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年中休業うつらうつら日記(2023年12月16日~12月22日)

23年12月16日

定例ZOOM飲み会の席で、「せいうち家は勝ち組なんだから、もっとお金を使って経済を回すべきだ」と言われた。
冗談じゃない。
ほんの数年、給与が爆発的に上がったのは確かだが、さらに上を目指すつもりでなければその収入は維持できない。
せいうちくんは元々出世欲が薄いうえに、私という爆弾を抱えている。
とてもこんな給与は続かない。
おまけに将来が不安な息子がいて、使いたい放題に貯金を使う気にはなれない状況だ。
そもそも東大生が集まってる飲み会で、「勝ち組、負け組」って意味あるんだろうか。
世間一般から見ればみんな勝ち組なんだと思うよ。

どうやら企業で働く人たちには越えるか越えないかが重大な深い谷があるようだ。
たぶん「役員」という断崖絶壁。
執行役員とか専務とか常務とかいろいろあるらしいが、私はひとくくりに「役員」と呼んでいる。面倒だから。
その境界線の向こうに行ったサラリーマンはその後も「いい人生」を送れるという信仰があるみたいだ。
せいうちくんのお母さんも、私の母も、夫が「本社の役員になる」ことにはずいぶん執着があった気がする。
でも、それはその人の幸福度にあまり関係がない。
目指す人は目指せばいいけど、たまたまなってしまった人はやれる範囲でベストを尽くすのみだ。
ちなみに「社長派」「副社長派」などの派閥も、せいうちくんは見たことも気がついたこともどこかに入れと勧誘されたこともないらしい。
鈍い彼らしいことだ。
ワークライフバランスのライフの方に大きく傾いている彼には本当に感謝している。

ZOOM中に息子から連絡が入った。
「今日、お邪魔しても大丈夫かしら」
我々はここ数カ月すっかりくたびれているのでできれば断りたかったが、やはり息子の顔は見たい。
沖縄での結婚式以来3週間も経つのだ。
「いいよー」と返事しているせいうちくんに「食べるもの、なんにもないよ、って言っておいて」と注意喚起すると、「いや、来るのが0時過ぎだそうだから、カレー作る時間がある!」。
この人の、息子にカレーを食べさせたいのは、何か間違って獲得してしまった本能なのだろうか。

ZOOMの向こうでは友人たちが「息子は、新婚の妻を置いて実家に泊まりに来るのか。いかんじゃないか。追い返せ」との声が上がる。
きっとコントの方の仕事が忙しくて遅くなったので、そして明日また都内で仕事があるので大宮に帰らない方が楽だ、と思ったのだろう。
感心なことに彼はこの3カ月ほどほぼダブルワークで昼も夜も働いている。
妻のMちゃんが我々からの援助を断ってきてから、生活に対する真面目さが全然ちがう。
Mちゃんは聡明で思慮深い人だなぁ。

我々も、結婚から反対されていたので一切親からお金は出してもらわずに結婚式を挙げたし、その後、重い障害を持つ娘が生まれた時に両方の実家はささーっと後ずさりして、何やら「勝手なことをするから」「障碍児なんか預かったら、こっちの生活が無茶苦茶になっちゃう」とか言いながら逃げて行ったので、誰はばかることなく自分たちの人生は自分たちで相談してやってきた。
シッターさんとか行政には大いに頼ったが、親はあてにしなかった。
その方が却って夫婦関係の構築には役に立ったと思う。

0時半に現れた息子は、とてもくたびれたとは言うが、さすが結婚式を終えたばかりの男、表情は終始嬉しそうで、幸せオーラが出ていた。
「当日はあんまり何もかも決まってなくてバタバタしてたから、『なんて結婚式だ!』って思ってたけど、それからずっと毎日ふり返っていると、とてもいい式だったような気がしてきたよ」と言うと、
「僕も思った通りのいい式ができたと思う。ハプニングや打ち合わせ不足も、全部その一部だよ」と答えていた。

うん、ウエディングプランナーにプロデュースしてもらって言うなりに動いていた結婚式って、案外思い出に残らないからね。
私も、自分の結婚式で一番思い出に残っているのは「キャンドルサービスのための炎の灯った長い棒を2人で捧げ持って入室したとたん、ふっと、その火が消えた。係の人は落ち着いて我々を一歩下がらせて賓客の視線から隠し、ポケットから出したライターで再び点火した」というアクシデントだけだ。
息子たちの結婚式も末永く本人たちや我々、お客さんの心に残るだろう。

その夜はもう遅かったのであまり話はできなかったかな。
せいうちくんが1時間半で作り上げたカレーも「明日食べる」と言って、風呂に入りに行く息子。
寝てしまったせいうちくんは置いて、息子の風呂上りを待ち、
「ねえねえ、母さんの歌、どうだった?」
「感動したよ。ジーンときた」
「よかった?」
「うん、表現は技術じゃないな、とあらためて思ったよ」
コンチクショー!である。

