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年中休業うつらうつら日記(2023年9月2日~9月8日)

23年9月2日

薬をのんで熱も平熱に下がって、身体がかえってスッキリしたように思えたこの数日間だが、やはりコロナは身体を蝕む。
咳が残って苦しいし、身体全体がなんとなくだるくて胃腸の調子が悪い。
これが倦怠感というやつだろうか。

せいうちくんに至ってはもともと気管支が弱いのですっかり咳にやられ、咳のし過ぎで横隔膜が筋肉痛になったと訴えている。
それでも仕事はしなきゃいけないらしくて、テレ会議では話すことが多いのでますます喉が痛くなるのだそうだ。
とても気の毒。

2人ともものを食べる気分ではなく、食べやすい総菜パンをたくさん買ってきて食べている。
1回買うと3日ぐらいもつほどの量。
くやしいことにそれだけ食べていてもせいうちくんの体重はじりじりと下がっていく。
私は総菜パン食べると太るんだが。


気を紛らわそうと未読の瀬下猛「ハーン 草と鉄と羊」を読み始めたら、これがお約束通りの義経チンギス・ハーン伝説で、読んでいるうちにモンゴルのあたりの方に興味が出てきてしまった。
しかたなく中断し、森薫の「乙嫁語り」を読む。
これがまたいい作品で、もう何度読んだかわからないが、モンゴル砂漠地方の様々な民族の暮らしについて丁寧に取材して描いている。
男子禁制のお風呂屋さんなどでは女性の裸体とツヤベタのたっぷり入った美しい流れるような髪をふんだんに描けて、さぞや森薫も嬉しかったであろう。


23年9月3日

我々より先に罹患してすでに11日目を迎えているSくんはまだうっすらと陽性の線が出るそうで、「やる気が出ない」らしい。
これも倦怠感のなせる業か。

私も新しいマンガを読む気になれず、野田サトルの「ゴールデン・カムイ」を読み返しているが、これがまた面白くて面白くて。
金曜ZOOMでGくんから、
「一度読んだ本やマンガを読んで、そんなに面白いのか。いくら忘れていても、覚えてるところがあるんじゃないか」と追及されたが、何度も読んでいるからこそお約束のシーンやベタなギャグに何度も笑える気がする。
あと、1回やそこら読んでもストーリーが頭に入ってこないんだよね、ゴールデン・カムイのように入り組んだ話だと。

そんなわけでコロナ後遺症中なりに楽しんではいるが、やはりだるくてやる気が起きないのは他の人たちと同じような症状。
それでも罹患後10日経ったので、明日は心臓の病院に行かないと薬が足りなくなってしまう。
ブドウ球菌にやられた眼も完治していない感じ。
私の外出の用事はほとんどが病院通いだなぁ。

23年9月4日

2人してコロナに罹患した時は、高熱がひと晩続いたせいうちくんに比べて私は最大瞬間体温38.5度程度で、あとは37度台で落ち着いていた。
すぐに薬をもらいに行ったせいもあり、体調はそう悪くなく、親しい友達には「かえってスッキリしている」とLINEしてしまったぐらいだった。

しかしコロナは甘くなかった。
その後2人とも咳と倦怠感と胃腸のもやもやに悩まされている毎日。
あんまり気分がぱっとしないので、いつもヒマなGくんにZOOMを申し込んで少し遊んでもらった。
早くせいうちくんと共同で中古のキャラバンを買い(お金はせいうちくんも出すが、選ぶのはGくん。置いてもらうのもGくんちの敷地)、また3人で車中泊の旅をしたい。

なんだか腰の重いGくんなのでもしかしてもうこの計画に飽きちゃったかと思ったら、
「だまされてスカをつかまされると思うと怖い。わしは市場をよく勉強してから買うタイプなんだ」と言われた。
「その前にメガネを新調しようと思ったが、今日も1日寝ていた。まずはメガネからだ」と、キャラバンへの道は遠そうだ。

あまりにぐんにゃりしているので今日は風呂にも入らずに21時ごろには寝てしまった。
毎日かなり早寝をしているが、一向に体調が戻らない。
薄紙を剥がすようにだんだん良くなるものと期待しているが、コロナを甘く見てはいけなかった。
1回かかるごとに免疫力が下がるというのも本当かもしれない。

息子夫婦がそろってコロナに罹患した時は、妻のMちゃんの咳がずいぶん長引いたようだ。
息子は「頭が悪くなった。ぼんやりする」とこぼしていた。
今のところ頭が悪くなったような自覚はないが、それを判断する頭がぼんやりしていたらわからないかもしれない。
とりあえず知力に関しては普段と変わらず、物忘れしたりいいかげんなことを言ったりして過ごしている。
ただ、長いことマンガを読んでいられない。すぐ飽きる。
これはひとつの症状かもしれない。

