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脚本家の存在意義

昨今のドラマ『セクシー田中さん』関連の各方面お気持ち表明。
普段はお菓子作りを生業にしている私ですが、全くの門外漢でもないので、思うところを書き留めておきます。



脚本家という職業


私が18歳の時。
母が関西テレビのファンクラブに入会した特典で、「魚がどうとかってタイトル」の映画、2人までいけるから。と、
映画『ジョゼと虎と魚たち』の試写会に行きました。

ただ公開前の映画が観られるだけだと思っていたら、
雀荘の客で出演したヤマヒロさんが司会をつとめ、
主演の妻夫木聡さんと池脇千鶴さん、そしてデビュー作になる脚本家の渡辺あやさんが登壇し、舞台挨拶付きの豪華なもの。
「おぉ、妻夫木、案外なで肩……」
と同時に「あ、脚本家って俳優と並んでこういう場に出られる人なんや」と初めて脚本家を職業として認識しました。
これが重要な人生の転機。

その後浪人生になり、
学割で映画を観、TSUTAYAでCDを借りてはiPodに入れ、全然勉強せず。
九州にある大学から合格通知を頂き、とても心が傾いたものの、神戸を離れる決断が出来なかった私。
一旦、お菓子工場で働くことにし、お金が貯まったら留学したいなーなんて釜山外国語大学の学部進学を模索しつつ、やっぱり勇気が出ず。

勇気がやっと出せたのは21歳の時。
もう18年も前になりますが、シナリオの学校に通い始めました。

この記事自体が重苦しくなるのは本意ではないので、余談を挟みます。
その学校の基礎講座の同期に、松原タニシさんがいます。
あまり同じタイミングで受講することなく、本人はオリエンテーションの自己紹介くらいでしか見かけていません。
当時は長めの坊主頭でしたが、今のような髪型、かつ実写化されたらジャニーズが演じるとか。ブックメーカー、オッズ3億倍くらいです。


脚本家に必要なこと


ありがたいことに、私は25歳の時に賞を頂き、
私の原作脚本がBSで単発ドラマとして映像化されました。
決定稿になるまでに、先生や監督さんの手直し、修正案を受けましたが、
当時の私の脚本は筆力、構成力共にまだまだだった為、「これじゃあ私の作品じゃないわ!」なんてことはなく、「あ、その方が断然いい……わかりやすっ。なるほどですぅ……」と、とにかく勉強させてもらう立場でした。

プロデューサーさんも、ロケハンから子役のオーディション、衣装合わせ、実際の撮影見学まで、私の将来に役立つようにと、色々な場面に積極的に立ち会わせてくださいました。

しかし、その後の私はというと、コミュ障すぎてテレビ業界をどう歩いていいかわからず。

赤坂の中華屋さんで見たような、若手に飯おごってやりつつ、つらつらと過去世話してやった俳優の名前を出して、マウント説教マジ気持ちいい的なギョーカイジンとはあんまり関わりたくないなぁ……と思ううち、
名前が出るような映像作品ではなく、決して書いている人を匂わせてはいけない乙女ゲームのライターをしていました。

なので、私は原作のある作品を「脚色」したことはないのです。
しかし、映像化にあたっての制限は自分の作品でさえ感じました。
許可やキャスティングのバーター、撮影日程。プロデューサーさんの仕事、調整役とはなんと大変なことか、と。

だからといって、プロデューサー擁護、脚本家擁護のために、このnoteを書いているのではありません。


脚本家の存在意義


むしろ逆です。
小説や漫画、もともと人気があるということは、それだけ世界観が既に創られているということです。

今回の騒動で、
お前(脚本家)がオリジナルを書け! という意見も散見されました。

学校では原稿用紙の書きかたから習い、最後に「脚色」も勉強します。
習作として、2つの小説から選ぶのですが、誰一人として同じようにはなりません。
それがその人の作家としての個性です。


私の原作脚本は賞をもらったと言っても、応募した中では映像化してもいいかなレベルだっただけで、
生みの苦しみはあっても、それ以上に映像化するために奔走した人たちの姿に頭が下がりました。
私の作品が引退になるかなぁ……という緑山の大御所さんみたいな方もいて。

どうすれば原作を映像にできるのか、そこを考えて考えて考え抜くのが脚本家の至上命題だと思います。
己の表現したいことなど、原作の外には存在しません。
脚本家の自己表現は作品への愛で示すもの。
て、誰が恋愛ものにしろって? マエ(前科)、いっぱいあるらしいやん?

おっと。ここでクールダウンの話題をひとつ。
シナリオの学校から数人選ばれて、在阪局のプロデューサーさんの勉強会に参加したことがあります。ドラマを作りたいから、原作にしたい作品の企画書を持ってこい。と。
みな、脚本をかじってる素人に近く、オリジナルより原作ありきでセンスを見たかったのかなと。

好きな小説シリーズと、在阪局ということ、土日の昼の枠ということもあって、ある芸人さんの自伝を企画に選びました。
男性プロデューサーだったので、兄にも訊いてみたところ、『ウロボロス』と。
読んだことのない作品だったので、勉強会の企画書には間に合いませんでしたが、半年後にはTBSで映像化されていました。
もう赤坂、動いてたんかーい。

私が選んだシリーズものの小説は「何が面白いかわからない」と首を傾げられ、そのプロデューサーさんの勉強会から落選し、最初からべた褒めしていた若い女性参加者とドラマ化の話を詰めていく……と。

初めて局にお邪魔した時は、母の好きな江戸川コナン像の前で写真を撮って、蚊に刺されまくったなぁ……あれれぇ? 今回問題になっている局って……

我ながら、今の時期に嫌な書きかたをしますね。
実際にドラマが出来上がっていれば、こんな毒づいた表現は選ばなかったのかもしれません。

私が推した小説のあとがきに、「映像化の話がきては実現していない」と書かれていたことがあり、「やっぱり映像化したい人はいるんだ!だって面白いもん!」と思うと同時に、制作サイドに面白く映像化する力量がないのだろうな、と。

だからこそ。
人気、話題性と設定をいいように借りて、映像化するなと思うのです。

原作者が描いたその世界に生きる人物に、我々は魅了されているのであって、その一番大事なエッセンスをおざなりにして、
何がプロデューサー(製作者)だ、脚本家だ、と。
易きに流れるな、と。
血反吐はいて描ききれよ、と。

脚本家が存在する意義。
原作があるものなら、どれだけその良さを伝えられるか。
制限のある中で、何を譲って何を守りぬくのか。
その取捨選択のセンスと愛だと思います。
テレビ局とプロデューサーは安易安直で、
脚本家はセンスも愛もなく、目立つ自己顕示欲。

本来、脚本は映像の設計図。
演者だけでなく、カメラさん、照明さん、美術さん、衣装さんなど撮影に携わるスタッフさんのために書かれるものです。
脚本家は設計士、建築家にあたります。

コルビュジェ、辰野金吾ほどの存在だと、いつから思いあがったのか。
ある意味、うらやましいです。私はあんな業界を歩くことが無理だと思ったから。

シナリオの学校で常に教えられてきたこと。
ストーリーを書くな、人物を描け、と。
設定とかに頼ると、『世にも』系を書きたがるんだよな。
学校の先輩じゃないっぽいので、ちょっと遠慮しないで言いました。
先輩なら先輩で、弁明楽しみでした。

私はもう脚本家という形で世に出ないと思いますが、
他人の気持ちに寄り添い、敬う人生を送れるように励みます。

芦原妃名子先生の心痛を、私も少し持って。
まだ冬の2月3日に。

ほんま、性格悪い、私。

















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