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やっぱり遠野物語は面白い㉗

遠野文化研究センター研究員 木瀬公二

 編集会議はいよいよ、本文に入った。三浦佑之が翻刻してきた文字を読み上げ、それを元に協議する形で進んだ。「第1話」5行目の「十ヶ村」のところで「この『十』の字がほかの字と比べて太く、墨が濃くなっていますね」と三浦が言った。「ここは最初は空白にしておいて、後から村の名前を一つずつ聞いて、十村あるのを確認して書き込んだ可能性がありますね」と三浦は推論を話す。第1話が始まる前の欄外に書かれた十の村の名前は、その確認の跡だと読み取ることができる。この「十ヶ村」の脇と、欄外に書いた十の村の脇には、同じ×印がつけられており、これも「十ヶ村とはこの村々のことだ」という自分のための印と思われる。
 この欄外の、「十ヶ村」の名前は、ペン字原稿になると本文の中に取り込まれ、そこに「遠野」が加わって「一町十ヶ村」に変わっていく。予備知識はなく遠野入りした柳田が、現地でいろいろ調べたのか、聞き洩らしていた部分を喜善から聞き直したのか、どちらかだろうと思わせる筆の動きだ。

㉗十1

「十ヶ村」の『十』の字(5行目)がほかの字と比べて太く、墨が濃い。

 協議は2話目に入り、2行目の「坂東道七十里」の脇に、12文字挿入されていることが取り上げられた。挿入文字は鉛筆で「七七十里とて七の渓谷より」と書かれている。「これは柳田の字ではないな」と大橋進が言い「喜善の字とも違う気がするな」と迷っている様子を見せた。「七七十里」という言葉は、遠野の江戸時代の書「遠野旧事記」に出てくる表現で、「柳田はこれを伊能嘉矩から聞いて引用していると考えるのが自然だな」と大橋が言った。結局、誰が書き入れたかは特定できないまま「ともかく『鉛筆書き』という注意書きを入れましょうか。大事な情報ですから」と三浦が言い、そうすることになった。
 ここで1ページ目の検討が終わったが、たった本文14行のここだけで29か所にわたる字句の協議があった。

 次のページに入り「六角牛」の脇にカタカナで「ロッコウシ」と一度フリガナを振った後に「ウ」を墨で消して「ロッコシ」としているのは、地元の人たちの発音をしっかり聞き、その通りに直したことが伺える。第5話では、活字本で「二里以上の迂回なり」となっている文章の「二」の部分が空白になっていた。毛筆草稿を書いた時点では、距離が分からなかったための空白と読み取れる。6話目の「某」という字は、前後の字と比べ明らかに墨が濃く、3文字分ほどのスペースに「某」の一字だけになっている。これも空白にしておき、あとで調べて具体的な名前を入れるつもりだったが分からず、「某」となったと推測できる。次の行には「長女」の「女」を消して「者」に直しているのは、喜善の話を聞いた時は「ちょうじょ」と聞こえたが、文字にして、文意を考えれば「長者」だろうと判断して直したと思われる。

㉗長女お長者1

「某」の字(4行目)も墨が濃く、太字で書かれている。
また、「長女」の『女』が『者』に直されている。(5行目)

㉗7話の次が9話となっており、8話が欠番となっている

毛筆原稿では8話が欠番になっている。

このような文字の問題だけでなく、「欠番」も出てくる。「7話の次が9話になっています」と三浦が言った。第11話が終わったところで「もう1時になっちゃった。休みましょうか」と三浦が言い、少し遅い昼食になった。



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