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『美人が羨ましい』と思い続けるのってツラくないか?

自他ともに認めるネガティブさが特徴だった私は、これまでの情報収集の効果もあってか、比較的穏やかな思考になってきました。中でも「ネガティブへの解釈」はそこそこ変えることができたと思っています。

数年前までは、ネガティブというものを世間のイメージ通りに受け取っていた。それは暗いもので、良くないもので、悲しいものだと。

それで生きていけたらまだ良かったんだけどさ、これまでの人生でネガティブなことを経験し過ぎたので、ネガティブなこと=暗いものと解釈して接することに限界がきたんですよ。

本当にこのままの感覚でいいのか?本当にネガティブな感情や解釈を沢山抱えたまま生きていくのか?と。

イヤに決まってんじゃん。

私だって好きでネガティブを抱えたわけじゃ、ありません。気がついたらこうなってたんですー。

ネガティブを抱えるたびに、どうして私にはこんなことばかり起こるの、と泣いていた。私はネガティブの被害者なんだと。

同時に、このままでは生きるのが辛いことも、わかっていた。それでも被害者でいる選択しか、考えられなかったのだ。

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自分と向き合うようになって、被害者側で居ることを選んでいた事実に気が付いた。悲劇のヒロインを心のなかではバカにしていたが、私だって同じようなものだった。

冷静になった。辞めたくなった。そして続けて自分と向き合ううちに、ネガティブを作り出していたのも自分だったと、見えるようになった。作っていた理由はいくつかあるだろうけど、大きな理由として「世間や他人のネガティブと自分のネガティブを一緒にしていた」という点があった。

ここをイコールにしていると、世間のネガティブ=自分のネガティブになり、必要以上にネガティブと付き合っていくことになる。

だから、世間のネガティブと自分のネガティブを切り分けておく。世間のネガティブから抜け出すってイメージ。

自分のネガティブは自分で決めていいものなのだ。

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私が今、心がけているのは

ネガティブな感情は、自分の価値観を変えるチャンスだ」という感覚。

例えば、なるべく持ちたくない感情って色々ある。

怒り。
嫉妬。
羨望。

この辺がよくある感情だろうか。

これらの感情を持ったら、チャンスタイムとするのだ。それぞれのネガティブな感情を持った時、こう考える。

怒り・嫉妬・羨望の感情を持った時、どうして私はこの人・状況・問題に怒っているのだろう。嫉妬しているのだろう。羨んでいるのだろう。

きっと、何かその感情ではない答えが、あるはずだから。

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『美人は羨ましいな…』

そもそも、どうしてそう思うのだろうか。

見た目が美しいから?
ケアが簡単だから?
オシャレが楽しいから?
注目されるから?
優しくされるから?
チヤホヤされるから?
トクだから?
ラクだから?
生きやすそうだから?
差別されないから?

それは、あなたが望んでいることではないでしょうか?

『美人は羨ましいな…』その理由は、単に羨ましいだけではありません。その奥に、何か羨ましくなることがあるはずなのです。

これから先もずっと、美人を羨み続けるのはたぶん、辛い。だから「羨ましいの先」へ行ってもいいのではないか。

次の道に進む一番の方法は、ネガティブな感情を使って気付くことなのだと思うのです。


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