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やっぱり遠野物語は面白い㉜

遠野文化研究センター研究員 木瀬公二

 「毛筆草稿」に、はっきりと書かれている実名をどう取り扱うか。「意図的に変えちゃうわけにはいかないでしょう」と大橋進が言った。「出版された当時は、柳田先生が考えたような弊害があったかもわからないけど、もう110年たっているものね」と続けた。さらに、「毛筆本とペン書きと活字本と比較できることが、この本を発行する意義でもあるのだから」と言った。
 小田富英は最近、白岩家の末裔と直接連絡をとり、その人の父が平成7 (1995)年につくった家系図まで送ってもらっており、実名が出ることを問題視している様子は全く見られなかった、と話した。しかし三浦佑之は「ただあんまりここが実名だとか強調しないほうがいいと思いますね」と言った。が同時に「やはり実名は外せないです。ひっかかっちゃうと問題でてくるでしょうからこのままスーッと行きましょう。図書館という公的な立場が気になりますが」とまとめ、実名で出すことには全員が同意した。

㉜毛筆白岩1

「毛筆草稿」に、はっきりと書かれている実名をどうするか

 実名問題はこれで結論が出たが、それとは別の問題が浮かび上がってきた。この実名が、どの時点でどういう経緯で伏字になったのかが分からないのだ。「毛筆本」「ペン字原稿」「初校」の岩波ゲラを見比べて見た。毛筆本にはもちろん、「白岩市兵衛」と書かれていた。ペン書き原稿も、それを活字化した「初校」も実名のままだった。「初校」は、本になる一歩手前の物で、柳田国男がそれを読み、言い回しや誤りを赤字で直すためのものである。「筆者校正控」の印が押されたそれのあちこちに、赤字直しが入り、柳田が熟読した様子がうかがえた。しかしそのどこにも、実名に関しての赤字は入っていなかった。それにもかかわらず、柳田の赤字直しを反映させた「初版」本では、伏字になっていたのだ。これをどう考えればいいのか。
 印刷所が勝手に直すわけはないだろうから、柳田がどこかの時点で指示したと考えるのが順当だろう。だが何か、モヤモヤが残る。もしかすると、佐々木喜善が柳田に、伏字にするよう頼んだのではないかとも考えられる。

㉜白岩市兵衛初校

「初稿」でも実名部分に柳田の赤字は入っていない

 そう思えるのは、この種の話は遠野に数多く伝わっていることに関係する。「遠野物語をゆく」(菊池照雄著)には「カッパの子を生んだという話は戦後まで続き~」と書かれているほど残っており、小田が直接聞いた話だけでも数件ある。そのような状況から小田は「喜善は、カッパの子を生んだ家の代表という意味で、豪家の白岩家の名前を出したのではないか」と推測する。しかし出版が近づき、地元のことが頭に浮かんだ喜善が「固有名詞を出さないほうがよさそうだ」と考え、柳田に伏字にしてくれるよう頼んでも不思議はない。もちろん、これが正解、ということではない。真相は闇のままに、三浦佑之は「では次に行きます」と進めた。

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