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年中休業うつらうつら日記(2023年4月8日~4月14日(末尾に車中泊日記つき)

宴会やら車中泊やら温泉旅行やら、大きな計画が全部一段落しました。案じていた通りのぐんにゃりな状態です。春の不調も重なって気分の変動が激しいので、せいうちくんも大変だと思いますが、「僕はにぶいから」と涼しい顔でいろいろ面倒をみてくれるありがたい夫です。でも、「4月中は寝て休んで過ごすこと!」と厳命され、「飲み会開こうか」とか言っては「はあ?!」と怒られてます。自分で自分の体調や精神的状態がわからないのはダメ人間ですね。

23年4月8日

せいうちくんが先日検査を受けたメモリークリニックに結果を聞きに行くので、張り切って私もついて行く。
場所柄、ご老人が家族に付き添われてきているケースが多く、我々は最年少だろう。

すぐに一緒に結果が聞けるのかと思ったら、もうひとつ小さなテストをするのだそうで、
「それは私も入れますか?」と聞いてみたが、
「いえ、患者さんと2人でするテストですので」と断られた。
しょうがないから待合室で待つ。
定例ZOOMで、お母さんの認知症のテストに立ち会ったと言うSくんが前回の内容をせいうちくんから聞いて、
「それは長谷川式スケールですね」と言っていた。
確立された、よく使われる基本的なテストなのだろう。

テストが終わってせいうちくんが出てきた。
あいかわらず短いお話を聞かされて覚えていなければならないとか、彼にとってはストレスと言うか、不安が募るものだったらしい。

しかし、説明の段になって私も診察室に入れた時に聞いた話では、彼の記憶力は60歳あたりとしてはどのテストも平均値を上回り、記憶力はむしろ優秀なようだ。
気になるのは脳のMRIを撮った時に小さな脳梗塞の跡がいくつか見られたこと。
これについてはMRAという脳専門のMRIのようなものを次回に撮って、くわしく調べると言う。
まあ人間60年もやっていれば小さな脳梗塞ぐらいみんなやってると思うので、それほど気に病むこともないだろう。
もし今後も起き続ける心配があるなら薬で治療という手もあるらしいし。
とりあえず今のところは大きな異常や認知症の気配がなくて、良かった。

23年4月9日

旅行以来ちょっと息子ロスで、声を聞きたいと思い、今話せるかと夕方メッセージで聞いてみた。
24時過ぎにならないと身体が空かないと聞いて、それは家に帰ってて妻と過ごすべき時間なのだろうからと配慮し、妻のMちゃんが仕事に行っている火曜の昼間に時間があったら電話して、と頼んで終わった。

ほんの1週間前に1泊2日も一緒にいたんだから寂しがり過ぎだろうと自分でも思うが、あの時の彼はせいうち家の息子というよりあちらの家の婿というか、婚家のお母さんを接待する役どころだったので、あまり個人的な話をする機会がなかった。
一緒にフロント階にある喫煙所に時々行くだけが2人になれる時間だった。

もう彼も自分の家庭を築きつつあるのだから子離れしなくっちゃなぁ、とは思う。
しかしなかなか難しい。
今の息子は10歳から15年続いた長い長い反抗期をすっかり抜けて愛想がいいもんだからなおさらだ。
この機嫌のいい息子を味わいたい。失われた15年を取り戻したい。
入籍頃からずっと妻のMちゃんが甥っ子姪っ子の面倒をみるため実家に帰っている週末が多く、そういう時は彼も寂しいのか実家の方に泊まりに来ることが度々あった。
迷惑だ、と思う寸前ぐらい毎週といってもよかった。
だから彼とゆっくり話すのに慣れていたんだが、最近はMちゃんも仕事を始めて忙しく、休みである日曜月曜は夫婦で過ごす貴重な時間だから、あまり邪魔をしたくない。

とりあえずは秋の結婚式に向けて夫婦で話し合うことがたくさんあるだろうから、そこを過ぎてからかな、息子との正常な距離を見つけるのは。

23年4月10日

2人して毎日マンガばかり読んでいる日々。
せいうちくんはやっとちばてつやの「のたり松太郎」をしっかり読み返す時間ができたと喜んで読み進めている。
私は流行りもの、しかも長編を読むのが好きなので「東京卍リベンジャーズ」を全巻買って読みふけっている。
ああ、不良の世界ってそれなりにルールや仁義があっていいなぁ。
(ヤンキーや半グレはまた違って、単に暴力的なのかもしれないが)


