見出し画像

続・身長160cm以下の成人男性の服装問題

誰の人生にも、他人にとっては些細なことだろうけど、自分にとっては深刻な悩みの種がある。みなさんはどうですか?僕の場合は、服を買うこと。より正確に言えば、僕の身体にぴったりな服が無いのです。

僕は身長が低い。あんまり大きな声では言えないので、いっそのこと段落の冒頭で断言したくなるくらい低い。一般的な成人男性の平均身長と比較して10cm低い。だいたい女子高生の平均身長と同じくらいである。
おかげさまで、服のサイズ選びで常々苦労している。
こんなことをいうと
「Sサイズの服があるブランドもたくさんあるじゃん!」
と反射的な答えが返ってくる。違う、違うんです。
チッ、チッ、チッと指を振るジェスチャーつきで否定したくなるくらい違う。
服飾の専門家では無いから身を切った経験上の話になるが、Sサイズの服は、「標準体型より細身の成人男性」のために作られている。これはもう用途が全く違う。包丁と刀くらい違う。だって、台所で刀をつかうわけんにはいかないでしょう?

具体的な問題として、Sサイズの服は着丈や袖丈が長すぎるのである。ジャストサイズで着たい服がお尻をすっぽり覆う。ジャケットの袖が中指の第二関節に触れている。試着室の中で、「目が覚めたら体が縮んでしまっていた!」と毒づいた経験は、一度や二度ではない。
そういうみじめな体験を何度も繰り返して、僕のような人間は漠然と服が嫌いになってきたわけである。「ファッションブランドに、どれだけ熱いコンセプトがあろうが、持続可能性や環境について取り組もうが、お前らは個人の身体をあまりにも粗雑に扱ってるじゃないか。コンプレックスを煽ってるじゃないか」と。

以上が、以前に書き散らした内容の骨子である。うーん、卑屈ですね。
もっとも、ここ数年に関しては、こういう状況はずいぶん改善してきている。その理由は主に3つ。
ひとつは、ブランドによってはXSサイズを選択肢として用意してくれるようになったこと。例えば、ユニクロはオンラインショップ限定でXSサイズを提供している。店舗で試着こそできないものの、返品の融通が利くので、大きな進歩である。きっと、ユニクロの製品開発者の中で奮闘してくれた人がいるのだと思う。「個人の意見ひとつで世の中が変わらない。ゆえに、何を言ってもかまわない」と思ってふるまっている僕と違って、こういう実務的な素晴らしい仕事をする人たちがいるんですね。
ふたつめは、近年のオーバーサイズファッションの普及である。これはもう全然違う。ざっくりと言えば、これまでは「サイズが合わない服を着ている情けないやつ」と思われがちだったのが、オーバーサイズという価値観を取り入れることで、僕のような人間でも「主体的に服を選ぶ体験」が、気軽にできるようになったわけだ。これはちょっとした青天の霹靂であった。これまでの人生で、試着室で「おお、思ったとおりのサイズ感だ」と思ったことなんて、ただの一度も無かったから。
みっつめは、僕自身の体型の変化である。20代前半と比べるとかなり体重が増えた。肩幅や身幅が広がって、Sサイズの服が「着れている」ように見えてしまうのだ。言うまでもなく、あまり良い変化ではない。

以上の理由によって、ずいぶん服を買いやすくなりました。
しかし、こうして考え直すと、服を着る体験で得られる満足感は、ずいぶん世の中の価値観に影響してしまうみたいだ。もちろん、個人が好きに服を着てもいいだろうけど、それでも梅田のど真ん中をチョンマゲで歩くことは僕にはできない。あなたはどうでしょう?
あとは、対面接客が伴うような店に行かなくなったので、精神的にもずいぶん楽になった。まったく、服屋の店員って余計なことしか言わないんだから。本当に。

他に、身長が低くて不便なことはあるか?幸か不幸か、他には特に思いつきません。試着室の鏡の前でげんなりとする体験こそあれども、己の不幸を自分の体型に見出す認識は、ずいぶん前に棄ててしまった。
もっとも、もしも僕が婚活をやっていれば、身長は極めて深刻な問題になるだろう。ああいう価値観を採用する市場があること自体は否定しないけれど、僕自身としてはくれぐれも婚活市場という俎上に載せられないように気をつけたいと思っている。
余計な話のついでに付け加えると、それ以外の場でいわゆる「モテ」の観点で身長の話をする人については、基本的に関わらないようにしている。まな板の外側で包丁を振り回す人は、銃刀法の観点からも軽犯罪法の観点からも犯罪者だからだ。みなさんも反社会勢力と取引しないように気をつけましょうね。

僕がまだ若く傷つきかったころ、服を買う・服を着ることは本当につらかった。今みたいに自虐することすらできないくらい、現実的な痛みをともなうものだった。
そういう生傷をオーバーサイズの服で隠して生き続けて、ようやく自分にフィットする考え方や価値観を身につけられたのかもしれない。
あるいは、僕が鈍感でぼうっとした人間になっただけじゃないか?その可能性は大いに考えられる。うーん。いずれにせよ、服を着ないで外に出るような真似をしないように、気をつけなくちゃ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?