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本書において筆者はまず、文学を楽しむための道具とは何か、それはすなわち本であると説く。…
明治29年、森鷗外は、自らが主幹する雑誌「めざまし草」に連載された幸田露伴・齋藤緑雨との…
以前からことあるごとに目にして気になっていた数学者・岡潔と批評家・小林秀雄の対談本『人…
国文学研究者の西郷信綱は、「詩人の命」(『古典の影』収録)という短文で、大伴旅人や山上…
小川和佑『伊東静雄』(講談社現代新書)は古書店で何気なく手に取って購入したものだったが…
手元に一冊の古書がある。 昭和18年9月に刊行された太宰治の『右大臣実朝』。大阪にある錦…
明治中期に奇行の詩人がいた。ある時その詩人が友人と一緒に酒を飲んでいたとき、自分の盃が欠けていることを指摘されると、いきなりその盃をガリガリと嚙み砕いて食べてしまったという。伊藤整『日本文壇史』に出て来るエピソードである。 その詩人、中西梅花(幹男:1866~1898)は「忘れられた詩人」として知られている、ちょっと変わった存在だ。忘れられているのに知られているというのは矛盾のようだが、忘れられているのを惜しむ声が、時々思い出したように挙がってくる、そんな雰囲気を感じる
一人の学徒として、学問に向き合う態度はいかにあるべきか。 人それぞれの考え方はあると…
いつも、詩を書きたいと思いながら文章を連ねている。 しかし、どういうわけか形式として…
文章が人格をあらわすとすれば、書き表したものは年相応の経験が反映されて然るべきだ。若書…