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やっぱり遠野物語は面白い㉞

遠野文化研究センター研究員 木瀬公二

 筆遣いにも、いくつもの特徴がある。手偏と土偏を、ともに「十」偏にする例が目立つ。十偏に「屈」という字は、「掘」と書こうとしたのか「堀」なのか。どちらの字もあるから困る。手偏の「掘」であれば、動詞の「掘る」「掘り」で、土偏の「堀」ならば、名詞の「池のお堀」だ。どちらを書こうとしたのかの判断が、なかなかつかない。68話の「矢の根を多く▢出てしこともあり」の▢字も難しい判断を迫られた。文意は「矢じりをたくさん掘り出したこともある」だから「掘り」がよさそうだが、筆遣いを重視して「堀出てしこと~」とすることで決着した。

㉞34回用 堀

手偏の「掘る」か、土偏の「堀」か?(左ページ・2行目の最後)

 木偏の木を「オ」と書く癖は、飲み込んでしまえば何とかなるが、どうしても読めない字も出てくる。72話の後ろから2行目だ。「亜細亜の『亜』のような字ですけど、その下に田んぼの田が入っているでしょ」と三浦佑之が言う。「読めないですよ。こんな活字はないですから」と大橋進が言った。協議の末に「留」という字だと判読し、「むる」と振られた送り仮名があることから、「とどむる」と読むと判断した。「若い人は絶対読めないから凡例をつけないとダメだな」と大橋が言うと、三浦は「そのほうが親切だからね、分かりました」と応じた。

㉞読めない字1

亜細亜の『亜』のような字だが、その下に田んぼの田が入っている。
実在しない活字を解読していく。

 次は73話で、これで「毛筆1」は終わる。特に難しい問題もなく、すんなり「毛筆2」に入ると思われたが、大きな問題が隠れていた。文章は終わったが、まだページが続いていた。白紙が1枚あり、その裏表紙の隅に、遠慮するようにうっすらと、しかも走り書きのような斜めの字が書かれていたのだ。

㉟35回用喜善サイン

裏表紙の隅にうっすらと書かれた斜めの字

 鉛筆で書かれたこの、メモのような文字はなんと読むのか。鳩首協議が始まる。かすかに「四五 小林方 佐々木」と読める。それ以外は「読めないな」と大橋が言う。この3つの単語を手掛かりに、柳田国男書簡集や佐々木喜善全集にあたる。「小林方」の前の数字は住所の番地で、佐々木というのは喜善のことだ、ということに全員が同意する。「喜善の字でしょうね」と大橋が言ったことにも、全員が同意したが、住所の解読にはつながらなかった。
 そのほかの文字で、かろうじて分かったのは「第六」「天町」。これは、交友関係にあった歌人前田夕暮に喜善が出した手紙の差し出し住所の「小石川区第六天町~」と符合することが分かった。そのことを指摘している論文もあった。しかし、読めない字を推測で書くわけにはいかない。「読めない字は、不明のままで『注』をつけましょう」と三浦が言い、ようやく「毛筆一」が終わった。
 この部分は「原本遠野物語」では、「佐々木喜善の当時の住所と思われる。当時の地図等により、『小日向第六天町』(現文京区小日向一、二丁目のあたり)とみてよかろう」などの(注)を入れた。

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