せいうちくんが留任する時に約束してくれた通り、仕事をセーブして夜はちゃんと家にいてくれるおかげで一緒にドラマを観る時間が増えた。
そうなるとむしろ驚くせいうちくんである。
「今まで、忙しくしてたんだなぁ。キミとこういう時間を全然持てなかった。キミが不安定になるのも無理はない。悪かった」と頭を下げられた。
いや、しっかりお仕事してたってことでしょ。立派だよ。
今はドクターや私との約束を守っていて、それはそれで立派。

ドラマ「Silent」を観た流れで、同じように聾者を扱った「星降る夜に」を観終わった。
下馬評ではこちらの方が名作とのことだったが、全く同意見。
「Silent」が途中失聴者であるせいか、後ろ向きの、「かわいそう」が前に出たドラマだった。
「星降る夜に」では北村匠海が全然かわいそうなキャラではない。
聞こえないことに不便は感じても、外国にいるようにまわりに「通訳、通訳」と手話を要求して自分も会話に参加している。
相手の音声をたちまち文字にしてくれるアプリや、彼が何か言いたい時はLINEを使うなど、機器が発達しているせいもあるが、手話を使うシーンも多く、どの手話も役どころのキャラらしく大きくて元気いっぱい、確信に満ちている。


「雪宮鈴、愛してる」(踏切の向こう側から「下に向けて手をひらひらさせる>雪」「両指を屋根のように組む>宮」「鈴を振るようなしぐさ>鈴」「片手の握りこぶしの上方をもう片方の手で撫でるように宙で動かす>愛してる」)と手話で伝えるシーンでは涙が出た。

産婦人科の雪宮鈴(吉高由里子)のミスでお産で妻を喪ったと思い込んでいるムロツヨシがストーカー化している時、北村匠海は最初は怒っていたが事情を知ると、「そいつを、抱きしめてやる」と手話で語る。
実際彼は、鈴先生がいい人すぎて、
「あなたが悪い人じゃなきゃ困るんです。いい人じゃ困るんです。耐えられない」と海に飛び込もうとするムロツヨシに駆け寄って、堤防の上で抱きしめていた。
鈴先生もその2人を包み込むように抱きしめる。
ずっと仮面のような無表情で登場していたムロツヨシは、初めておいおいと声を上げて慟哭するのだった。

鈴先生と同じ病院で働くディーン・フジオカも妻と赤ん坊をお産でいっぺんに喪った過去があり、妻と住んでいた家を10年間ずっと片づけられずにいた。
遺品整理屋である北村匠海や高校の同級生だった水野美紀についに家を整理してくれ、何もかも捨ててくれ、と頼むが、最後にこれだけは確認してくれと渡された箱の中に亡き妻が「赤ちゃんの分も3人おそろいのスニーカー」をサプライズプレゼントとして用意していたことを知り、やはりこれまでの穏やかな顔を脱ぎ捨てて号泣する。
テレビの前で私たちもおーいおーいと声を上げて一緒に泣いた。
娘が生まれた時の驚きと苦しみを思い出し、命が失われてこそいないが思い通りに「普通に」行かなかった出産を思い出して、2人で手を取り合って泣いた。

いいドラマを観た。
デッキを常に容量不足の危機に陥れながらも先期のドラマからずっと溜めておいた甲斐があった。

23年4月11日

息子から昼間に電話をもらう約束だったが、夕方16時になっても電話がないので、「今、時間ある?」とメッセージ打ってみたら、「移動中だから、今夜の24時ごろかけるよ」と言われる。
「それじゃやっぱりMちゃんとの時間を奪っちゃうのがつらいなぁ」
「電話する時間ぐらい、だいじょうぶさぁ」
くよくよ悩んでる母親と話すんだぞ、長くなったらどうするんだ。
そもそも最初から短時間で済まそうと思ってるとこが気にくわない。

しかし息子が働いたり本を読んだり芝居を見たりして勉強する時間も大事なわけで、さて親は家を出た子供の時間をどこまでいただいてしまっていいいのだろうか。
「のたり松太郎」を読んでるせいうちくんに思わず、
「松太郎のお母さんも、年に1回も息子に会えてはいないよね?大事な勝負の時に親方が招待してくれたり、巡業のついでにちょっと故郷に寄ったり、そんな程度だよね?」と聞くと、
「いろんな時期や関係があるから。今、会いたいんならそう言ってお願いしてみたら?彼もわかってくれるよ」という答え。