せいうちくんの仕事ぶりを聞いていると、頭が悪くなってるようには思えない。
仕事への情熱ゆえであろうか。
今日も立派に働いていた。尊敬する。

23年9月5日

先週コロナで病院に行けない時期だったので、予約を2件、今日に移しておいた。
おかげで暑いのに病院のハシゴである。

まずは眼科。
あいかわらず両目でブドウ球菌が活躍しているらしく、目やにが止まらない。
同じ抗生物質を使い過ぎると対抗菌ができてしまうそうだが、3週間後に緑内障の検査が入っているので、その日まで今と同じ薬でいいでしょう、と言われ、さらに3本もらった。
あふれるほど差すのがコツの目薬らしい。

9時45分の予約がサクサク片づいたのでついでに午前中に心臓の方の定期検診に行けた。
毎日のまなきゃいけない薬が明日で終わるので、ちょっと焦ってたんだ。
(もちろんストックは持っているが、めんどくさい)
ワーファリン値は「2.2」。ばっちり有効範囲ど真ん中だ。
コロナの後遺症はしょうがないとして、来月に帯状疱疹のワクチン2回目を予約して終了。

実は家のすぐ隣と言ってもいいあたりに新しく心臓・一般内科のクリニックができる。
そこでなら今のクリニックで撮れなくて年に1回日赤に撮りに行っているCTもやれるかも。
しかし私は今のクリニックの江口のりこ似のツンデレな女医さんを愛しているので、できれば転院したくない。
せいうちくんにも、
「年に1回、日赤でCTを撮ることには大きなメリットがある。広い意味で日赤がキミのかかりつけ病院になるからだ。この先大きな病気になった時、きっと役に立つ」と説得され、新しいクリニックはあきらめる方向で。
いつか江口のりこ似に「近くに心臓クリニックできたんですけど、私は○○先生が大好きですから」と告白してみよう。デレたら勝利。


家に帰って水風呂に入り、買ってみたおせんべいを食べながら麻生みことの「そこを何とか」全15巻を読み返す。
そろそろ板垣恵介の「範馬刃牙」でも読むかな。



夜は早々にお風呂に入って、それぞれ適当に晩ごはんを食べ、石坂浩二の「犬神家の一族」を観て寝る。
今夜も22時就寝だ。
最新の吉岡秀隆の「犬神家の一族」でも「スケキヨの足」は雑に扱われていたが、2006年の石坂浩二版でも「スケキヨの下半身が逆さまになっているから『ヨキ』」というコンセプトは出てこなかった。
原作では非常に大事にされている謎解きの一部なのに。
「斧(ヨキ)」を使って殺せばいいのかー、と思いついた責任者、出てこい!

明日はギター教室と心療内科のハシゴ。
中島みゆきの「糸」のギター譜はまだ完全に弾けてはいない。
「住職」とひそかに勝手に呼んでいるスキンヘッドの先生が簡単にしたギター譜を送ってくれたが、どうしても自前で買ったやつの方が華麗である。
弾きこなすことさえできれば住職に文句は言わせないのだが…
彼は「この楽譜では腱鞘炎になる」と頑固に言い張って、なかなか許可を出してくれないのだ。
頑固な住職である。

23年9月6日

息子妻Mちゃんの誕生日。
先日息子と電話で話した時に、
「仕事で5日間、京都に行く。誕生日にMちゃんを1人きりにして申し訳ない」と寂しそうに語っていたので、せめて私からたんおめLINEを送っておこう。

Mちゃんはとても喜んでくれた。
今日は1人宴をしているそうだ。
「お母さんたちは、コロナのあと大丈夫でしたか?」と聞かれ、「さすが噂にたがわぬ後遺症の厳しさで、いまだに倦怠感が抜けません」と答えたら、自身も罹患経験のある彼女は、「やっぱり倦怠感ありますよね。私もしばらく外出するのもだるくてつらかったです。お大事になさってください」と答えてきた。

当時は3類だったし、若夫婦2人そろっての罹患だったので生活物資にも困るだろうと、あわててレトルトのおかゆとか飲み物とかロングライフ牛乳とかいろいろ送った覚えがある。
今はもう5類なので気楽なものだ。

