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ボクは、遠いところにいるけれど~阪神淡路大震災から26年目

26年前の今日のあの時間、ボクは病院のベッドの中にいた。
移植靱帯の手術を終えた後だった。

病室の朝は早いので、ボクは、一度起きても、朝食の時間まで、
また寝るということが日課だった。
26年前の今日もそうだった。

今でそうだが、ボクは、ラジオを聞きながら寝ることが習慣となっている。
だから、26年前の今日も朝に一度起きて、
もう一度寝るためにラジオをイヤフォン越しに聞いた。
ラジオでは、「神戸の方で大きな地震がありました」という臨時ニュースがちょうど流れていた。
でも、その時は、「地震があったんだな」とぐらいしか思っていなかった。

そして、2回目に目が覚めた時、病室ではテレビがつけられていて、大騒ぎになっていた。
テレビでは、長田の火事の様子が映し出されていた。
「嘘だろ…」
それ以上の言葉にならなかった。
まさかこんな状況になっているとは思わなかった。
続々と被害の様子が伝えられるけれど、起きていることに圧倒されて、実感がわかず、ましてや、そこのいる人たち、そこにいる人たちに関わっている人たちの思い、状況に、思いを馳せることができなかった。

時間が経つにつれて、いろんなことが伝わり、わかってくる。
何より一番わかったことは、
自分は何もできない。
遠いところにいるしかない。
ということだった。

あれから26年。
当時よりも、聞いたり、調べたり、見たりして、震災のことをわかるようになったと思う。
でも、変わっていないことは、ボクは、やっぱり遠いところにいるということだ。

26年の間に、東日本大震災も、熊本地震も、胆振地震もあった。
自分のやるべき仕事があったとはいえ、ボクは、いろんな意味で、やっぱり遠いところに居続けたと思う。

阪神淡路大震災で作られた歌。
「満月の夕」の曲を作った中川さんと山口さん。
中川さんは、近いところにいた人だった。そこにいる人たち、そこにいる人たちに関わる人たちと向き合っていた。

山口さんは、テレビ越しに震災を見てたいという。
だから中川さんが書いた詩で歌えず、
自分なりの詩を書いた。
遠くにいた自分と向き合い、「言葉にいったい何の意味がある」と書き換えた。
それでも、山口さんの歌は、中川さんの曲同様、歌い継がれている。

遠くにいても、できることがある。
やっとそう思えるようになった。
それは、震災のことを伝え続けること。
そのための授業も何本かつくった。

そして、震災を経験された方から話を聞かせてもらうこと。
何度も聞かせてもらい続けること。
その当時のことに思いを馳せ続けることだなと思う。

今日、師匠と呼びたい大先輩から震災の話を聞かせていただいた。
一つ一つの話に心が締め付けられる。
特に亡くなった子が尊敬していた児童のエピソードは、
たまらなくなった。

震災は、メディアが人数を取り上げてしまうので、
その人数の大きさに、ボクらも影響されてしまう。
でも、たとえ大人数であれ、少人数であれ、
1人1人の命に、1つ1つの人生、かけがえのない物語があることを忘れてはいけないと思う。

遠くに居続ける自分だけれど、
震災のことを風化させず、
明日が来ることをあたり前だと思わず、
大切な人を想うことを大事にしていきたい。

今日のアルバム。
ボクは、神戸から遠いところから見ていた。
だから彼らの「満月の夕」を聞く。


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