でもそもそも今日電話するの忘れてたに決まってるんだよな。
「じゃあ明日の午前10時はどう?」と言われ、ついつい本音を書いてしまった。
「今のあなたと話しても軽んじられている気分がするだけだと思うので、今回はやめておく。母さんの悲しさの一部を受け持ってくれるって安請け合いはやめた方がいいよ。今日の昼間、ずっと電話待ってた。時間があったらって前提だったから不本意かもしれないけど、それならそれで何かしら連絡欲しかった」

せいうちくんと顔をつき合わせて、「困ったもんだね」とため息を漏らす。
息子は「人への誠意、敬意が大事」「まわりの人を幸せな気持ちにしたい」と常々言っており、その気持ちに嘘はないと思うが、とても難しいことだからあまり軽々に考えたり口にしてはいけない気がする。
口にしたら必死でやらないと。
親なので少し甘く見られているところもあるだろうが、まず身近な人からだろう。
特に妻のMちゃんに日々、こんな小さなことで不満が募るようだったらとても困る。

「なんだか泥水を飲んだような重苦しい気分だ。これ以上文句を言うのもナンだし」と困っていたら、息子から長いメッセージが来た。
「そうだったのか。ごめんね。軽んじていたわけではないよ。でも確かに今の忙しさでお母さんに誠実に応えるのは難しそうだから、確実にお話ができる日以外は安請け合いしないようにするよ。平穏とは程遠い気持ちにさせてごめんね」
「その上で、4月の末まで忙しくなっちゃうから、明日、10時に実家の近くでお茶を飲む、はどうだい?全く軽視したくはないので」

他愛ないものだが、息子がわかってくれたってことでもうすっかり気分が良くなってしまった。
結局、彼が明日の13時には恵比寿にいなければならないことと私が14時ごろ病院に行かなければならないことを踏まえて、11時から13時まで、恵比寿で食事をする方向で話は収まった。
「お母さん、くたびれちゃわない?」と気遣われたが、それぞれに移動の時間を活用して一番息子の時間を無駄に奪わない方法だと思うので、それでお願いした。
「ゆっくり話しましょう」と言ってくれる息子で、自分の短慮を反省してくれる息子で、本当に良かった。

23年4月12日

私にとってはなかなかの遠出であるので、おっかなびっくり「えきすぱあと」と相談して、十分間に合う時間に家を出て恵比寿に向かう。
しかし電車が遅延していてかなり焦った。
実際着いてみたら待ち合わせ時間までたっぷり30分あり、恵比寿ガーデンプレイスの中で道に迷いながら店を探し、トイレに行って準備万端で11時の開店を待つ態勢になれた。
息子も10時53分には駅に到着したようだ。
開店時間ちょっと前に会えて、店の前に並んだ椅子にかけて話をする。

やがて店内に呼ばれたので入ってメニュー選び。
何を頼んでもサラダバーとドリンクバーがつくそうで、息子はボローニャ風スパゲッティ(要するにミートソースだ。もちろん大盛りにしてもらってた)、私はカニのクリームパスタにした。
「サラダ取りに行こうよ。飲み物は何がいい?コーヒーね。僕が持って行くから」と親切だった。

息子と差し向いの緊張で味わいきれなかったものの、なかなかいいイタリアンだった。
彼は選んだ冷たいチャイが甘くて美味しいと、私の分もまた持ってきてくれた。
旅行が楽しかったこと、今の仕事で困っていること、芝居のADの仕事を受けて脚本も3分の1ほど書いたこと、本番が今週末なのでちょっと忙しいこと、13時からは恵比寿の稽古場に入ることなどを話してくれた

私は最近精神状態が悪いこと、せいうちくんが優しくしてくれてもドクターが懸命にカウンセリングしてくれても自分に生きる価値がないと感じることを話した。
「じゅうぶん価値はあるよ。お父さんにとっても娘ちゃんや僕にとっても」とはげましてもらっちゃった。

食事を終えてスタバでハニーラテを飲みながら他愛のないおしゃべりをさらにした。
彼が今読んでいる本には肉体と精神のつながりについて説明してあり、
「お母さんは、小さい時にうまくつながらなかったから身体と心が乖離してるんだね。だから疲れや痛みを自分の内面から自然に起きることとしてとらえにくいんだね」と言っていた。

