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やっぱり遠野物語は面白い㉝

遠野文化研究センター研究員 木瀬公二

 実名問題を終えた次の56話目では、出だしの「上郷村」の脇がひどく汚れていることに話題が及んだ。汚れの下にうっすらと、かすれた字が見える。「鉛筆で何かを書いて、消しゴムで消しているんですよね」と小田富英が言うと、三浦佑之は「何の字か分からないな」と応じる。かすれた字は、たぶん2文字。大橋進も加わって「上の字は木偏ですよね」「手偏にも見えるか」「柳に見えますね」と侃々諤々。下の字は「行」の旁の「亍」だけが書かれているように見える。そこから推測する2文字は「柳行」となるが、地元の大橋ですら、この文字から類推できることはなく、お手上げ状態。「鉛筆による傍書を消したか」という「注」を入れることで決着した。

㉝㉜かすれた上郷1

「上郷村」の脇に、うっすらとかすれた字が見える。

 ここまでの翻刻を振り返ると、崩し字や変体がな、鉛筆書きの薄い文字やこすって汚れた字などで解読に苦戦を強いられたが、経年劣化で読みにくくなった部分はなかった。本文の約半分まで進んでそのことに気づいた大橋が、しみじみと「しかし墨の寿命ってすごいな」と感嘆の声を上げた。

 57話から62話まで順調に進んだ。63話では、書き出しが「これハ古き話なり」が墨の二本線で消されていることに関して協議が始まる。それに続くのは「小國の三浦某と云ふは」で、すんなり読み続けられる。それなのになぜ、わざわざ消す必要があったのか。みなが考え込む様子で口をつぐむ。その立ち止まりが少し続いたところで三浦が「理由は分かりませんね」とバッサリと言い、「それでは次に」と進んだ。

 65話に二カ所、「阿倍ケ城」と出てくるが、「これは柳田が間違えています。両方安倍です」と三浦。それでもここは「翻刻ルール」に従って、間違ったままの字でいくことになる。「ここは鉛筆ですかね」「いや筆のカスミですね」「『は』に点々があるように見えるのは濁点ですかね」「ゴミでしょう」。細部にわたっての協議をする中で、読めない字もちょくちょくでてくる。「困ったね、どうしましょう」。額を集めて協議を続けた。

㉝㉜阿部が城

65話に二カ所、「阿倍ケ城」と出てくるが・・・

 柳田国男の文章は、句読点はなく漢字の送り仮名もなく、ずらずらと続くから、どこが文節の区切りかが分かりづらい。そこを読み誤ると、文意を間違えてしまう。この編集作業とは関係ないが、分かりやすい例を挙げると「ここではきものをあずけてください」という文章の、どこに読点を入れるかで意味が全く変わってくる。「ここで」の後に読点を入れれば「ここで、履物を~」となるが、「ここでは」の後だったら「ここでは、着物を~」になる。そんな大事な役割の読点がない柳田の文章に、編集陣の悪戦苦闘が続く。

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