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年中休業うつらうつら日記(2024年5月18日~5月24日)

24年5月18日

せいうちくんは昼から皮膚科に薬をもらいに行き、ついでに買い物して帰ってきてくれた。
ただ、土曜で薬局が13時に閉まっちゃったので、薬をもらえるのは月曜になりそうだって。


外付けHDに貯めてあった米代恭原作のドラマ「往生際の意味を知れ!」を観終わってしまった。
主演の女優さんが原作の主人公とすごく雰囲気が似ていてい、アイラインひとつであんな不思議な目が出来上がるのかと驚いた。
続いて観始めたえすとえむ原作の「いいね!光源氏くん」も面白い。
大河ドラマもああいう店舗と言葉づかいでセリフを言ってくれたらもっと「み~や~び~」なのに。

すぐに歌を詠んじゃう光源氏くんに、頭の中将まで登場して、せいうちくんは面白いと大喜び。
原作はもっと面白いよ。なにしろえすとえむは絵が上手いからね。
BL出身者にはなかなかツワモノが多い。

息子が帰って来て、カレーを食べる彼と教育談義。
「僕が受けてきた学校教育は、基本、競争を強いるものだったので楽しくなかった」と言われてびっくり。
せいうちくんのように小学生のうちから受験勉強してるならともかく、息子は公立の中学校に行き、自分の行きたい高校、行きたい大学を選んで短期間猛烈に頑張って合格したから、不満はないと思い込んでいたのだ。
「わかるよ。僕だって大学に入った時はちょっとイキってたというか、何かに勝ったような気分になっていたから。でも今の、競争のないコントという芸事をやっていて、そんなのなんの意味もなかったって気がついた。自分が納得できるかどうかだけなんだよね」
そんな風に考えていた経路を聞くのは非常に興味深かった。

「僕の育てられ方とかに文句があるわけじゃないよ。自分でも『ここは頑張らなきゃ』って思ってたし。でも、それを自然に思わせちゃう流れがあって、それに巻き込まれてる感じが今はする」んだって。
たぶん、日本の「最終学歴をできるだけ上げて、安定した就職につなげる」風潮が「テストで人よりいい点、いい成績を取る」に結びついているんだろう。
先日の眼科の視野検査やせいうちくんの記憶能力テストでも、「今の自分の状態を客観的に知りたい」というよりは「できるだけ正解したい。満点を取りたい」という気持ちがある、という話をしたら深く納得していた。

そんな事情を踏まえて、今の息子が興味を持っている職業は「子供の教育や生活にかかわる仕事」、たとえば学童保育所の職員とか学校の先生などだそうだ。
私の実家は教員の家系で、先祖にさかのぼっても皆、教職に就いていたらしい。
母の父母も親戚も同様だ。
なので、3姉妹の真ん中に生まれ、他の2人は人格的に不適切だと母が感じ、実際にならなかったのと母親の希望をかなえたい気持ちから教師を目指していたが、大病をして高校を中退しなければならなかった母の無念は深かった。
幸い、姉が教育大に行ってくれたので私には「どうしても」の圧力はなかったものの、やはり大学に行く以上「教員免許」は取っておけ、と迫られた。
「教師」という職業は全く自分には向いてないのと、人間として尊敬できる教師に出会った経験がないのとで「教師嫌い」だった私はあくまで抵抗し、最後まで教職は取らなかった。

その「血族の運命」がまさかブーメランのように息子に降ってくるとはなぁ。
ただ、彼も現行の学校制度には限界や疑問を感じており、たとえば18歳で一律大学受験をする風潮だが、経験的・精神年齢的に早すぎると思うのだそうだ。
「あなたぐらいいろんな経験をして、それから先生になるシステムだったらいいのにね」と言うと、
「そうなんだよなぁ。コントに出会ってからの僕は子供たちに教えたいこともやってもらいたいこともいっぱいあるけど、大学卒業した時には何にも持ってなかったもん」と認めていた。