「おばあちゃんが認めない『痛み』はないものにされたからね。『頭痛がする』って訴えても、熱を測って平熱だったら『仮病!』って決めつけられた」
「そんなの、本人にしかわからないことなのにね。お母さんは今の自分の気持ちや感じることを大事にすればいいと思うよ。お父さんだってお母さんの味方をしてくれて、全部受け入れてくれるんでしょう?」
「それはそうなんだけど、家を出て45年、父さんと出会って40年、結婚して34年、おばあちゃんが死んで20年、まだまだ呪いが解けないよ。母さんという人間の奥の奥の芯に埋め込まれた呪いだから、完全に母さん自身と一体になってる。どう切り分けたらいいのかわからないし、ドクターももう今の人格で生きていくしかないから、せめてもうちょっと楽になってくださいって言ってる。父さんが仕事を辞めるかヒマになってずっといてくれたらもっとマシになると思うんだけどね」

息子との距離については、「のたり松太郎のお母さんだって年に1回会えるかどうかなんだから」と語ったら、
「そんなの、時代が違うよ。僕はもっともっとお母さんから継承を受けたいと思ってるよ」
「人間の経験を全部は伝えきれないのが悔しいよ。あなたに子供ができたら、あなたが2歳半の頃からずっと書いてきた日記をデータで渡すよ。3歳ごろに子供がイヤイヤ期に入った時どうしたか、とか、小学校に入って落ち着かない時どう接したか、とか、その時その時のあなたと私たちの様子を読んで参考にして」
「それは素晴らしい贈り物だね。楽しみにしてるよ」

こんなふうに書いていると息子がずいぶん熱心に私の相手をしているようだが、彼は実は人の話は半分ぐらいしか聞いてない。
いや、始まりはほとんど聞いていないらしい。
興味のある部分が出てきて初めて、「おっ!」と思って聞き始めるんだって。
だから、私との話も大部分は「何か言っているので相槌を打っている」に近いと思う。
けっこう熱心な相槌の真似が上手いんだよなぁ。
まったく、人の心の中はわからない。

駅前でハグし合い、「元気でね!気をつけて!」と言われて別れた。
新宿で乗り換えて病院へ向かう。
やはり時間は余ったのでブックオフに寄ったら探してたマンガが2冊手に入った。
こういう時は機嫌が良くなる。

心療内科の診察室に入ってドクターに「さて、最近はどうですか?」と聞かれて息子夫妻やあちらのお母さんとの温泉旅行が楽しかった、今も息子と会ってきた、などと話す。
「ご主人の仕事は忙しい?」
「いえ、先生にお約束した通り、6割に抑えてくれてると思います。夜は必ず家にいますし、おかげで一緒にドラマを観たりする時間が増えました。『今までこういうゆとりもなかったんだなぁ』と言ってます」と報告すると、
「彼は、誠実な人なんだね。よかった」とニコニコしていた。

なのに、それは急に来た。
突然わけもなく悲しくなり、涙がぼろぼろと溢れてきたのだ。
「どうして自分が生きているのかわかりません。誰の役にも何の役にも立たず、消費するばかりの人生です。心から楽しいと思っても、すぐにその気持ちは消えてしまって悲しさやむなしさ、寂しさが襲ってきます。病気で何もやる気が起きない人と、怠け者でできるだけ楽がしたいから何もしない人との区別はどうつけるんでしょう?楽しいことだけやってる自分は後者だと感じます」と訴える。
鼻水がマスクで隠れてて幸いだ。

「だって、あなたはそんなに苦しんでるじゃないですか。それに、あなたは役に立ってますよ。ダンナさんにとってはかけがえのない人だろうし、息子さんだってそう思ってます。あなたがいなくなったらみんなの心にぽっかり穴が開いてしまいます。僕だって穴が開きますよ」
「患者さんが来院しなくなると、お医者さん側でも『見捨てられ抑うつ』を感じるそうですが」
「その通りです。人間はそういう関係を持って生きてるんです。あなたの存在が無意味だとか、思っちゃいけない。でもなぁ、難しいよなぁ、これ。どう言ってもわからないよなぁ。これだけ長い時間苦しんできた人なんだから」としまいにはドクター、頭を抱えてしまった。

