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やっぱり遠野物語は面白い㉚

遠野文化研究センター研究員 木瀬公二

 本田敏秋市長への表敬訪問を終えた編集委員一行は、図書館視聴覚ホールに戻った。次の日程が決まっていた赤坂憲雄だけは戻らず、市庁舎で分かれた。
 席に着いた三浦佑之が「どこまでいったんでしたっけ」と言うと、大橋進が「姉と姊の話の53話まででしたね。大体半分くらいいったんだな」と答えた。三浦は「昨日で様子は分かったので、新しい問題が出てくることはないと思うんですけど、出てきたらまたそこで考えましょう」と言って、「閉伊川の流れにハ淵多く~」と第54話を読み始めた。主人の斧を川の淵に落とした男の話である。
 判読にしにくい字が続き、一字ずつ検討を加えていく。3行目の「奉公人淵の上なる」の左側に鉛筆の書き込みがあり、それを消しゴムで消し、さらにその上に念を押すように縦線を引いた跡があった。編集委員は額を寄せ、目を凝らし、書かれていた文字を解読する。ようやく判読した文章は「原臺ハ有名ナル淵也」。近くに「書き添えは鉛筆書き」と注を入れることにした。

㉚原臺1

目を凝らしながら解読した文字「原臺ハ有名ナル淵也」

次ページの2行目に出てくる「胴引」のフリガナでは、見解が分かれた。遠野一帯で行われていた、麻ひもと小銭をつかった単純な博打で、「ドウビキ」と呼ばれることが多かった。それを柳田が、間違って「ドツピキ」と書いている、というのが三浦の意見だった。「ドウ」であれば「ビキ」で、「ドツ」であれば「ピキ」となる。遠野では、語り手によって「ドウビキ」とも「ドッピキ」とも言われた。柳田のフリガナの筆は、どちらにも読めるから困る。
 「ツ」か「ウ」かを判断するため、第55話の冒頭に出てくる「河童」のわきに柳田が振ったカタカナの「カッパ」という字と見比べることにした。ここで書かれていた「ツ」の字を見て大橋が「『ウ』とは、はっきり違うな」と言うと、小田が「同じじゃないですか」と譲らない。
 なかなか進まない議論に三浦は、これまで出版されているものや、岩波書店が参考に送ってきた指摘などを調べ、「『ウ』を採用しましょう」と宣言。「ここで直しておけば新しい事例になるでしょう」と言い、「ドウビキ」と振ることにした。その後、木瀬公二は75話に「五葉のウツギ」という文が出てくるのを見つけ、その字と比べると明らかに「ツ」に見えた。となると、ここで「ドウビキ」にした翻刻が誤っていたことになる。さてどっちか。そのような「翻刻判断の妥当性議論」もこの本の楽しみ方の一つになりそうだ。

㉚ドウビキ1

「ツ」なのか。それとも「ウ」なのか。

 「あとはいいでしょうか。では55話にいきます」と進んだそこで問題になったのは「白岩市兵衛といふ士族なり」という部分だ。これは、「カッパの子を産んだ家」という話の中に出てくる人の名で、恐らくプライバシーを配慮して活字本では「〇〇〇〇〇」と伏字になっている。ごく一部の研究者を除くと知られていないこの名前の扱いをどうするか。議論は白熱した。

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