これは我々の持論でもあるのだが、そもそも半数が大学に行くのが間違っていて、高校を卒業したらいったん社会に出るのでいいんじゃないだろうか。
特に「勉強」を仕事として選びたい、もっと深く学問をしたい人だけが大学を受験し、他は様々な人生経験を積んでから「やりたい勉強」を見つけて大学に入ったり「やりたい職業」のために大学で学べばいいと思っている。(あくまで大学が必要なのだとしたら)
教師としても、様々な人生経験のある人の方が子供たちにいろいろと教えられることがあるんじゃないだろうか。
少なくとも学校が求める正しい「授業の方法」を学んで学生からいきなり「先生」になり、一生を「先生」としてだけ生きていくのには反対だ。

個人的には息子に発達支援学級の先生になってもらいたいな。
腕力があり、抱き上げたり支えたりの体幹がしっかりしている人はありがたい。
息子が望むように少人数を相手に、人柄や生き方まで踏み込む指導ができるだろうしね。
ただ、「普通の学校」を変えたいんだとしたら、ちょっと意味が違うし、困ったもんだ。
まあ、今のところ「教育」にコント並みの興味を深く持っている、ということで、あとはカナダから帰ってきてからだね。

こんな話を息子と延々するのは実に悪くない気分だよ。
「反抗期はわけがわからない、なんにでも腹が立つ時期だった」と認めてくれたから、もう彼の反抗期を思い出してフラッシュバックする必要もない。
大人同士のゆったりした関係を築いていこう。

夕食、我々は先にステーキ食べて済ませていたが、息子は帰ってきて「煮込みラーメンでいい?」と聞いたら「うん、食べたい」と言う。
いつものようにせいうちくんが作ろうとしたら、「いいよ。自分でやる」と言ってさっさと冷蔵庫からキャベツやにんじんを取り出し始めた。

しかし、ここで不覚だったのは、長いこと餃子を作ってなかったため、キャベツを完全に傷ませてしまっていたこと。
あちこち紫色になり(紫キャベツじゃないのに)芯のところに得体のしれないふくらみができている怪しい物体になっていた。
多分、長持ちさせる工夫として「芯をくり抜いて濡らしたキッチンペーパーを丸めて詰める」という方法を初めて試したものの、その限界を超えて冷蔵庫に入れっぱなしていたのが気味悪いふくらみの正体だろう。
思わず「浦沢のビリーバットに出てくるコニー・アケチが作った『怪奇ピーマン男』みたい」とレアに驚くと、息子は呆れたように「よく覚えてんね」とつぶやいてた。

代わりに白菜を使おうとして、それもやや古いので顔をしかめた息子にせいうちくんが、
「いつもやそれほど食品廃棄率は高くないんだよ。ちゃんと傷ませずに食べきってるよ」と弁明したが、ひと言、「信用できない」と切り捨てられた。
あああ、早くもまた反抗期フラッシュバックが起こりそうだよう。

それでも、にんじんをかなり大きく切るのを見て「大きいんだね」と聞くと、
「野菜が全体に古いから、よく煮込むために溶けないよう大きく切ってる」と答えるぐらい、料理に関しては見識が上がったようだ。
ただし、よく作る料理は「カレー」とのことだが。

こうして出来上がった「煮込みラーメン」だが、間違えて4人分作ったらしい。
2人分のつもりだったみたいなのに。
「明日の朝また食べる」と憮然としていた。
食器や鍋もきちんと洗ってくれて、いや、本当に助かるよ。
もう今から介護頼みたいぐらいだ。

24年5月19日

1日読書と昼寝。
夜寝る前にGくんが長老の別荘に一緒に向かった時のドライブレコーダー動画を時間圧縮したものを30分ほどかけて見た。
一緒に車に乗っているように面白かった。

マンガ友達のミセスAと久々に外で会う約束をする。
彼女はとても忙しいので、ヒマのある私ができるだけ彼女の最寄り駅に近づくのが合理的だと思う。
彼女に貸して、感動したと言ってもらえてるマンガでもまだ読めてないものが多く、しかも読んでも忘れちゃうので、なかなか感想戦が難しい。
しかしマンガのことをしゃべりまくるのが生き甲斐なので、少し頑張ろう。


