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乳首を光らせて夜道を歩くな /日記

タイトルを「5月のある晴れた夜道で、100%パーセント乳首が光っている人とすれ違うことについて」にしようと迷ったが、さすがにアホらしいのでやめた。

大したことではない。要するに、ウォーキング用ライトを首にかけている人とすれ違って、ギョッとしただけである。
この日記のサムネイル画像にしているようなタイプのやつね。

もうさ、見たらわかるじゃん。
この二つのLEDの位置、直立二足歩行の哺乳類の乳首の位置じゃん。「さすがに乳首を光らせるのは違うかなー」って思っちゃう位置じゃん。これを作った人は、どこに乳首ついてんの?それとも牛みたいにいっぱい乳首あるのかな。だったらごめんね……

いくら僕の思考能力が中学生レベルとは言えども、たかだか乳首の位置にLEDがあるライトを見ただけで、「ちょっとこれ乳首光らせてるじゃん〜〜〜」とイジってみたくはならない。いや、なるけれども、流石に大人なのでいちいち文字にしたりはしない。だって、もうこの話題で日記を書くのに飽きてきてるし。

要するに、乳首ライトを見た時の僕は、たいへん疲れていて、おまけに空腹で、思考力がゼロの状態だったのである。ちなみに、この日記で「要するに」が出てきたのは、2回目である。どうだ、疲れが伝わってくるだろう。

厳密に言えば、疲れよりは空腹のほうが強かった。
僕の悪癖なのだが、2週間に一度くらいのペースで、
「空腹にも関わらず何を食べたらいいのか全くわからない状態」
に陥ってしまう。
ひどく腹が減ってきて、なんでもいいから胃袋に放り込みたくなる。しかし、何を食べたらいいのかわからない。そのくせ、冷蔵庫の中身もUber Eatsのメニューたちも、その全てが油粘土に見えてくる。自分が食べるものも自分で決められない自分に嫌気がさしてくる。
自己嫌悪がさらなる自己嫌悪を呼び、その自己嫌悪がさらなる空腹を招く。私はタコになりたい。奴らは自分の足でたこ焼きを作って、空腹をしのぐと言うではないか。

しかし僕は軟体生物では無いので、他者を食べねばならない。さいわい、すぐに外に出られる格好をしていたので、命からがら部屋を飛び出して、最寄りのスーパーに向かうことにした。
僕がタコじゃなくてよかった。とてもじゃないけど、8本全ての足で靴を履けるような体力は残ってなかったから。

(あと、靴を4足も持ってないな。にも関わらず1年に1回は左右別々の靴を履いて外に出るから、やはりタコじゃなくてよかった)

そんなわけで、スーパーに着く頃には虫の息だった僕は、目についた食べ物を手当たり次第に買ったわけである。
「空腹でスーパーに行くと買いすぎるから良くない」と言う方がいるが、僕に言わせれば空腹を抱えて居酒屋に転がり込むほうが、多くの場合悲惨なお会計が待っている。スーパーはいい。己の惨めな射倖心が、値下げシールに反応してビチビチと跳ねる音が聞こえる。

で、その帰り道で乳首ライトでウォーキングする人とすれ違ったわけ。

極度の空腹状態においては、スーパーからの帰り道すら命がけである。体力もそうなんだけど、脳の思考リソース管理が、大変である。
まず、一番に考えねばならないのは、この後作る料理についてである。だいたいの献立は決まっているから、鍋がしまってる場所とか、使う皿だとか、料理の手順や調味料などなどをシミュレーションする。つぎに、どの手順をスキップできるか、何分くらいで作れそうかを検討し、ブラッシュアップしていく。料理に取り掛かる前に、かるくつまめるものも買ってるから、まずはそれを食べねばならない。それからーー、う、うわ、目の前から歩いている人、めっちゃ乳首光ってるやんけ・・・

バッテリー切れかけで省電力モードの中、必死に演算をしているところで、見慣れないものとすれ違ってしまったのだ。無駄に、無駄に、脳に負荷がかかる。
そこからは、おおむね上に書いたとおりである。
「ウォーキング用のライトだから、首にかけるのはわかるけど、なんで乳首にライトをつけるねん。設計者はどんな人体構造をしているんだ。猫みたいに乳首いっぱいついてるから、2つくらい光っててもなんとも思わないのかな。猫って捕食者でありながら繁殖能力がめっちゃ高いから、大変らしいな……」
などなどと、思考が横滑りしていってしまう。その間、生命維持に必要な脳の機能が全部作動しない。ばっかじゃねえの。

というわけで、長々と書いてきたけれど、僕が言いたいのは、「夜道で目立つのは大変重要なことだけれど、ウォーキングライトを買うときは一灯のものにしてください」ということです。

ちなみに夕飯は豚しゃぶにしました。

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