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私が分離した場所

2018年が始まって間もないある日。私は、ある場所に足を踏み入れた。

その空間はぼんやりと「行ってみたい」場所であり、同時に憧れの場所でもあった。そんな空間に行く時間が、ついにできたのだ。

予想よりも歩くことになり、足のトラブルも懸念されたが、そこは『あの場所』への期待感から大して辛くなることなく、たどり着けた。

たどり着いてしばらくは、高揚感があった。
しばらく、は。

この場所への馴染みも起き始めた時、それは起きた。ぼんやりと、憂鬱のようなモヤモヤが目を覚ました。そして、同時に頭から声がした。


違う。


大きな抵抗が、動き始めた。

ここにいること、それ自体は嬉しいと感じている。しかし、ここにいることが本当の目的ではないことも、気付いていた。その感覚が、抵抗として出てきたのだ。

憂鬱のようなモヤモヤは、私の本当の目的をとうに知っていたから、存在していたのだろう。

それ以来『あの場所』へは行けていない。いや、行こうともしていない。本当の目的は、私自身も行く前から自覚していた。

あの場所へ行きたかったのではなく、あの場所にいる人と、違う場所で出会いたかったのだ。

あの場所で出会いたかったわけでは、全くなかったのだ。本当は。

私と私が分離した場所―私と私が対立している。

今までもこの感覚は沢山あったが、その中で一番、分離しているのを実感できたのがあの場所だった。

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私は、どちらの私が本音なのか、どちらの私を選択したいと思っているのか、わからないでいる。どちらの選択を想像しても、なんとなくの違和感は残ったままで。

これまで、自分の精神状態をある程度自分で調整できたと思っていた。もしかすると一番大きな調整点は、この〔分離した私〕を統合していくこと―なのかもしれない。


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