やはり、最近面白かったのは橋本エイジの「ちるらん 新撰組鎮魂歌」とそれに刺激されて買った安田剛士の「青のミブロ」かな。
あと、ミセスAが友人から「市川春子の『宝石の国』は必読です」と言われ、私にも聞いてきたのでとりあえず「必読でしょう」と答えたものの、通して読んでみたところ、ファンタジー性が高すぎて私には少々荷が重かった。
ただ、あの絵は感嘆に値する。
あと、全12巻で終わっているのかと思ったらどうも終わっていないようで、今年の9月から続きが始まるという情報もあり、わからない度が高い。
雨瀬シオリの「ここは今から倫理です。」既刊9巻はとても好きだ。
実はエロの人だったのか、「AMASE」名義で上巻が出ている「蛍火艶夜」の下巻が楽しみ。
思わずたくさんあるKindleの単話版を買いたくなるが、それはガマンだ。

24年5月20日

昨夜は息子が久しぶりに自宅の方に帰った。
「生ごみを捨てなきゃいけない」のが理由らしい。
息子がいるとけっこう緊張してしまうので、すごく疲れて眠くなっており、睡眠薬のまなくてもいけそうな気がした。
なので23時にマイスリー10mg錠1つだけのんで寝ようとした。

これがまあ、まったく眠れない。
2時間キンキンと目が冴えたままでいて苦しくなったので、1時頃、2錠目のマイスリー投入。
ところがそれでもまだまだ眠れない。
おまけに身体が火照ってきたので深夜に水風呂を入れて入り、身体を冷やす。

朝の4時近くなって焦りまくり、普段より多い量の睡眠薬をのんで、せいうちくんが起きる前に寝ちゃおうと6時に目覚ましが鳴るまでに、と焦りながらなんとか寝た。
しかしせいうちくんが目覚まし時計で起きるのと同時に起きてしまった。
薬ののみ過ぎで足元がふらふらする。
出社するせいうちくんを見送って、ついにばたんと寝た。

次に目を覚ましたのは11時すぎ。
せいうちくんからLINEが入っており、10時半ごろ健康診断を終わって会社を出たので、打ち合わせ通り駅前で待ち合わせて買い物できる?と聞いてきていた。
急いで支度をすれば間に合わなくもなかっただろうが、息子妻Mちゃんからも昨夜打ったLINEの返事が来ていて猛烈に焦ったので、せいうちくんには「ごめん、無理。いっぺん帰って、あとで自転車で行こう」「わかった」とやり取りを済ませ、MちゃんのLINEを検討する。

要するに、6月8日あたりに息子のうちに行って我々も手伝って重い家電とかハードオフ等で売り払い、本棚1本と中身の本をこっちのうちに持ってくる、という計画は、Mちゃんの考えていたものとは全然違っていたらしい。
「家電や家具は、6月末に業者さんを呼んで持って行ってもらうつもりでした。息子くんにもそう話して、『わかった』と言っていたのですが…あと、本棚と本は預かっていただけると助かりますが、お母さんたちが北海道に行く前の19、20日にキャラバンをお借りして自分たちで運ぶつもりでした。その時、ついでに私の実家に預かってもらうものを運ぶ用事もあるので」とのことだった。

要するに、息子の頭は芝居のことでいっぱいで、Mちゃんが綿密に立てていた計画が全然入っていなかったのだ。
私だったら激怒・大猿化案件である。

とりあえずMちゃんに、こちらが先走っていろいろ口や手を出し、勝手に算段しようとしたことをお詫びし、そのうえですべてMちゃんの考え通りにやってもらいたい、我々はできるだけお手伝いをする、という内容の返事をする。