「おばあちゃんたちの世代とお父さんお母さんの世代とはあまり共通の価値観がないというか、趣味なんかも違うじゃない?そもそも趣味があるようにも見えないんだよね。その点、お母さんたちは趣味の友達と長いことつき合っていて、もう40年もそれが続いている。僕とも、マンガや映画の話をとても面白く分け合うことができる。人間関係や親子関係って、人によっても違うけど、やっぱり時代によっても違うんだろうね」と語っていたのが印象的だった。
じゃあ、また明日ね。おやすみなさい。

と言って寝室に行ったが、2時間後にキッチンにタバコ吸いに行ったら、息子がカレーをたくさん平らげた跡があった。
やっぱりおなかが空いていたのね。
ごはんもカレーも、いつも我々が保存するのに使っているタッパーに入れて、冷蔵庫にしまい、調理鍋まで洗っておいてくれた。
Mちゃんの教育は粛々と進んでいる。

土曜の朝、せいうちくんは帯状疱疹のワクチン2回目を打ちに10時に出かけるし、午後は2人して前の家の近くの皮膚科を受診する。
せいうちくんはアトピーで、私は手術痕のケロイドの痛み止めをもらうためだ。息子も私もせいうちくんが出かけたのは気づかなかったが、11時頃息子がバイトに出かけたあとで帰ってきた。
これで午後は2人で皮膚科だ。
帰りに買い物もしていこう。
二手に別れて、私は人気のパン屋に行列覚悟で突入し、せいうちくんは週中の食材を買ってくる。
おうち集合のミッションに、しばしの別れだ。
ああ~、今週末は「どうする家康」の最終回なんだよね~。

23年12月17日

韓国ドラマの「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」を何かの拍子に観始めてしまった。
ハマった。
録画してあった12話まで観たところで、これから1週間ずつ待たねばならんのか、と絶望に沈みかけ、調べてみたらHuluでやっているらしい。
Huluならこないだ何かを観るためにせいうちくんが1カ月無料会員中だ。
こうして、2人して全36話を堪能したのである。
最後はもう、6時間ぐらい観続けていたよ。

韓国は今や日本よりも厳しい教育地獄で、一流高校に入り一流大学に入らなければ人生はないものと思え、って雰囲気だ。
高校3年間は塾に行くのはもちろんとして、富裕層では生活全般のバランスや精神状態もみる「コーディネーター」略称「コーデ」があたりまえになっているらしい。

この「コーデ」を演じる女性が昔のドラマ「女王の教室」の天海祐希みたいなタイプで、ひっつめ団子ヘアにいつも黒い服を着ている。
彼女にかかればソウル医大合格率百パーセントと言われており、オファーが絶えない。
そんな彼女と、彼女がソウル医大に送り込んだ生徒やその家族の行く末の話がメインだ。

「SKYキャッスル」と呼ばれる城壁に取り囲まれたような高級住宅街が舞台で、そこで様々な事件が起こる。
ソウル医大に合格したが、「この復讐の時を待っていた」と合格を蹴って姿を消す息子、絶望して自殺する母親、失踪して思い出の山小屋で息子を待つ元医師。
彼ら一家が出て行ったせいでできた空きに入居してきた家族の妻は元絵本作家で、いきさつを聞いて「追いつめられている子供たちを救うために」本を書こうと決意する。

このぐらいにしておくが、いったん観始めたら容易には止められないのが韓流ドラマの宿命。
我々も30年前に「冬ソナ」にハマって以来の出来事だ。

せいうちくんも日本の厳しい受験産業と教育虐待を乗り越えてきた人なので、満点が取れなくて叱られたりクラスが落ちて失望され罵倒されたりすると「観ていられない。生々しく記憶がよみがえる」と丸まってしまっていた。
私はよかったなぁ、好きなことだけやっていたらいつの間にか大学に入れていて。
それにしても「親子3代ソウル医大」とか「3代院長」とかって、そんなに大事かね。
そこの違和感はどうしてもぬぐえない。

しかし、「SKYキャッスル」のおかげで「どうする家康」最終回を観てのロス状態には陥らずに済んだ。
これからじわじわ来るのかもしれないが、とりあえず今夜は韓流ハイ。

23年12月18日

せいうちくんは出社。
ちょっと部屋ががらんとした感じがする。

私は夕方、コロナのワクチン6回目を受けにかかりつけ医院に行く。
ワーファリンの値が「1.5」とちょっと低かったので江口のりこ似の女医さんはしばらく悩んでいたが、
「これまでずいぶん安定していたから、今回はこのままで様子をみましょう!」と決定してくれた。
すぐにワーファリンの量を変えて、かえって混乱していた昔の主治医とは違うところが頼もしい。