結婚式の準備も進んでおり、息子が京都から帰ってきたら電子招待状が届く手はずになっている。
こちらも準備をしなくては。
というわけで、今日はギターを抱えて2駅先のスタジオまで中島みゆきの「糸」の弾き語りレッスンを受けに行った。
1回行ったことがあるのに見事に道に迷い、5分遅れで到着。
「住職」と勝手にコードネームをつけた坊主頭のギタリストに汗まみれになって頭を下げ、謝罪しまくる。

私が買った楽譜はちょっと難しいので、LINEを通して住職が簡単なギター譜に直したものを送ってくれていたが、まずは練習の成果を見てもらおうと私の譜面で。
しかし遅刻に焦って動転していたので、昨日まで一生懸命練習したのに全然その成果を出せなかった。

住職は、
「うさこさんは声が素晴らしいから、ギターはもう、おまけにつける程度で、歌に専念しましょう!」と言って、自分がギターを弾いてくれて何度も歌のレッスンを受けてしまった。
心肺機能が弱くて息が短いので、ブレスのタイミングを考えるだけでずいぶん良くなるそうだ。

「でも、やっぱりギターも頑張りたいんです。あと6回のレッスンでこの楽譜を弾きこなすことができるようになるのは無理でしょうか。難しいところは先生に手を入れてもらって簡単なコードに直して」と聞いてみたが、
「ちょっと無理がありますねー」とつれないお言葉。
ちなみに住職が書いてくれたギター譜ならほぼ弾けるが、こちらはこちらで流れとして気に入らない点が多い。

結局、歌を誉め殺されて終わった感がある50分のレッスンだった。
「ギター教室にギターを習いに来ているのだから」と次回もうちょっと強く言おう。
そして、強く言うだけの根拠としての練習を積み重ねよう。

スタジオ料1100円を支払い、あわただしく住職と別れ、次は心療内科。
歩いて10分ぐらいですぐ着いた。
幸い空いていて、2人ほど待ったら呼ばれた。
なんか恥ずかしいのでギターは待合室において診療室に入る。

とにかくコロナの報告だ。
前回、8月25日の金曜日にせいうちくんと一緒に船旅の終わりを報告し、とびきり調子が悪かった話をしたその晩、発熱したと。
もう10日も経っているから問題はないわけだが、あの瞬間にも陽性だったからと思うと、医師の方もイヤだろうなぁ。
その後は診察・投薬を受け、熱と咳は改善してきたが激しい倦怠感に襲われて何もできない、と伝える。
「もともと何もできないっちゃできないんですけどね、これまで以上に横たわってます」
「コロナの後遺症は長引くらしいからねぇ。まあ無理をしないで、とりあえず身体を直すことに専念してください。ダンナさんはそばにいてくれてる?」
「はい、彼もコロナなのでテレワークです。今日、午前中ちょっと出社したけど、昼過ぎには帰ってきました。充分一緒にいてくれます」
「それはよかった」


そこで、せいうちくんが電車の中で広告に惹かれてめずらしく定価で買った本を見せる。
リンジー・C・ギブソン著、岩田佳代子訳の「親といるとなぜか苦しい」という本だ。
「『大人になれない親』を持ったあなたの『心の重荷』を下ろす」と帯に大書してある。

「親の機嫌が家の雰囲気を左右した」
「子供の気持ちなど思いやってくれなかった」などの10数項目に渡るチェックリストは、せいうちくんも私もほとんどにチェックがついてしまった。
2人とも、特に母親がかなり完成されたモンスター毒親だったということだろう。

そういう相手に対して、「観察はよくすべし。しかし、理解しようとか、話し合おうとか、説得しようとか考えてはいけない」のだそうだ。
よく「毒親からはひたすら逃げろ」って言うもんなぁ。
いい歳をしてなんだが、自分は不当に扱われたことに対してもっと怒っていていいのだと思う。
ただ、その怒りを相手に伝えようとかわかってもらおうとか謝ってもらおうとか思うのが間違いなのだ。(私の場合、相手はもう死んでるし)

自分では若い頃から発症したこの精神的な問題をもっと高尚なものだと思っていたが、「血液型A型の人は几帳面です」って書いてあるようなわかりやすさでタイプ分けされ、説得されて、なんか拍子抜けした。
ドクターにそう話したら、
「なんでか、上の世代にそういう親がいっぱいいるんですよねー。人の悪口ばっかり言って攻撃したり、子供は自分の意のままになると思っていたり、都合が悪くなると全然違うことを言い出して、要するに嘘つきなんですよ。自分を客観的に見られない。このクリニックにもそういう親にゆがめられた人たちがたくさん来ています。あなたは特に症状が重いから、とにかく死なないようにだけ気をつけてください。ダンナさんも一緒に頑張ってくれてるんですから」。