すぐに、6月8日の本棚と本だけはお願いして運んでもらいたい、残す本は息子を通じてMちゃんが相談する、またそれとは別に19日にキャラバンを借りて息子と2人で実家に物を運びたい、20日中に返せば北海道旅行に間に合うだろうか、という返事が来た。
「じゃあそういうことで」と決着し、帰ってきたせいうちくんにLINEを見せてその話をしたら、
「息子は相変わらずひどいね。全然Mちゃんと相談してないじゃない」と呆れていた。
夫の親が出しゃばりすぎたのもいけなかったので反省し、粛々と6月8日の本棚と本の運搬だけさせてもらおう。

そのあとは自転車で駅に行き、まずは銀行に行って10万円を下ろし、それを2階の両替機で新札に替えてもらう。
最後に2人に会う時、お餞別として渡すつもり。
続いてコンビニに行き、息子夫婦の結婚式の写真から選んだものを2種類、B5の大きさにプリントする。
光沢紙が選べなかったのでなんかぺらぺらの紙だが、いい写真だ。
ついでに披露宴で我々と息子夫婦が写っているものを大きめの写真サイズにプリント。
これは娘の病棟に持っていき、ベッドのヘッドボードに貼ってもらおうと思う。

それからロフトに行き、先のB5に伸ばしたプリントが入るサイズの額を買い、それから「お餞別」の袋を探したが、ない。
最近の日本人はお餞別を贈らないのだろうか。
仕方ないから「ほんのきもちだけ」という小さな袋を色違いで2枚買った。
これに5万円ずつ入れてひとつずつ渡そう。

暑いと思ったので半袖のTシャツと黒いパンツで出てきたが、ドアを出た時は少し寒いかも、と思ったものの自転車であちこち回るうちに暑くなってきた。
相変わらず上着を着こんだせいうちくんも、
「これが今年初めての『ちょっと暑すぎたかもしれない』失敗だ」と言っていた。
彼は毎年、5月か6月にこの年中行事をやらないでは済まないのだ。

せいうちくんは先週の土曜に薬局の閉店時間に間に合わずもらえなかった皮膚科の薬をもらいに行き、私は郵便ポストを見てから家に帰る。
張ってあった水風呂に飛び込んで涼んでいたらせいうちくんが帰ってきた。
写真の端を少しカットして額に収め、もう1種類の方は時々替えて気分を変える用に裏に入れておく。
親子夫婦2組の家族写真は小さい写真立てに入れて、息子が娘の手を握って笑顔を見せている写真と並べて立てた。
なんだか心温まる家族写真のコーナーができたよ。嬉しいな。

正直、息子ストレスと言うか、普段いない人がいるだけで結構疲れるものだとあらためて思い知ったが、23時頃彼が帰ってきてますますその思いは強くなった。
明日から6日間、演劇の公演が続き、10時頃家を出て23時頃帰ることになりそうで、今日は「場当たり」でADの息子も大変忙しかったらしい。
表情がなく、話しかけてもほとんど反応がなかった。

「Mちゃんと連絡とった?」
「うん。聞いた」
「こうなってるんだけど」(とLINEを見せようとすると)
「もう見た」
「つまり、あなたはMちゃんの言うことを全然聞いてなかったってこと?」
「うん、頭からぼーっと抜けてた」
「Mちゃん、怒ってなかった?」
「別に」
ああ、もう、今日の彼とは話にならない。
週末までこんなゾンビ状態なんだろうか。
それでもしっかり実家に帰ってきて風呂に入って飯を食う気は満々らしいのが余計に腹立たしい。

ガマンしきれずに、
「さすがの捨て目が利くあなたも気がつかないみたいだね」と言うと、
「ん?写真?気がついてたよ。それが何か?」
「いや、飾ってくれて嬉しいな、とか、いい写真だね、とか何か反応は」
「別に」
もういい。メシ食って寝ろ。

明日は10時に出てゲネプロだそうで、これが1週間近く続くわけだよ。
多少はギャラがもらえるらしいが、早く公演が終わって何かのバイトを始めてもらわないと、遠く尾瀬の山小屋に出稼ぎに行っているMちゃんに申し訳が立たない。