しかし思ったより待合室が混んでいたのとワクチン後の15分待ちで時間をとられ、すべり込みで行くはずだった整形外科には行き損ねた。
しょうがない、明日行こう。
どうせ今日の処方箋も明日にならないと薬ができてこないだろうから、外出は避けられない。

23年12月19日

せいうちくん、今日も出社。
私は昼頃整形外科に行く。
ちょうど待合室がガラガラになった頃で、たちまち呼ばれた。
膝の水は散ってしまったようで、両手の腱鞘炎の方も回復に向かっているようだ。
いつものシップと鎮痛ジェルをもらって帰る。

毎晩痛む腰や膝、攣りやすい太ももやふくらはぎに貼るシップを入手するには2週間に1度の通院が欠かせない。
逆に言えば、診察を受けさえすればもらえるレントゲン状態だということだ。
家からほんの2分ほどの医院なので、めんどくさがらずに行こう。
たまに全身疲れた時とか、シップの備蓄は大いに役に立つからなぁ。

あと、最近お風呂に入ると疲れるので、毎日入っていたものが2日に1回になった。
使える時間も増えるし、衛生状態にもさほど問題はない。
2日に1回入る浴槽は「しみる~」とお風呂の良さを再確認もできる。
冬の間はこれで行こう。

23年12月20日

なんとなんと、今日も出社のせいうちくん。
会社ってのはいろんなことが間断なく起こるところだなぁ。
「テレワーク週3回、夜は仕事をしない」と私のドクターと約束してるんだが、
「今週は守れない。よく謝っておいて!」と飛び出して行った。

自転車をこいで、人気のパン屋さんが通り道にあるのはもう宿命だから、といっぱい総菜パンを買った。
「あんドーナツ」も復活してるじゃないか。
おまけにかつてあり得ないほどお客さんが少なく、全然行列ができてない!
ゆっくり買い物ができた。

その袋を下げたまま、診療室に入る。
「さて、と。調子はどうですか?」と聞かれて、
「サラリーマンってのはしょうがないですね。夫はまたなんかあったらしくて、今週は3回会社に行きました。『約束を守れなくてすみません』と先生に謝っておいてほしいそうです」
「それはしょうがないけどね、僕としてはこれからお正月を迎えるあなたの精神状態が不安だよ。ちょっとあり得ない量の薬をのんでるのと、いろいろイベントがあって興奮するだろうからね」と心配してくれた。

今回は減薬を目指して、ここ数カ月のように2週間で4週間分の薬をもらうのではなく、クリニックのお正月休みもあることだから、3週間後の来院で4週間分の薬をもらうことにした。
せいうちくんの仕事が落ち着いたらもっと本格的に減薬して、1年ぐらいかけてゼロにしていきたいそうだ。
私としては睡眠薬だけは重宝なのでもらいたい気もするのだが。

来年の予約を入れて、処方箋をアプリで送っておいたらちょうど家に帰りつくころに薬ができました、とお知らせが来た。
この美しいシステムに触れるたび、引っ越してきてよかったなぁと感動する。

23年12月21日

夜中。
今、私はなんでもできる。
少しの着替えとiPhoneとiPad proと充電コードを持って、財布を持って外に出て、タクシーを拾って成田空港に行き、朝を待って好きなところへ飛んでいくのもいい。
ノルウェーにオーロラを見に行こうか。
ハワイのキラウェア火山を見に行こうか。
それとも隣町の漫喫で朝まで長編マンガを読みふけろうか。
名古屋の友達をいきなり訪ねてみるのもいいかもしれない。(彼女は怒るだろうが)

もちろんせいうちくんには置手紙をして、「心配しないで。急にどこかへ行ってみたくなった。必ず無事で帰る」と知らせておく。
そして独りぼっちになるのだ。
何でもできるしどこへでも行けるのに、どうして私は自分の家のベッドや書斎にしかいられないんだろう。
もちろんそれは習慣や常識の問題で、旅行がしたいなら朝になってからせいうちくんとゆっくり話し合えばいい。
でもそれではすまない厨二病のような衝動が今、身を灼いている。


黒江S介の「じじいの恋」全2巻と荒木飛呂彦の「JOJOLands」2巻までを読んだのがいけなかったのかもしれない。
いくつになっても好きなことができるし、ここ以外の世界中に人は住んでいる。
なぜ私は「ここ」なんだろう。

言うまでもなく、今からベッドへ戻る。
他のマンガを読むためだ。
黒江S介がこれ以外に「サムライせんせい」全8巻しか描いてないのは惜しい。
「じじいの恋」は老人BLモノというか、学生時代からずっと友達である同級生を愛しているじじいの話だ。
当然、相手もじじい。
セリフの間の良さとかシチュエーションの立て方とか人物の描き方とか、全部が素晴らしい。