2週間後の面談を予約し、薬はなぜか3週間分もらっておしまい。
今は調子が悪すぎるので、薬の多用も致し方なしといったところか。
家に帰りついたらものすごく疲れていた。
ベッドに倒れ込んで休む。




夜は長谷川博己金田一耕助の「獄門島」を観るが、こないだ観た石坂浩二若かりし頃のと全然違う話になってるじゃないか。犯人がそもそも違う。
ポワロを観ていても、リメイクを重ねると同じ犯人じゃ関係者一同飽きちゃうんだろうか。
シチュエーションだけは変えられない、しかし犯人や動機はけっこう自由自在である。

23年9月7日


何度目かの木尾士目「げんしけん」全21巻を読み返している。
大学の部活、その周辺の生活についての面白さを幾度も思い出し、なつかしく思う。
学外生がバンバン入部してるとか何年大学にいるのかわからない先輩の存在とか卒業したはずの先輩がいつまでも部室に出入りしているとか恋の花が咲き乱れては散っていくさまとか。

せいうちくんの家族などからすると、「自分の大学のサークルじゃなくて、『わざわざ』TO大のサークルに入るというところから、もう目論見は歴然としている」そうなのだが、確かに私は2回もTO大生と結婚するという世間的に見れば「いい目」にあっているが、実は入部のいきさつはずっと過去までさかのぼる。

中学の時、演劇部の先輩男子にメガネで秀才でエロ話が大好きで変人で人が寄り付かないタイプがいた。
もちろん私のドストライクである。
顧問の先生とケンカした演出家の彼と一緒に放送室に立てこもるといった事件を起こし、演劇部を半ば出禁になった我々は、家が同じ方向だったこともあってよく一緒に帰るようになった。
ついでに交換ノートも始め、彼はよく達者なマンガを描いてくれたり、中学2年生女子にはどうかというような微に入り細に穿った性知識を伝授してくれたりした。
心から尊敬する先輩で、大好きだったので、当然のようにある日の帰り道にススキの野原の中で告白した。
「好きです」
答えは「そんなこったろうと思った」。
その後さしたる進展もなく、彼は名古屋では有名な私立進学男子校に行った。
この時はのちに彼がニッチに大人気のエロ漫画作家になるとは想像もしていなかった。

一度だけ、学園祭に遊びに行ったことがあり、落語部で着物姿の高座前の彼と話した。
「じゃあ、今日はうさこさんのために『野ざらし』をやろう」と言ってくれて、嬉しかった。(非常に上手かった)

その後、ほとんど連絡は途切れていたのだが、大学進学で上京するにあたり先輩のことを調べたら、私の大学の近くの大学に進学しており、わりと近所に住んでいるようだった。
「お久しぶりです~」と挨拶に行ったのはもちろんで、そこからまたつきあいが復活した。
2年生になる前の冬頃、先輩から、彼が出入りしているというTO大のまんがくらぶに遊びに来ないか、と誘われた。

当時私の大学に漫研はなく、マンガの話をできる友人もおらず、私はすっかり退屈していた。
文化祭準備委員会に入ってもフォーク同好会に入っても演劇部に入っても退屈だった。
都会っ子が多く、なんでもシャレオツな感じがして、クラスのみんなで映画を見に行こうと言われて連れて行かれたのが当時全盛だったATGの「サード」で、これからこういう映画に1本千円も払わなければいけないのかと戦慄したものだ。
おまけにうちの大学の男子は食が細い。
泊まりがけのオリエンテーリングで朝からトースト1枚を持て余す姿を見て、3枚目のトーストをむさぼっていた私は心底がっかりしたものだ。

そんな日々の中、先輩に連れて行かれたのが中野にあるまんがくらぶの梁山泊、長老の住む1LDKのマンションだった。
マンガが壁いっぱいに並び、最新のPCで平安京エイリアンを楽しみ、実際にマンガを描いていた。
じきに連れて行かれた駒場では、学食で男子がお盆に「大盛りカレーとうどん」を乗せて歩いていた。
これが男子大学生だ!と感動したものだ。

長老という傑出した人物に出会ったのが一番の幸運だった。
何でも面白がり、自分の部屋に誰が出入りしていても全然気にせず、SFの話とマンガの話と特撮の話ばかりしていた。
その人間的な大きさに圧倒され、生まれて初めて「色恋抜きで心からついて行きたい」人に出会ったと当時の日記に何度も書いている。
そんな彼と今でもつながりをもっていられることにもとても感謝している。
もっとも思ったよりずっと身勝手でケチな男であったが、合理性を何より大事にしていた私の父がまさにそういう男だったので、そこもまた好ましい。

