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文章練習4[3分短編]

 最初の入れ替わりに気づいたのは、私がまだ17歳の時だった。高校の友人が美術部の卒業展で不織布を出展したいというので、参考になれば良いと、前年に叔母がフィジー旅行で買ってきていたカットクロスを見せてあげようと思い、友人を自宅に招いた時だった。バヌアレブリゾートでメケショーを観た後、止まぬ楽園の高揚感をいなす術を持たない叔母が、ラウンジの端に佇む土産屋で、ほとんど転がるように目につくあまり手に取り持ち帰ったガラクタの一つであった。幾何学模様に月と太陽、中央にオサガメのモチーフがあしらわれており、勉強用のデスクに敷くには厚過ぎ、テーブルクロスにするには目が忙しかった。

 そんなわけで、そのタパは私のクローゼットの奥で新たな楽園を得た。そこには踊りも篝火もなく、一日中休みなく響き渡る波の音もなかった。もし望みさえすれば、私の元を離れ、横浜のアパートメントの一室で、友人の卒業作品をより良いものすることもできただろう。
 だが、その愛すべき無用のタパはどこにも見当たらなかった。両親は知らないと言い、私のずぼらな性格を責めたし、私はクローゼットの物をすべて引っぱり出してみせる必要があった。この失踪事件が何らかの不規則で避けられない事故であることを示してみせるより他なかった。

 この日を境に、ことある毎に部屋のものが無くなるようになった。ヨーロピアンジャズトリオのベスト盤、コロンビアのワークキャップ、課題のために学校で借りたマクベス、当時私を夢中にしたシンディローパーのポートレート。半年に一度、多い時は二度。それと同時に、時折、私は自分の部屋で見覚えのない品々を見つけるようになった。ジェフリーアーチャーのミステリや、木製の眼鏡入れ、ラコステのハンドタオル。不思議と恐怖は感じなかった。恐怖は好奇心の奴隷なのだ。スタルクフォンテイン遺跡で発掘作業をしている現地人はこういう気持ちなのだろう、今日はシンプソンズのブリキだ!化石人骨が出てくる日もそう遠くはないぞ!

 夫と同棲を始めた際、この話をしてみた事がある。何でもない話のきっかけだった。確か義理の妹が出産の為に転居するとかなんとかで新居で使うためのソファをプレゼントしようかなどと話していた時だった。夫にクラークケントのような二面性を期待していたわけではないが、彼は知り合った時から税務署の礎石に脚が生えたような人間だったため、私が喋り終える頃には、万事すべての謎が解けたというような涼しい顔をして、気のせいだよ。とだけ意見を述べた。彼はオカルトを毛嫌いしていたし、オカルトをそのまま身近に捨て置くことも良しとはしなかった。その点、気のせいだと結論を付けてしまえば、この空気の読めない奇妙な語り手にも現実のフレームを被せる事ができると考えたのだろう。“今はソファの話だ妻よ“。ハムレットが一番最初に選んだ相談相手がホレイショーではなく私の夫だったなら、オフィーリアも入水せずに済んだだろう、と私は考えた。

 この頃、私はおかしな夢を見るようになっていた。夢の中で、私は扉で、ブランコで、トランジスタラジオだった。舗装されていない赤土に木柵が乱雑に突き刺さっている。木造のデッキから突き出した簡素な平家、同じ敷地に錆びたトレーラーハウスが向かい合って二つ、大抵の場合、私はそのトレーラーハウスのうちのどちらか一つで意識を持った。日は低く、住人は見当たらない。私が扉の時は、外の景色がよく見えた。黄色の陽が木柵からいくつもの細長い影を私の、錆びて建て付けの悪そうな鋼板の扉に投げかけている。庭には円形のテーブルが据えられ、ウッドチェアが二組並べられている。ただこの荒野のような無機物を、ジオラマの部品となった私は眺めているのだ、とりわけこの夢の中で時間は無意味だった。登場するものは変わらず、同じ位置に太陽が据えられ、視界に動くものは何もなかった。

 しかしある日、私はこのジオラマに懐かしいものを見つける事となった。私は昇降口の手すりとなって、いつものように自分の持ち場を守っていた。柵の隙間から陽が差し込む私の庭、歯車の壊れた無機物の楽園に目をやると、並べられたウッドチェアの一つに、あの樹皮で作られたオサガメのカットクロスが、低く設られた樫の背もたれをすっぽり覆うように掛けられているのを発見した。それだけではない。テーブルの上には大学の時に無くなってしまったロットリングのボールペン。その横には茶色く変色した薄っぺらなペーパーバックが置かれていた。いつかのマクベスだろうと考えた。

 かつて私を構成することのなかったものたちが、確かにそこに存在していた。どう解釈すればいいのか。実は昨日の夜、私は夢から覚める瞬間。あの世界に私自身の姿をみた。目覚めるとクラークケントは私の隣で寝息を立てていた。私はしばらく自分の手のひらを見つめた。そこには踊りも篝火もなく、一日中休みなく響き渡る波の音もなかった。

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