見出し画像

やっぱり遠野物語は面白い㉟

遠野文化研究センター研究員 木瀬公二

 ようやく「毛筆1」が終わり、ひと息ついたと思ったら、大橋進が話をぶり返した。佐々木喜善の名と住所と思われるメモ風の書き込みが、裏表紙の端に、斜めに鉛筆で雑に書かれていたことについて「なんでこんなことになっているんだろうな」とつぶやいた。小田富英が推論を話し出した。「喜善が柳田国男に『本が出来たら送ってください。住所はここに書いておきます』と言って書いたんじゃないでしょうかね」。でもなぜ、ちゃんとした用紙に書かずに、いかにもあたふたと有り合わせの紙で用を足そうとしたのか。その疑問は消えなかったが、いつ頃書いたのかのヒントは出てきた。
 この裏表紙には、原稿用紙に穴をあけ、そこにヒモを通して本をまとめる「綴じひも」が写っている。だからこのメモ書きは、柳田が「毛筆1」を綴じて本の形にした後に書かれたことになる。「つまり『毛筆1』ができた時点で、いったん喜善に預けたんですね。そのとき書かれたんですよ」と三浦佑之が続けた。

㉟35回用喜善サイン

本をまとめる「綴じひも」

 話はそれ以上の深読みまで進むのを打ち切るように三浦が「これでようやく2冊セットの毛筆本の1冊目が終わりました。というかお昼だね」と言い、弁当タイムに入った。この日は400円のシャケ弁当。「2冊目は1時過ぎから始めて4時過ぎに終わるでしょうね。5時過ぎの電車で帰りたいな」と三浦が言い、食事を始めた。

 「毛筆2」に入った午後は、読み手が小田に代わった。「53ページからいきます。74話の3行目の『笑』は、竹冠に犬となっていますが『笑』でいいでしょうか」と始まった。土編か足偏か、「ら」か「か」か、「揺」は「うごく」と読ませるのか、などの協議が続いた。「そんな字あるかな?」という声には、遠野市史編さん委員長として、毎日のように筆字を見ている大橋進が「うん、昔の人はこういう字をよく書いているんだ」などと説明していく。79話には地図がついている。字なのか地図の記号なのか判然としないものも出てきて、難航する場面も出てきた。

 80話でまた「手偏」と「木偏」の問題が出てきた。「本当に分からないね」。「椽」か「掾」か。「ああわかんない、どうしよう」「いずれこの辞典には木偏のこの字はないな」。意味としてはいずれも「縁側」の類で、この字をどっちにとるかは編集委員会の判断になる。「原則としてない字をつくることはやっていないんですよ」と三浦が言う。

㉟手偏の縁

「椽」か「掾」?またしても手偏と木編の問題が(左ページ最後の行)

 柳田國男全集や「注釈遠野物語」など、出版されている本や文献などを調べてみる。「注釈遠野物語も木偏ですね」と大橋。毛筆本を見ると「これは手偏で、ペンでも最初手偏で書いたのを木偏に書き直したっていう感じがしますね」と続けた。「後に出た活字本は糸偏の『縁』になっているね」という話も出て、なかなか収束方向には進まない。「ところでこの話は、刊行本だと80話ではなく81話になっているんだ」と誰かが気づいて議論は一休みとなった。
 結局三浦が「極端な異体字は通用に近い字に直しているんですけど、糸偏に直しちゃうのは変だから。そしたら手偏でいきましょう。われわれはそう読んだということで」と言って決着した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?