なんのための集団なのか?
昨日は市の特別活動研究会で学級会の授業を参観した。
授業後の協議会の中で
「学級会の話し合いにすごく違和感を感じる」
と言ってくれた人がいた。
僕はその人は学級会や特別活動についてはそれほど力を入れていない人だ。しかし、僕はその人の子供一人ひとりの声を大切にしている授業実践が大好きで尊敬している人なので、なぜなのか詳しく知りたくなって聞いてみた。
学級会を見ての違和感
・より良いクラスをみんなで目指すことが前提になっている。
・45分かけて形式張った話し合いをしないで活動してから話せばいいのに。
・「みんなで一つになるため」とか「団結」とかいう綺麗な言葉に反対しにくい。
・クラス全員で何かをやらなくてはいけないのか?各々好きなことをするのではダメ?
・意見を言えない人のことって本当に大事にできる?置いてきぼりにしない?
・まとまっていてやりやすいのは先生なのではないか?
こう並べてみると確かになぁと思うものや、これは違うぞと反論したくなるようなものもある。しかし、学活を熱心にやっている人たちだけの集まりでは中々出ないような意見かもしれないとも思った。
改めて僕がなんで学活を頑張ってきたのかなぁと振り返った。
「集団の力は個人の成長を促進する力になる」
からだと思う。
でも一方で集団の力は個人にとってマイナスに働くこともある。
その面を一旦落ち着いて考えることは必要ではないだろうか。
プラスの面の集団の力
・1人ではできないことも周りの支えでできる
・自分では見えていなかったところをフィードバックしてもらえる
・集まると単純に楽しい。クリスマスパーティーとか1人ではつまらない
マイナスの面
・同調圧力が働く
・少数派の意見は受け入れられにくい
・集団の外のことについて見えなくなる
まだまだ出せると思うので教えてもらいたいし、このことでしっかり議論してみたい。
それでも僕は個人の成長のために集団の力は必要だと思う。一人ひとりが成長できるコミュニティってどうやったらつくれるんだろう。それにすごく関心があるのは間違いない。