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今を生きる子どもたちの思いと、未来を見据えるボクの思い

日々思うことが、日々の慌ただしさに(いや、慌ただしさだけが原因じゃなく、きっとボクの中にもあるけれど)、かき消されてしまい、言葉がポロポロとこぼれてしまう。
別にそれでもかまわないのかもしれないけれど、不安になる。せめて立ち止まる時間をもちたい。ココでこうして書くのも立ち止まるため。

2020年6月9日。

1時間目は、国語。今日の分の学級通信を読み聞かせした後、意味ある部首についての学習。その後は、後半はこれまで終えていなかったプリント類の整理(○つけも含めて)。

2時間目は、算数。子どもたちの様子を見ていると、「わかる」「できる」ということが一番おもしろくさせたり、学習に集中させたりするのだという、当たり前のことを、あらためて思う。
ボクらは「未来」を据えて子どもたちと向き合う役目もあるから、「わかる」「できる」だけじゃない視点で、授業をつくることも、もちろん必要だ。でも、「」を生きる子どもたちにとって「わかる」「できる」ことが大きなものになっていることは常に意識しなくてはな…と思う。
もちろんあくまでもこれは、ボクの目の前の子どもたちの話だ。

3時間目は、理科。コロナ禍で実験が思うようにできない。単元を入れ替える。実験ができない中で、どう子どもたちの中に学びを生み出していくか。そのあたりが定まっていなくて、この時間は、ダメだったな。申し訳ない、子どもたち。

今日も、たくさんの人たちが消毒作業、清掃に携わってくれる。ありがたい。

それが終わってからは、完全学校再開に向けての学校生活について検討。
うーん。もちろんどうしようもないことだし、子どもたちの安全安心が大事。でも、こうした対応の中での生活がけっして新しい生活として、定着してほしくないと思う。
こうした対応の中での生活を積み重ねることで、子どもたちの心の中にどんなことを残していくのかは、本当に考えなければならない。本当に。

この日のアルバム。

こんな季節に気持ちの良い曲。


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