とにかく今、絶不調であるのがわかった。
せいうちくんからも旅行続きで疲れているはずだから、4月いっぱいは社交も何もかも控えて寝ているように指示が出ている。
そう話したらドクターも全く同意見だそうだ。
「じゃあ、帰って寝ます」
「はい、ちゃんと寝てくださいよ。お薬は増やさないで頑張りましょう」と、前回増やしたところまでで止めてくれた。
あればあるだけのんじゃうから、ありがたい。

家に帰って寝転んでマンガ読んでたら、宅配便が届いた。
もしかしたら息子の結婚式に切るかもと思って注文した黒を基調にしたエスニック風のワンピースだ。
気温がわからないから厚手のと薄手のと2枚。
しかし向こうのお母さんは「沖縄で挙式をするなら『かりゆしウェディング』も素敵ですねー」と言っていた。
新郎新婦を始め、列席者たちもアロハシャツのような「かりゆし」と呼ばれる沖縄の民族衣装を着てラフな格好で行うスタイルだそうだ。
Mちゃんはウェディングドレスを着たいと言っていたし、私も息子に白タキシードを着せたいのだが、
「そこは、何度着替えてもいいじゃありませんか」とお母さんも楽しそうだった。
さすがに客側のお色直しはないだろうから、このワンピースはお蔵入りかな。
最悪、棺に入る時に着せてもらうのに大事にしまっておこう。
またクルーズ船に乗ることがあったらフォーマルナイトはこれでいけるかもしれないしね。

こんなふうに普通の生活をしながらも、どこか機能しない自分の心を持て余す。
とりあえず今日の業(わざ)はなし終えた、ということで。
夕方に心臓の定期検診も行っておいたから、当分出かける用事はない。
ワーファリン値は「1.6」。
ちょっと低いが、江口のりこ似の女医さんはそれぐらいであわてて薬の量を変えたりはしない。
「うーん、低めだわね。でもこれ、もう少し様子を見ましょう。来月はいろんな検査もしましょうね」と冷静。惚れ直しちゃうなぁ。

23年4月13日

せいうちくんのテレワークが終わるのを待って、散歩に行こうと思う。
だがちょうどいい距離のブックオフには2人とも行き飽きてしまった。
2週に1度とか月に1度ぐらいなら大きな入れ替えも見込めるが、毎日のように行ったからって探しているものにばったりとぶち当たるわけではないのだ。
「TSUTAYA に行ってDVD借りようか」と、この日5台目のHDを買ったばかりで4台20テラのHDパンパンに詰まった映画やドラマ、ドキュメンタリーを抱えているのに言ってしまう自分がバカに思える。
こないだ宮部みゆき原作の「ぼんくら」「ぼんくら2」をHDに持っていることさえ気づかずに長いこと観逃していたってのに、家にある録画をもっと真面目に観ろと自分に言いたい。
でも出かけちゃう。

さすがに少し遠いので自転車で。
どうも5月末につぶれるらしいから今のうちに借りておこう。
やはりTSUTAYA はサブスク全盛の今の時代を生き残れないのか。

DVD5枚を1200円で借りて、「七人の秘書」を観始めたとたんにまた鬱が襲ってきた。
蚊の鳴くような声でせいうちくんに、
「もう今日は映画はおしまいでいい?静かに本が読みたい」と訴える。
彼は私と違ってこういう些細な変更には全くおおらかだ。
「もちろんいいよ。もうベッドへ行こう」とぐにゃぐにゃになってる私を立たせて寝室まで誘導してくれた。
ちゃんと薬ものませてくれる。
つくづく、今、ダメなんだな、私は。

23年4月14日

疲れていようが休みたかろうが行かなければいけないものがあるとすれば、それは何よりも歯医者。
数日前に下の左の方の歯がずきんと痛んで、冷たいものが沁みる症状が出た。
これまでも小さな痛みはよくあって、そのたび歯医者に駆け込んでは「歯周病のせいで知覚過敏を起こしています」と言われてきた歴史があるものの、明らかに異質に痛い。
脳天と歯の根元を直結するような「ずきん」であった。

すぐに歯医者に予約を入れて、一番早くて今日の昼だったのだ。
眠くても不調でも日記の締切が迫っていても、これだけは行くぞ。
歯は大事(おおごと、と読もう)だ。

診察を受けたら、特に目立った虫歯の兆候はないそうだ。
歯科衛生士さんも歯医者さんも風をかけたりコンコン叩いたりして調べてくれたが、あの「ずきん」は再来しなかった。
結局いつもの「疲れて歯周病が悪化し、知覚過敏を起こしている」って結末だった。
車中泊の旅を一緒にしたGくんも歯が痛くなっているそうだから、道の駅でのあわただしい歯磨きが虫歯悪化の原因になっているのかもしれないと思って余計にあわてたんだが。