と、息子が荷物の中から「これ、Mちゃんから。母の日」と小さなラッピングバッグをよこした。
中も綺麗にラッピングされており、保護シートの中から出てきたのは可愛い青緑の鳥のブローチ。
カードもついていて、息子からのメッセージは「愛してるよ」で結ばれており、Mちゃんの美しい文字で書かれた長いメッセージは「お母さんとお話してると時間を忘れます。もっともっとお話しして、全部覚えていたいです。嫁・娘としてずっと仲良くしてください」という内容が彼女らしい健康的な率直さで表現されていた。


涙が出そうに嬉しい。
「母の日だけど誰もカーネーションくれないなぁ。マンションの管理組合しか」と思っていたが、Mちゃんはきっと雨で流れてしまったお父さんのお墓参りの日に渡してくれるつもりだったに違いない。
それを今日になって息子が持ってくるってのは、息子が実家に来始める時はすっかり忘れてたってことなんだろう。

「家族関係」が信頼できずに苦しい思いをしているが、Mちゃんと息子が仲良くやってくれて、時々こうした好意のおこぼれが回ってくるなら、家族ってのは案外いいものなのかもしれない。

24年5月21日

今日から芝居幕開けの息子は、非常にナーバスになっている。
なんとか笑って「いってきます!」と言っていたが、頬が引きつっていた。
テンション高いんだろうなぁ、演劇は。
その中で演者としてエネルギーを爆発させるわけでもないADというのはいったいどんな立場、心持ちなんだろう。

ところで昨夜、恐ろしいことに気づいてしまった。
レディースコミックが好きで、いっときは月に10冊ぐらい買って地元の本屋さんから配達されていたぐらいだった。
レディコミ雑誌が猛烈な速度で部屋のあちこちに山を築き始めたのが、せいうちくんに自炊を決心させた一番の要因だったかもしれない。
いまでも月に2冊ぐらい買い、粗いスキャンで取って気に入りの作者のは別にまとめたりしているんだが、なんと、そういったメジャーな作者に関してはKindle Unlimitedでかなりの量が無料で読めるのだ。(Unlimitedの会費は990円/月、払っているが)

昨夜はそれらを読み過ぎて、寝たのは朝方5時過ぎ。
それでも何とか息子を10時半に送り出すことができた。
(ほっとけば自分で出かける程度には自立してきたが、見送りたかったのだ)
古いマンガとか相当な量がKindle Unlimitedに出ており、それを読むだけでもいろいろ頼める。
ただ、スキャンの画質はうちで丁寧にとった時のには負けてるけどね。

さて、息子の方は22時半ごろ帰ってきたが、ものすごくだるそう。
「風邪ひいたらしい。咳と鼻水が出る」と言って測った熱は37度9分。
あわててコロナの検査キットを持ち出したが、ほっとすることに陰性。
つまり、せいうちくんと私がひいていた風邪がうつったということか。
「明日は無理かもしれない。発熱だからなぁ」とつぶやきながら、晩ごはんを少しだけ食べて家にあった漢方の風邪薬をのんで、たちまち寝てしまった。

公演の最中にADがいないとどのくらい困るのかわからないが、いくらコロナ陰性とは言え発熱した状態で人が集まるところに行くわけにもゆくまい。
なんとか明日には熱が下がっていますように、と氷枕を作って応援する。
うかつだったなぁ、我々の風邪がうつるかもってのは計算に入れてなかったよ。

子沢山のミセスAに万が一うつしてしまったら、悲惨な家庭内感染が予想されるので、事情を伝えて残念だが今回は見送ることにした。
近々、またリスケしてくれるそうだ。
楽しみにしていたのに残念だ。

24年5月22日

夜中に1回、氷枕を替えてやって、迎えた朝。
まだ熱が37度7分ある。
「これは休まなきゃしょうがない。連絡入れておくよ」と息子が自分で電話し、今日は風邪休暇だ。
本人も相当真面目らしく、午前中に私の行きつけの江口のりこ似の女医さんがやってる内科病院に行くと言う。
いちおう発熱外来に電話し、すぐ来ていいと言われたようで出かけていった。