「JOJOLands」も当然名作だ。
すでに100冊以上になるジョジョシリーズに新たな風を吹き込むだろう。
ああ、今すぐハードディスクの中の本とマンガを全部読みたい。
眼と頭が千個ぐらい欲しい。
世の中には面白いものがいっぱいある。
京極夏彦の「鵺の碑」を読むためにだけでも、これまでの京極堂シリーズを全部読み返してからの方がいいらしい。
まだ3作目の「狂骨の夢」までしかたどり着いていない。
この先に凶悪に分厚いノベルズが10作以上はあるだろう。
いったいいつになったら「鵺の碑」が読めるのか。

静かに薬をのんで眠ろう。
せいうちくんとの健やかで平和な朝を迎えるために。
新年が明けたら泊まりに来る息子夫婦を迎えるために。
人間は自由で、同時に不自由だ。
でもその不自由さこそが自分の今持っている幸せだともう一度納得して、ベッドに戻ろう。
10代20代の頃のように先に永遠がある気がしていたのと違って、寿命を、時間の限界を意識してしまう。
あと30年生きても、きっと人生の最初の30年に読んだほどの量を、同じほどの感動を持って読むことはできないだろう。
誰もが時間の檻の中にいて、その中でできることは人によってさまざまに違うが、どうやら私は大したことをするようには生まれてこなかったようだ。
夜中は人をおかしくさせるね。

朝になって読み返したら、恥ずかしくて「きゃっ」となった。
同じような気分になった人がいた場合に備えて残しておこう。
まったく、夜中は魔物だ。

23年12月22日

せいうちくんの会社では、相手の会社や役所との交渉中に、もう何もかもぶちまけて対処を願う場合がある。
そういう事態に際しては、「もうパンツも脱いで来い」と言うそうだ。

「大事なところを自らさらけ出す」。
「全部ゲロする」とか「何もかも白状する」とはまた違った心意気を感じるのは私だけだろうか。
いや、そうではないからこそ、長年使いまわされてきた慣用句なのに違いない。

ところが最近困った時代が勃発した。
女性の社会進出とセクハラに対する配慮である。
朝の会議では女性がいなかったので「もうパンツも脱いじゃいましょう」で、その場にいた男性全員が共有できた切羽詰まり方だったのに、夕方同じ件で会議をした時は女性社員がいたのである。
ここで「パンツを脱ぐ」と言ってしまっていいのだろうか。セクハラにならないだろうか。
せいうちくんたちは一生懸命他の言い回しを使ってセクハラは避けたが、何となく、朝に感じた一体感と盛り上がりに欠けた結論だと感じたらしい。
不便なことだ。

私だったら男性女性LGBTすべてに対して「パンツを脱ぐ」と表現をしたいと思う。
こういうのは「まっ平ら」にするのが一番いいという主義だからだ。
「パンツを脱いだら恥ずかしい」という思いは男性が持っていなくて女性は激しく持っている感情だ、というのは間違ってはいないだろうか。
男性だってパンツを脱いでぶらぶらさせるのは耐えられない、という人もいるだろう。
女性で、「脱いだらすっぽんぽんですが、それが何か?」と思う人もいるかもしれない。
そういう人々を含むすべての人たちが、「日頃、衣服で厳重にしまってある大事な部分までさらけ出してご判断を願います!」って、アリじゃない?

土下座だって、頭を地面にこすりつけるぐらいいくらでもできるよ、と言う人も、「人間として一生の不覚だが、この際しょうがない」と頭をつける人もいるわけで、「世の中ではこう評価されている行動を今からします」ってとこが一番重要なんじゃないかなぁ。

と言うわけで、「パンツも脱ぎます」という女性が現れても、それは懺悔の行為なので、決してエロい気持ちを持たないように。
私も、目の前で「パンツを脱いで」過ちを告白する男性が現れたら、反省の気持ちだけ受け取って股間の状態とかしげしげ見たりしないよう心掛けたいと思う。しみじみと。

蛇足だが、「身長何センチ?」とか「靴のサイズはいくつ?」と聞かれるように、「ブラジャーのカップはCカップ?Dカップ?」と聞かれても一向にかまわない。
(スポーツブラしかしない私には「何カップ」という概念がすでにないせいもある)
それより「腹囲」を聞かれる方が数段恥ずかしい。だって事実なんだから。
これもだんだん矯正する方向で進めていきたいと思う。
「人は事実をありのままに言っている時、そしてなぜありのままに言うかを自分で理解している時が一番自然で幸せだ」というのはヘンな思考だろうか。

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