ついでに歯のお掃除をしてもらって、あらためてデカい三角の隙間があちこちに空いた歯を見ているとこのうち何本かはいつかは抜けるだろうなぁと心細くなる。
「歯茎もずいぶん下がってきてますね」と歯医者さんが不吉なこと言うし。
せいうちくんのお父さんはすっかり認知症だが、90歳にして1本の歯も失っておらず、虫歯もないのだそうだ。
血縁のせいうちくんがうらやましいところだが、彼は昔学校でサッカーをしている時に低いヘディングをしたところをボールと間違われ蹴っ飛ばされて、前歯が上下とも数本ずつ差し歯になった悲しい過去の持ち主だ。
その差し歯の1本が、すっかり根っこが傷んでしまって骨と歯の関係ではもう抜いてしまった状態らしい。
今後継続的に治療していかねばならんわけで、こうやって人はだんだん歯を失うんだな。怖い怖い。

【車中泊3日目・23年3月16日】

朝の8時半に快活CLUBを出た。
Gくんの強い希望で銚子にある千葉科学大学を見に行く。
大学が見たかったのか、銚子の海岸沿いにある「日本のドーバー」、巨大な岸壁が見たかったのかはよくわからない。
「屛風ヶ浦」と呼ばれ、「日本のドーバー」または「東洋のドーバー」と名高く、映画やドラマにも使われる背景のようだ。
いずれにしても大した見ものであった。
高校の先輩で地質学をやっている地学の先生がいるが、きっと何度も来てるんだろうなぁ、そういう人は。

コンビニで買ったサンドイッチなどを各人堤防に腰かけて食べながら、ウィンドサーフィンをやっている若者たちを眺めた。
Gくんはずっと遠くまで自撮り棒につけたスマホと共に歩いて行ってしまったので、せいうちくんとサーファーたちを論評する。
「青い帆の人は上手だね。ちゃんと沖に行っている」
「白い方の人はだんだん横へ流されて行っちゃってるねぇ」
そこへパドルを2本使って近づいて行く第3のサーファー登場。
「サーフィンって手でパドルするんだと思っていたよ。本当にパドル持ってくる人、初めて見た」
「やっぱり帆を立ててるサーフィンは普通と違うんじゃないかな」
などなど、観てる方は無責任なものだ。
自分は何回生まれ変わってもたぶんサーファーにはならないだろうと思った。

少し車で移動して、犬吠埼の平たい芝生で寝転んですごした。
もちろん灯台も見た。
Gくんは果敢にも灯台に登りに行ってたよ。
てっぺんまで行ったら気持ちいいだろうが、膝ががくがくしそうなので私はお留守番。
せいうちくんも当然のように一緒にお留守番だ。
そのかわり、駐車場のフェンスを乗り越えて岩場に出て、磯遊びをしていた。
バランスを失ってすっ転び、先日左膝を擦りむいたというのに残る右膝にも派手な擦り傷をこさえてしまった。

せいうちくんが用意のバンドエイドを貼ってくれている間に戻ってきたGくんが言う。
「あっちに、東映のなんちゃらがあるぞ」
てっきり東映動画の看板とかキャラとかあるのだと思い込み、東映アニメの大好きなせいうちくんが喜ぶだろうと教えてあげたら、すっ飛んで見に行った。
しかしそのうしろをゆっくり歩いて行くGくんの話をよく聞くとどうも違うようだ。

「東映映画」と言えばオープニングで荒波を砕く岩の姿に東映の三角模様が出現してずずーんと前に出てくるアレで有名だが、どうやらその「東映岩」はここであるらしい。
私から間違った情報を入れられて灯台のふもとをうろうろしているせいうちくんに「こっちだってさ」と声をかけて一緒に行ってみると、確かに眼下の崖の下、いくつかの岩が荒波に揉まれている
フェンスにちゃんと看板も出ていた。
「これが某映画のオープニングに使われた岩です」って。なんで匿名?
東映の歴史も長いから、岩の形も波に削られて少しは変わっているのかもしれないが、少なくとも何十年か前に撮影された映像のまま今も我々の目に入ることがあるわけだ。
なんとなく拝んでしまう。

