退職と転職

4年間、ぐるぐると会社を辞めたいと言い続け、会社での人間関係を、くるみはくるみなりに調整をかけ続けた末、先日、これ以上この会社にい続けることは、マイナスにしかならない、はっきりした危機感に、追い立てられ、決断した。

追い立てられて退職するのは良いことだろうか、どっちかっていうと悪影響なんじゃないのそれこそ。

そこまで考えてくるみはふっと可笑しくなった。私ってどこまで自虐的。いつもいつも、自分の側ではない方に、まるで常に自分は間違っており、罪悪感を持たなければならない罪人のように、常に自分を疎外してきた。

ならばこの際、自分の側に立ってみても良いではないの。どーせ、どちらに立とうが誰に責められる訳でもないもう40代の中盤も超える年齢なのだから。私が私の人生を失敗したところで、もう悲しませる人はいない。父はもういない。母はもうわからない。兄と姉はせいぜいほくそ笑むくらいだろう。いいえそもそも年齢なんて関係なかったのだ。私は私の意思で私の人生を生きるのを、父の死後まで待たなければならなかった。なぜ?誰のせいで?いったい誰のせいで誰を責めればいいのだろう。私はあまりにもいままで自分を責めてきたために、周りを責めずにはいられない体を持っている。体に毒を、持っている。そこまで考えてうんざりした。私はいまだに、私の体をさえ、罪を毒を抱えたものとして責め立てているのか。うんざりだ。罠は解けない。誰が仕掛けたわけでもない、いや全ての人が仕掛けた罠。誰にも解けるもんなんかじゃない。

静かなあきらめがくるみの体を支配していくのを、くるみは感じた。

うんざりした。この門出に、この転機に、よりによって全てを諦めるような停滞感に襲われるとは。幸先悪すぎる。

せめてもの勇気を、この経験を何か人の役に立つ記録に。そう思ったのはついさっきのはずなのにこのありさまだ。だけどこの文章はひとまず私の役には立っている。くるみはたしかにそう実感した。私は自分の転機に高揚しているふりをしていた。少なくともそのことに、私は文章にするまで触れることができなかった。私が隠す、私が私から遠ざけ続ける私自身へと歩み寄る。私は今日、その一歩を踏み出した。くるみは猫背のまま心眼の焦点を絞った。ピントが合った。

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