1時間ほどで帰ってきて、「どうだった?」と聞いたら「ただの風邪」と短い答え。
薬もひとそろいもらってきたようで、「味噌煮込みうどん、もうないの?」と言って、すがきやのインスタント味噌煮込みうどんを自分で作って食べ、また寝た。
せいうちくんは氷を買いに走り、ついでに頼んだポカリスウェットも買ってきた。
これで氷は潤沢だ。氷枕を何度でも作ってあげよう。

おなかにくる風邪ではないようだが大事を取って夕食は中華がゆ。
家にいたころよく食べさせたものだ。
今ではせいうちくんが作ってくれるが、私と同じぐらい上手にできて美味しかった。
彼は私がつける白髪ねぎとショウガの千切りの他に、あさつきのみじん切りと中国でおかゆによく入れると言う油条(ヨエティアオ)代わりの揚げ玉を用意してくれた。美味しかった。
今度、息子妻のMちゃんにもふるまいたいなぁ。

そんな努力の甲斐あってか、熱は少しずつ下がってきたようだが、まだ37度台。
明日に望みをつないで、とにかく風呂で温まってそのまま寝ろと言われるまでもなく、早々に寝た息子。
1日中うとうとしていたから寝られないかと思ったが、さすがは病人で、まだまだ眠れるらしい。
また夜中に氷枕を替えてやると、か細い声で「気持ちいい。ありがとう」と半ば寝言のように言う。
明日は熱が下がってるといいね。


夜、10年前にイタリアに行った時のツアーで仲良くなった群馬のおばさまから時々いただく手作りのオレンジピールとキンカンの実がたくさん届いた。
どちらも庭(と言うか、森らしい)でとれるようで、箱いっぱいの下仁田ネギをいただいたこともあるが、どうもそのあたりの山持ちの方らしい。(何しろ生産者名として彼女の名前が箱に印刷されている)
キンカンの食べ方を問い合わせたら、そのまま食べても美味しいし、砂糖で煮てヨーグルトに入れたりもするそうだ。
「息子が風邪をひいている」と言ったら「キンカンは喉に効くから、ぜひ息子さんに食べさせてあげて」とのことだった。

お礼にさっそく治一郎のバームクーヘンを送る手配をしたが、もう10年も前に10日間一緒に旅をしただけなのにこういうお付き合いが続いているのはまことに喜ばしく、嬉しいものだ。
同行していた当時39歳の息子さんに関して「どなたか、いいお話はないでしょうか」と聞かれて、我々の知っている独身女性はみんなアラフィフなので申し訳ないが手札がなかった。
あの息子さんももう49歳か。
39歳と49歳ではずいぶん響きが違う。
もう良縁を得られただろうか。

24年5月23日

祈りが通じたのか医者の薬はよく効くのか、熱は下がった。
「今日は行ける」と朝ごはんに軽くヨーグルトを食べ、ついでにキンカンを薦めると「美味しいね。甘いよ」とパクパク食べて、出かけていった。

彼と前後するように私も整形外科に行く。
「手の痛みはどうですか」って聞かれて、
「どうして手の軟骨がすり減るんでしょう?」とズバリ聞いたら、「やっぱり、使いすぎなんでしょうね」と言って、朝晩に4秒間を10回ずつ、マグカップ等を親指を広げてしっかり握る体操を教えてくれた。
そういうのはなかなかやらない私だが、手の痛みはかなり切迫してるので、さすがにやるかもしれない。

「というわけで、テレビの前のテーブルにリハビリ用のマグカップをいつも置いておくと思う。片づけないでね」とせいうちくんにお願いしておいたら、翌朝、さっそく棚にしまわれていた。
こういう時、非常にがっくり来る。
あの人は聞いてるようで全然聞いてないんだよねー。
そのわりに「大好きだよ。大事にするよ」と口では言うから、よけいに腹が立つ。
文句を言ったらすごく反省して落ち込んでるようだから、堪忍してあげよう。
いつもやりっぱなしの私のあとを片づけてくれるのは助かってるんだからね。

