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春
2024年3月28日 16:44
なにかこうふわふわ、ぽよぽよの3月のおわりにしてはざらざらの、ぐるぐるおなじところをめぐるだけの文字みたいな音みたいなまほうみたいなかたちのないものあらわしようのないこれのこと信じているけどそれはべつにわるいことじゃない花のようなかおりがしたあとほっとするむかしからこのじき、にがいような、しぶいようなあじがたまにするあじというかあじみたいなかんじがするこれはなんなんだ
2024年3月21日 16:20
ガムやチョコレート等の菓子類は1ロットが細かいため、様々な商品が折りたたみの箱に詰めあわされて店に届きます。箱は8つずつ台車に載せられた状態でトラックで運ばれます。トラックが店に到着すると荷台から台車が降ろされ、駐車場に一旦並べて置かれます。この降ろされたあとの台車が、ある日の暖かな春のひざしのなかに2時間ほど放置されました。本来はすぐ屋内に取りこまれるはずの台車です。結果アンパンマンチョ
2024年3月18日 00:42
だれもが向き合うべき普遍的悲しみをどのように克服していこうかということが物心ついたころから考えの根底にあった。それは私の脳のつくりがもとからそうだったということもあれば、それ以外の環境的な要因もあった。しかし誰のせいでもない。たまたまそうだったということなので、だれのことを責めるつもりもない。だからなおさら悲しい。いま、書く以外にどうしようもなくて書いている。だれかに話すにはどうしようもなさす
2024年3月13日 00:30
気持ちも体の一部である。体が外界の影響を受けてよくもわるくも動きを変えるのだから気持ちだってそれであたりまえなのに、簡単には納得できない。踊りだしたいようなときだってあったのに、しかもそれはなにかいいことがあったというわけではなくて、なにもなくたって朗らかな気持ちのときだってあったのに、どんな悲しいことがあったって今なら平気だと思ったのに、数日後の今、いや、昨日の今日といってもいい、もし悲しい
2024年3月5日 00:48
カーテンのそばで母と電話する。そろそろ兄とも会いたいと思う。お酒よくないよと言われる。私みたいになるよ。春が電子の波にのって届く。忘れっぽくなった。感情も感覚も鈍麻し、世界はもっと遠くなる。傷つくことも、守りたいものも、なにもなくなっていく、かろやかで空虚。日差しがあたたかい、生きているのだと強く実感する。夢みたい。大丈夫、ぼくが覚えていますから。あなたが忘れて
2024年3月3日 20:32
よくいわれる。と、よくいわれる。「ずるいですね」「よくいわれる」人に執着するとき、許せなさみたいなものがある。許せない、このままこいつを野放しにしておけない、ずるすぎる、そういう気持ちが根底にあることに今更気がつき、いままでのことすべて合点がいった。だからなるべく言葉から変えていこう。呪いだけは唱えない。わたし、呪いません。はねが生えてきたらいいのにとおもう。光の輪が浮かんだらいい
2024年3月1日 21:38
たんすの一番上の段には大事なものがしまってあった。父はそこから、手のひらに乗るくらいの、四角く、平べったいプラスチックのケースのようなものが何枚か、輪ゴムでひとくくりにされたものを取りだし、母となにか話している。たわむれに、幼い私の手にもそれが一枚渡された。材質と形はMDやゲームボーイのソフトみたいで、表は透明、裏は色のついた半透明のプラスチックが合わせられている。内側の隙間にはなにか機械の基