「本州の最東端がこの犬吠崎だ」とGくんは旅マニアで地図オタクらしいうんちくを垂れていたのだが、あとで本人がFBに書いたところによると大嘘だったようだ。
正しくは 初日の出前線が本州で一番最初にあたる場所、で、初日の出自体は富士山頂の方が早いのであくまでラインとしての最東南東というか、そんな感じの意味なんだって。
しかもその定義では 少し南にある長崎鼻の方が早いという 歯切れの悪い話だそうだが、面白かった。

車はとことこと利根川を渡る。デカい川にデカい橋だ。
せいうちくんの強いリクエストで息栖神社、香取大明神、鹿島大明神をめぐっているらしい。
たいていの境内で私は門前の小僧になって待っており、Gくんはうろうろし、そしてせいうちくんは行ける限りの裏とか横手とか細かいところを見に行ってしまう。
熱心に石碑を撮影している姿を何度か見た。
帰ってから解読するつもりなんだろうか。

車に戻って走り出してもせいうちくんの興奮は冷めない。
「息子が柔道やってた道場にもあったんだけど、武道をやってる道場にはたいてい3つの掛け軸がかかっている。真ん中に天照大神、向かって右に鹿島大明神、左に香取大明神だ。もともとは鹿島と香取の2つだったけど、幕末期に尊王攘夷の思想が高まって真ん中に天照大明神が加えられるようになった。第二次大戦の敗戦による占領下では学校教育の中から武道が外されたので、床の間の掛け軸も廃止されたところが多いが、そのあと復興したものも含めて今は当たり前に掛かっている」と立て板に水にしゃべる。
この人はこういう分野のオタクだったのか。
道理でいつも歴史の本を読んでいるとわけだ。
専門は世界史だとばかり思っていたよ、何かというとゲルマン大移動の話を聞かされるから。
こっちにも詳しかったのか、剣呑剣呑。

我々この旅では「各自の考えにまかせる」という政府のお墨付きを盾にほとんどノーマスクで過ごしていたんだが、まだまだマスクしている人の方が多い。
ある神社の近くでは、マスクおじさんがノーマスクの私の顔を覗き込むようにして声をかけてきた。
「おっ、もうマスクを外しましたね!やってますね!」と言いながら自分のマスクを半分引き下げながら笑顔で去っていった。
いったい何がしたかったんだろう。
マスク派の、ノーマスクに対する嫌がらせかとも思ったが、「自分も外したいけどまだ人目が気になる」というノーマスク派への参入を考えている人にも見えた。
いずれにしてもやはりおじさんが急に人に話しかけてくるとその思惑は深く陰湿に査定されてしまうのだ。心するように。

次に買い出しで停まったでかいイオンだかなんだかには私の大好きな「銀だこ」ののぼりが立っていた。
「銀だこ」のたこ焼きはうまいんだ。
さっそく1人前買って、走り出したドライバーと助手席の2人にもひとつずつ分けてあげる。
「うまいはうまいが、ここまできてたこ焼きが食いたいのか」とあきれていたようなGくんだった。

いや、こういうとこで機嫌を取っておかないと、実は私は旅の大変な迷惑になる行為を続けているのだ。
大きなスーパーに行って生活衣料などを売っていると、ついつい好みのパジャマやタオルを探してしまい、あげくに買ってしまうことがある。
最初にパジャマを買った時はGくんも、
「おう、やっぱり昼間の着のみ着のままで寝るのはつらいか」と言って笑っていたのだが、その後、着るでもなくさらにパジャマを買い、しまいにタオルまで買い始めたのを見て、
「大した荷物じゃないが、旅の途中で物を増やしてどうする!買い物せずにはいられないのか!?」とちょっと怒っていたのだ。
家の近くのイトーヨーカドーで買えるパジャマやタオルには飽きちゃってるんだよぉ。
目先の変わった、他の店で買ってみたいんだよぉ!