いつものシップと鎮痛ジェルもらって帰ってきたら、せいうちくんがお義母さんからの電話を受けていた。
株の売買(家族信託をしているのでせいうちくんを通さないといけないのだ)の話だったが、これ幸いとここしばらくの懸念だった「万一の場合のお葬式のやり方」の希望を聞いてみる。
お義父さんが認知症になる以前から、2人ともお葬式なんて面倒くさいし、友達もみんな亡くなってるか来られないかだろうから、家族だけの直葬でいい、とのことだった。
2、3人、呼んで欲しい人がいるようなので、「伯父さんの時ぐらいの規模で」と考えていたらしい妹さんも納得してくれるよう、以前渡したエンディング・ノートに書いておいてくれと頼んでいた。

私も自分たちのをちょっと書き始めてみてるが、家系図とかをわかる範囲で埋めていくのがけっこう面白い。
ただ、母が時折話す親戚の話は高校生までの私の頭には全然まとまった形で入ってこなくて、実家の歴史は私に関する限りかなり途絶えている。
5、6代さかのぼると鍋島藩主の娘だったが家臣に降下したとか、先祖が沖縄で教師をしていて、川に流された子供たちを助けるために溺れ死んでしまったので現地にはそのことを歌った歌がある、とかおぼろげには聞いているのだが。
相手が死んでる今となっては確かめるわけにもいかず、こういう時は不便だなぁと思う。
せいうちくんの方は桜田門外の変や彰義隊までさかのぼれるらしいうえ、ひいひいお祖父さんの名前や姻族までわかるようで、旧家なのねーとうらやましくなる。

気になるのは、義母が兄嫁と電話で口論になったらしいこと。
音楽高校・大学と同期だった向こうから、「当時からほとんどつきあいはなかった。私はあなたと夫の弟の結婚には大反対だった」「あなたのことは大嫌い」と言われたそうだ。
他にも「銀行の人が自分の家の貸金庫を勝手に開けた」と訴えていたそうで、そう言ったのが事実ならこれは認知症の症状を疑うべきだろう。
「だからあの人(義姉)はお葬式に呼ばなくていい」とお義母さんはおかんむりだったようだが、お義父さんが次男なのに無理を言って夫婦で本家のお墓に入れてもらう許可を取り付けたというのに、お葬式に呼ばなくていいんだろうか。
ああ、老人のケンカはわからない。

せいうちくん方の親戚は皆、長命なので、自然に認知症を発症する人が非常に多い。
せいうちくん自身、80歳を超えた時の自分に自信が持てないので、今からメモリークリニックに通って健康な時からデータを取ってもらっているぐらいだ。
私も、せいうちくんが先に死ぬ心配よりも圧倒的に認知症を心配している。
ワインとオリーブオイルがいいと医師には言われたそうだが、なかなか健康食を摂るほどの熱心さもわかない。困ったもんだ。

えすとえむ原作のドラマ「いいね!光源氏くんのシーズン2まで観たので、せいうちくんにぜひ原作を読んでくれと勧める。
素直に読んでくれて、「絵の上手い人だね~」と感嘆していた。
原作の平安貴族たちの大人っぽさに比べると、ドラマはやや精神年齢が低そう。
大河ドラマのおかげで平安ブームが来ている今、「いいね!光源氏くん」の雅も再燃しないものだろうか。

晩ごはんにカレーうどん(私流のはゆでたうどんをネギと炒めてさらに持ってカレーをかける変則的なもの。実家でなじんでしまったものとみえる)
食べてる最中に口の中にごろっとしたものを感じた。
瞬間、「イカの寿司を食べてる時に、イカに刺さって歯が抜けていた」という長老の話を思い出し、ぞわっとしたが、吐き出してみたら前から違和感のあった奥歯の金属冠が取れただけだった。
それでもかなり大きく削って治療した跡なので、なんだかしみしみする。
舌で探ると相当大きな穴がぼこっとあいてる感じだ。