なので、私にとって「TO大のサークルを狙った」ではなく、「入ってみたらTO大のサークルだった」でしかない。
適度に田舎臭くてバンカラで、いろんなことをよく知っており会話のスピードが速かった。
夢中になって遊びながら、「ガス人間第一号」とか「マタンゴ」のオールナイト4本立てを池袋の文地下で見て勉強し、アニメの歌もいっぱい覚えた。
高校の頃からアニソン2枚組レコードを買って得々としていた私にはとても馴染んだ空間だった。

「げんしけん」のマダラメさんのように卒業後も出入りしていたら新入生のせいうちくんに会い、彼が7年かかって大学を卒業するのを待って結婚した。
今でも友達はほぼまんがくらぶの人ばかりだし、特に長老が会社をたたんでヒマになってからはカラオケや宴会で激しく遊んでいた。
そこにコロナがやってきて、世の中わやくちゃになってしまったが。

結局何が言いたかったかと言うと、「TO大生と結婚しようと思って、TO大のサークルに入った」わけではないってことだ。
特にせいうちくんはくらぶの中での影の薄さと言い人望のなさと言い、どうせTO大生を狙うならもっと光る人にしている。
ゴミ溜めで見つけて何となく気に入って拾い上げ、磨いて大事にしていたら人生になくてはならないものになり、向こうもその気持ちにこたえてくれた、ただそれだけなのだ。

友人に、昔馴染みの男子と結婚したらTO大卒の弁護士になっており、女性の友人から「うまいことやったね!」と言われて大いに気を悪くしている人がいるが、私もまったく同じ気分だ。
義母も義妹もTO大卒と見合い結婚し、「TO大卒だから出世するだろう」と決め込んでいたが、思ったほどは揮わないダンナに八つ当たりをしている。
「幸せな家庭を作って、幸せにさせてあげる」という発想がなさすぎると思う。
結果的にせいうちくんがせいうちくんで、私はとても満足だ。

23年9月8日

台風13号が来ている影響で午前中はけっこうな大雨。
出社のせいうちくんは出先に回って仕事して帰るので18時頃になるはずだったが、台風のおかげで仕事がひとつ飛んだらしくて12時ごろ帰ってきた。
それでもテレワークには違いないけど、家にいてくれるとやっぱり安心。
我々のクルーズに影響があったのは台風7号だったはずが、もうそのあとに6つも来てるのか。
特に意識してなかった。大変だなぁ。

あいかわらずコロナの後遺症による不調。
2人とも確実に快方には向かっており、悪化はしてないのが唯一の救いか。
喉とおなかに来るのだとわかった。
私の場合、なぜか膝の関節炎も悪化した。
その人ごとの弱点に出るのかもしれない。
気管支の弱いせいうちくんは私より咳のおさまりが遅い。


最近、「金田一耕助」のシリーズを観るのにハマっており、昨夜は鹿賀丈史の「悪霊島」を観た。
1960年代を舞台にしているのがこれまでの戦後すぐの頃の金田一と大きく違ううえ、古尾谷雅人がフーテンというかヒッピー的な旅行者として出てくる。
金田一自体ある種のフーテンのように閉ざされた島や村域に入って行く人なわけで、そこにプロのフーテンが重なってしまって、やや苦しい。
時代色を出したかったのかなぁ。

若い鹿賀丈史はなかなかハンサムで歴代金田一の中でもピカイチのイケメンで、それを拝めたのはありがたかったが、作品としてはスカだった気がする。
品下った江戸川乱歩のようなエログロ大衆推理小説を、よくもあんな量、書いたものだよ横溝正史という人は。
高校時代に図書館の棚の端からどんどん読み進めていたら旺文社文庫が終わったとたんになぜか角川文庫の横溝正史が40冊ぐらい、真っ黒に行く手を阻んだ。
避けて通るのもしゃくなので全部読んでしまったじゃないか。
「三つ首塔」とか「真珠郎」とか今でもなんとなく好きだぞ、困るよ。

最近アマプラとWOWOWが手を結んだらしく、アマプラで有料のものがWOWOWの15日間お試し期間中は無料で観られる。
まだ観てない最古の「犬神家の一族」がそれで観られそうだ。
しかしよっぽどヒマのある時でないと15日間無料の意味がないから、しばらくお預けかな。
サブスクの無料期間は、解約忘れも怖いしね。


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