旅の写真もずいぶん溜まってきたので、息子に「楽しく旅してるよ~」と幾枚か写真を送った。
「日本には美しい景色が多いね。うらやましい旅だ」と返事が返ってきた。
「僕らもいつか、車中泊の旅をしてみたいね、って言ってるんだよ」ってさ。
夫婦で楽しむにはもってこいだから、若いうちにやっておくといいかもしれない。
我々も、「なぜノアを持っているころにこれをやっておかなかったんだろう!」と激しく後悔しているよ。

茨城に入ると、「セコマがある」とGくん。
はて、セコマとはなんぞや?と思って車窓からのぞいたら、なんと北海道にしかないと思い込んでいた「セイコーマート」だった。
茨城県とフランチャイズ契約を結んでいる関係で、このへんにはセコマがたくさんあるんだそうだ。
せいうちくんは大喜びで「ガラナエール」を買っていた。
コーラより少しDr.Pepperくさいこの飲み物は、我々にとっては北海道でしか買えないと思っていたシロモノで、希少価値が高い。

もう夜も更けて来て、鳥目だというGくんは運転できなくなりせいうちくんが運転手を務めていた。
Gくんは寝場所に着く前に茨城空港を見たいのだと言う。
近くまで行くと確かにフェンスの向こうに航空機が何台も止まっていた。
何あれ、戦闘機?ここ、自衛隊?
この人は鉄オタなだけじゃなくて戦闘機フェチでもあったのか?!と思って聞くと、特にそういう趣味はないがせっかくここまで来たんだから航空機を見ておきたいとの返事。
かなり喜んで航空機の写真をたくさん撮っていたのでやっぱりそのケもあるんじゃないだろうか。
写真撮影を終わって戻ってきた時の顔はかなり満足そうであった。

今夜は珍しく高速上のパーキングで寝るんだそうだ。
そういう経験も入れておきたいと、常磐高速道の最短距離300円ぐらいで入って出てこられる区間にある友部SAを狙っていたらしい。
道の駅で寝るのと要領は同じだが、Gくんのお目当ては「食事コーナーでただであったかいお茶が飲める」点らしい。
思惑に反して給茶機が置いてなかった、と言って地団駄踏んでいた。(翌朝には「見つけた!」と言って我々にもお茶をふるまってくれたが)
私は自販機のカップに出てくる「抹茶ラテ」が気に入ったなぁ。
喫煙所での一服のおともに2杯も飲んじゃったよ。

トイレも、普通のトイレはウォシュレットなしだが多目的トイレにだけはついている。
「多目的」の目的の中には「お尻を洗いたい」も含まれてしかるべきだと思ったので、堂々と使わせてもらった。
サンドイッチを食べ、抹茶ラテを飲んで、今夜も大して宴会はなく早寝早起きの車中泊の旅は暮れていく。

初日の3人オイルサーディン缶寝は不可能と判断したGくんで、翌日は快活CLUBに泊まったので問題は起きなかったが、今夜は寝方を変えると主張する。
運転席を思いっきりリクライニングしてほぼ水平にして、助手席は逆に可能な限り前に倒して背中部分に荷物を山のように乗せる。
そしてGくんは運転席部分から頭をはみ出させるようにして荷台部分にかなり頭を預けて、なんとか平たく寝たようだ。
家から持って来た布団の1枚が役に立ったと思う。
そして我々は残りスペースにもう1枚の布団を敷いて、やっぱりぎゅうぎゅうと抱き合って寝ていたのだ。
「これならなんとか」とGくんは言い、やがていびきと歯ぎしりが始まった。
そこそこ安眠できているようだった。
こちらもくたびれていたので用意の耳栓を出すのも面倒くさく、
「快調に歯ぎしりしてるねぇ」
「よく歯がすり減らないもんだね」と寸評しながらぐっすりと寝た。

この旅ももう3日目を終えようとしているわけだが、我々夫婦が感心してやまないのはGくんの段取り力と調査力、そして他人を思いやるもてなしの心のようなものだ。
車中泊が初めての我々のために、自分も行きたいにせよ面白いところをたくさん盛り込んでくれる。
せいうちくんのリクエストがあれば鹿島神社や香取神社にも足を伸ばす。
「2人でくっついて寝たい」という趣味が理解できなくても、それが可能になるように工夫して自分は運転席で寝てくれる。
酔ってなくて素面の時はほとんど実務的なことしか話さないが、気分が一定していて旅の道連れとしては最高の相手だ。
公平で冷静で、親切ですらある。
まだ旅の半ばとは言うものの、すでにこの師匠にもっともっとついて行きたい、できればより遠くへの旅をまた一緒にしてみたい、とすでに思っている我々であった。
人間ってのはじっくりつきあってみないとなかなか中身がわからないものだ。

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