気持ち悪いな」と言い、会議室は「にこにこ」よりはるかに大きな「ははは~」と笑う声が響いた。

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