明日の朝一番で歯科医の予約を取らなければ、と早寝しようとしたが、焦ると却って眠れないもので、結局5時ごろまで目が冴えていた。
せいうちくんによく頼んでおいたから、とにかくいっぺんは早起きして予約だけ取ろう。

大人買いして放ってあった朝霧カフカ原作・春河35作画の「文豪ストレイドッグス」既刊24巻を読み始めた。
なんか文豪がいっぱい出てきそうだし絵がカッコいいから買ったんだが、想像以上に無茶苦茶な話だった。

「異能」を持つ文豪たちの探偵社と、これまた「異能」持ちの国内マフィア集団、そしてやはり「異能者」の海外文豪たち「北米組合(ギルド)」の三つ巴の乱戦。
探偵社社長は異能「人上人不造(ヒトノウエニヒトヲツクラズ)」を持ち、配下には「異能・檸檬爆弾(レモネード)」を持つ梶井基次郎とか「君死給勿(キミシニタモウコトナカレ)」(瀕死の重傷者を快癒させる。ただし、死にそうでないとダメなので、軽症の場合は半殺しにしてから使う)の異能を持つ与謝野晶子とかが集っている。
虎化する異能の少年、中島敦は彼らに助けられ行動を共にするが、彼の能力には70億円の賞金がかかっている。

マフィアの首領は「ヰタ・セクスアリス」の異能を持つ森鴎外、そして北米ギルドの統領はフランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド、異能は「華麗なるフィッツジェラルド」。
これでもかこれでもかという感じで内外の文豪たちが登場。
ラノベやアニメも大人気なようだが、やはり私はとりあえず原作を読もう。
マフィアの異能「汚れちまった悲しみに」の中原中也が、探偵社の異能「人間失格」の太宰治に「そのヘンな帽子、どこで買うんだ」と言われるシーンが好きだなぁ。
24巻も読んだら飽きそうな気もするが、どこまで読めるか読んでみよう。

24年5月24日

朝6時に起きてしまい、歯医者の予約電話は9時15分まで通じないから困ってたんだが、ウェブサイト見たらネット予約もできるらしい。
ほぼ満員だったが11時にぽつんと空きがあったので予約を入れる。
やれやれ、これでとりあえず安心だ。

せいうちくんからは「少し寝ておきなさい」と言われたんだが、予定があると思うと緊張して眠れない。
結局、11時少し前に出かけるまで起きていた。眠いぞ。

歯は、金属冠が取れたのみならず自前の歯も一緒に欠けてしまっていると言われた。
少し虫歯にもなっており、削ってみて神経が出てくるようなら神経を抜く治療に切り替えなければならないって。
一生で3回ぐらいしか神経抜いたことはないが、あれ、大嫌いだ。
深く穴をあけた歯の内側に歯肉や神経が残らないようにカリコリカリコリと何度も内部を削っていると思われる。
あのカリコリが、麻酔をしてるから痛くはないはずなんだが不快でしょうがない。

なので今回も「絶対神経まで届いてませんように」とひそかに手を組んで祈っていたんだが、祈りは通じたらしく、とりあえず冠が取れたところと歯が欠けたところを削って整え、型を取って新しい冠を作る無難な治療に落ち着いた。
「ただ、麻酔が切れると痛くなるかもしれません。何もしなくてもずきずきしたり強い痛みがあるようならあらためて神経を抜きます。しみる程度やちょっとうずくぐらいなら心配いりませんから、痛み止めを飲んで大書してください」で、新しい冠ができてくるのが6月5日だそうなので善は急げでその日に予約を入れてきた。
まったく、歯医者ほど根源的に患者を恐怖に陥れる場所はめったにあるまい。
それとも、歯の治療以外の苦痛をほとんど知らずに生きていることに感謝すべきなんだろうか。

安心したら眠くなった。
痛み止めがわりに鎮静剤をのんで、しばらく寝よう。
オノ・ナツメの「BADON」最終巻が届いた。
今日はいい日だ。

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