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やっぱり遠野物語は面白い㊳

遠野文化研究センター研究員 木瀬公二

 その程度の分量しかないのに、なぜ一冊にまとめず、「上」「下」巻でもなく、「一」「二」と表記したのか。そう問われた小田富英は「柳田国男は、遠野物語を出して増補版が出るまでの25年の間に続編を出したくて、佐々木喜善に早く書けと言っていたのです」「もっとたくさんの遠野物語の原稿を集めるというのが目標だったのです」「そういう意味では3、4、5、6と継ぎ足すつもりだったのでしょう」と言った。続編を頭に描きながら、この時点では集めるのを終えた。それが小田の推測だ。
 しかし白紙部分があるのだから、ここに何かを書こうとしたのは確かだろう。「昔話を入れる予定だったのだと思います」と小田は言った。108話で「御伽噺を昔々といふ」と書き、その例として、遠野には「山姥」の話しが多く残っていると指摘。その上で「其一つ二つ」をこれから紹介しましょう、という調子で書いている。そこを読めば、109話以降にそういう話を入れようとしていたことが読み取れる。

 『遠野物語』の時代には、御伽噺や昔話、民話や童話と言ったジャンル分けはしっかりされていなかった。柳田は「昔々」と「昔話」は同じで、特定の人の持ちネタがあって、その人しか語らないのではなく、誰でもが語り、その内容はみな同じものだと理解していたと思われる。だから、自分がわざわざ聞いて書かなくても、誰かが書いた物を写せばいいと考えた。それを白紙部分に載せようとした、というのが小田の推理だ。
 具体的にはそこに、佐々木喜善が書いたものを載せようとした。根拠として小田は「喜善のあれが残っているでしょう」と言った。原本と同じ桐の箱に入っていた「早稲田大学出版部」と印刷された原稿用紙に、喜善が書いたと思われる116話、117話、118話の下書きのような文章だ。それらをまず、白紙部分に入れ、まだ余白があるのでしし踊りの歌詞を入れた。「もっと集める気はあったと思いますが、そこまでで本が出来ちゃった(一冊分の分量が集まった)」と話を続けると、三浦佑之も「それはあったかもしれないね」と相槌を打った。

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 佐々木喜善が書いたと思われる鉛筆書き原稿

 当時柳田は、「むかしむかしある所に、おじいさんとおばあさんが~」というように、場所も人物も特定しない「つくり話」のようなものを昔話と理解していた。そういう推論を基に、遠野物語の序文を読んでみると、別の側面が浮かんでくる。序文で柳田は、「(喜善から聞いたことを)一字一句をも加減せず感じたるまま書きたり」と不思議な日本語を使い、この本に寄せる自分の思いを綴っている。そこには、「聞いたままではなく、自分の価値観を込めて練りあげて書いたのだ」という強い意志が見て取れる。要するに、この本の多くの部分は単なる「昔話」ではないのだ、という表明文だと読むこともできるのだ。序文に、「今は昔」の話ではなく「現在の事実なり」と書いたことも、このことを補強していると思える。
 柳田は、そうやって集めた話を「家の神」「山の神」「山男」などと「題目」を設けて分類した。その分け方で、昔話に相当する「昔々」の「題目」に入れたのは、ペン字原稿の段階で書き加えられた115話から118話までの4話だけである。その前の114話までは「昔話」ではないとの宣言でもある。

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『遠野物語』序文(ペン字原稿)

 ここまで推理を進めてきて、63話の翻刻で話題に出た(連載33回目)、消す必要もないように思えた書き出しがなぜ消されたのか、という疑問を思い出した。消されていた「これハ古き話なり」という部分が残っていると、苦労して「現在の事実なり」として書いた63話が、「昔々」になってしまう。そう思われるのを恐れたと考えれば、消す必要はあったのだと思えてきたのだ。
 編集会議の中で続く小田らの議論は、「『原本遠野物語』は、こんな風にも楽しむことができるんだよ」と伝えているようで、活気がなえることはなかった。

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